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その名は●ヒロシ [the name]

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♪ お前が好きだと 耳元で言った
  そんなヒロシに騙され 渚にたたずむ
  踊りが上手で 初心なふりをした
  そんなヒロシが得意な 8ビートのダンス
  …………
  ふたりの仲は 永遠だもの
  ジュークボックス 鳴り続けてる
  だから彼氏に伝えて 口づけだけを待っている
  胸の鼓動が激しい サイケな夏をヨコスカで
(「そんなヒロシに騙されて」詞、曲・桑田佳祐、歌・高田みづえ、昭和58年)

「ヒロシ」という名前も昭和モダニズムのにおいがする。
いえいえ昭和どころか大正ロマンの香りをたたえた名前なのです。

このヒロシ、漢字は博、寛、洋、浩、宏、弘……、あるいは二文字で博士、浩史……、さらには三文字で比呂司……など様々だが、クラシックは「博」と「弘」。

いつも参考にさせてもらっている某生命保険会社調べの年間ベスト10では、大正6年に「博」が7位にランクイン。8年には「弘」が10位に。9年には「博」7位、「弘」8位とダブルランキング。
以後、戦後の昭和22年まで、なんと26年間二つの「ヒロシ」がベスト10にとどまり続けたのでした。まさに“ロングセラー”。

23年には「弘」がベスト10から消えますが、「博」はみごとベスト1に。
その後3年連続で首位を守り、昭和36年にベスト10落ちするまでランキングに名を連ねるという人気ぶり。結局「博」は39年間連続でベスト10以内ということに。

昭和の経済成長とともに「ヒロシ」の人気に翳りが、と思うのは早計。「博」が消えたあとには「浩」にバトンタッチ。昭和35、36年と2年連続のベスト1になったあと、5年連続で“栄光”のベスト2を守り、昭和44年までベスト10にとどまるのです。
もちろんこれは昭和35年2月の現皇太子・浩宮の誕生にあやかったもの。

「ヒロシ」がベスト10から完全に姿を消すのは昭和45年、1970年から。

そんな「ヒロシ」だから、40代以上にはウジャウジャ(失礼)いるのではないでしょうか。

その全盛を誇った? 昭和30年代、歌の世界にも「3人ヒロシ」がおりました。

昭和30年代前半、その波はアメリカからやってきました。それがロカビリー。
ロカビリーとは、「ロカ」つまりロックンロールと「ビリー」すなわちヒルビリーの融合した音楽。ヒルビリーはカントリー音楽のルーツで、簡単にいえば、黒人のR&Bとカントリーの合体。

当時、日本ではブルースやR&Bをうたうシンガーはいなかったので(多分)、カントリー&ウエスタン(そう言っていた)の連中、とくに若者がロカビリーに飛びつきます。

その成果が「日劇ウエスタン・カーニバル」。
なかでもアイドルだったのが平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎の3人。いまでも健在で「ロカビリー3人男」などといわれてコンサートを行っております。
彼らが歌ったのはアメリカのロカビリー。つまり今でいえば洋楽のカヴァー。

「ダイアナ」「恋の片道切符」「リトル・ダーリン」「オー、キャロル」など日本語で歌われるアメリカン・ポップスは日本でも大ウケ。とりわけティーネイジャーの女の子たちはーワーキャーキャー。いや、リアルタイムで見ていたわけではなく、のちのニュース映画などで……。

そうなればヤングメンどもも、「オレもマーちゃん、ミッキー、けいちゃん」みたいに。と思うのは必然。ロカビリアンスター予備軍が続々と名乗りをあげます。
そうした彼らのほとんどは、“ボーヤ”と呼ばれたバンドボーイからスタートを切り、やがてそのバンドの専属シンガーとなり、大ブレイクする日を夢見ていたのであります。

そんななかに守屋浩、井上ひろし、水原弘がいました。これが「3人ヒロシ」
ロカビリアンを目指していた彼らですが、それぞれの花が咲く前にロカビリーの花が萎んでしまった。意外と短かったロカビリー最盛期。

しかしロカビリーは萎んでも流行歌はますます花開いていきます。そこでロカビリアン志望の若者たちも流行歌、つまり歌謡曲の世界へ。

その先鞭をつけたのが、元祖日本のロカビリアン・平尾昌晃。
昭和33年にレコード発売した「星は何でも知っている」が大ヒット。このことが前途を閉ざされた感のあったロカビリアンに光明をもたらすことに。

その翌年である昭和34年、守屋浩の「僕は泣いちっち」が大ヒット。続いて水原弘の「黒い花びら」も大ヒット。この曲はその年新設のレコード大賞まで獲ってしまうことに。さらに井上ひろしの「地下鉄(メトロ)は今日も終電車」も小ヒット。井上ひろしは翌35年に戦前流行った「雨に咲く花」をリメイク。これが当時起こったリバイバルブームにのって大ヒットします。

守屋浩。そのあとも「夜空の笛」「長いお下げ髪」、「大学かぞえうた」、「有難や節」、「月のエレジー」などヒット曲を連発。3人のなかではもっともヒット曲が多かったシンガー。一時所属していたホリプロの重役をしていましたが、病気で退社。いまでも健在でときどきナツメロ番組に登場します。

水原ひろし。あまりにも「黒い花びら」が売れすぎてあとが続きませんでした。二匹目を狙った「黒い落葉」もいまひとつ。でも、のちにちあきなおみのカヴァーで注目される「黄昏のビギン」やっぱりオリジナルの方がいい)や「恋のカクテル」「へんな女」「愛の渚」「女の爪あと」などいま聴いてもいいなと思う曲をうたっていました。
青春歌謡全盛の昭和30年代後半、しばらく低迷が続きましたが、昭和42年「君こそ我が命」をヒットさせてカムバックしたことも話題に。
3人のなかではいちばん歌のうまい歌手でしたが、毎日浴びるほど飲んだといわれる酒のために昭和53年、42歳で夭折。

井上ひろし。やはり戦前のヒット曲「雨に咲く花」、「並木の雨」や戦後の「東京ワルツ」などカヴァー曲をヒットさせたり、競作となった「山のロザリア」など女性的な楽曲が多い歌手でした。
最大のヒット「雨に咲く花」、オリジナルは昭和10年の関種子、戦前では淡谷のり子も。井上ひろしのあとも、美空ひばり、ちあきなおみ、青江三奈、テレサ・テン、氷川きよしなど多くの歌手がカヴァー。これも名曲の証明。
ビジュアルも3人のなかではいちばん“イケメン”で多くの女性ファンも。
彼も昭和60年、44歳という若さで亡くなっています。

「3人ヒロシ」はポップスではなく歌謡曲で輝きましたが、それまでの古賀メロディーをはじめとする日本の流行歌の主流とはいささか異なっていました。それは当時にしてみればニューウェイブともいえるもので、それぞれの作者をみればうなづけます。

守屋浩「僕は泣いちっち」作詞、作曲・浜口庫之助
水原弘「黒い花びら」作詞・永六輔、作曲・中村八大
井上ひろし「地下鉄は今夜も終電車」作詞・水島哲、作曲・遠藤実

しかし、かつては名前の多数派だった「ひろし」、シンガーにもたくさんいます。
思いつくままあげてみると、
五木ひろし、角川博、久保浩、かまやつひろし、三船浩和田弘とマヒナスターズ、舘ひろし、望月浩芦野宏、高野寛、円広志……。

歌の中に出てくる「ひろし」は、
高田みづえ「そんなヒロシに騙されて」と、♪ヒロシ、イサオ、ファンキーズと当時のポップシンガーを連呼する飯田久彦「トランジスタ・シスター」

そういえば、数年前ブラウン管(もうすぐ消えます)でお茶の間(これも消えるか)を席巻したあのピン芸人の「ヒロシ」。何処へいってしまったのでしょうか。
まだ現役、役者に転向、というウワサも聞きますが。いまだお笑い番組の盛んな(そろそろという気もするけど)テレビでは最近とんと見ません。
歌手の浮沈も激しいけれど、芸人の盛衰もまた激しいトです。


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