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春の歌②春の日の花と輝く [noisy life]

 桜と菜の花③.jpg

♪ 春の日の花と輝く      うるわしき姿の
  いつしか褪せてうつろう  夜の冬は来るとも
  わが心は変わる日なく    御身をば慕いて
  愛はなお緑いろ濃く    わが胸に生くべし

  Believe me, if all those endearing young chaems,
  Which I gaze on so fondly today,
  Were to change by tomorrow and fleet in my arms,
  Like fairy gifts fading away,
  Thou wouldst still be ador'd as this moment thou art,
  Let thy loveliness fade as it will;
  And around the dear ruin each wish of my heart
  Would entwine itself verdantly still.
「春の日の花と輝く」BELIEVE ME, IF ALL THOSE ENDEARING YOUNG CHARMS スコットランド民謡、作詞:トーマス・ムーア、訳詞:堀内敬三)

その歌や音楽を聴くと胸がいっぱいになり、やがて眼の中に涙が溜まり……、ということがある。らしい。

“らしい”というのはまだわたしにそこまでの経験がないから。惜しいんですね。あと少し。胸がここちよい苦しみで満たされ、目頭がジーンと熱くなってくる。残念ながらそこまであと少しで、ポロリと。あるいはタラリと。
映画ではもうすっかり泣けますが、音楽はまだ修業中(何の?)ということ。

この「春の日の花と輝く」を聴いて思わず落涙するという人は多いのでは。わたしの周りだけでも少なくとも3人いるのですから。ちなみにわたしはさっきいったように“もう少し”。ただし、ジンとくる歌のひとつではあります。

この歌はアイルランド民謡ということですが、作詞作曲者はほぼわかっています。
たしかなのは19世紀のはじめ、アイルランドの詩人トーマス・ムーアThomas Moore によって[BELIEVE ME, IF ALL THOSE ENDEARING YOUNG CHARMS]というタイトルの詞がつけられたということ。ということは曲そのものは、その前まえからすでに賛美歌として存在していたということ。

ちなみにトーマス・ムーアはやはりアイルランドの民謡で日本でもよく知られている「庭の千草」The Last Rose of Summer の作詞者でもあります。

で、「春の日……」の作曲者ですが、譜面そのものは18世紀前半には存在していたそうで、17世紀、ウィリアム・ダビヴィナントによって作られたという説もあれば、もともとはアイルランドではなくイングランドの曲が元になっているという説も。これぞという決定的な証拠がないため、おおくの場合では不明とされているようです。

またこの「春の日……」詞を変えてタイトルも[FAIR HARVARD]としてアメリカ、ハーバード大学の“校歌”にもなっています。
アメリカに日本のような校歌があるのか否かは知りませんが、資料によっては「学歌」?あるいは「卒業式歌」としているものもあります。いずれにしろ、卒業式には歌われるようです。

そのアイルランド生まれの古い歌に「春の日の花と輝く」という印象的なタイトルと、絶妙な訳詞をつけたのが堀内敬三
昭和の訳詞家であり作詞家であり作曲家であり評論家という、いわゆる音楽家。
アメリカへの留学経験があり、帰国した大正14年、ラジオ開局とともに東京放送局で洋楽を担当するようになる。
そのかたわら昭和4年には二村定一の歌う「私の青空」、「アラビアの歌」の2つの流行歌を訳詞します。その後、訳詞はもちろん多くの映画の主題歌や校歌などを作詞作曲したり、戦後はNHKラジオのクイズ番組「話の泉」のレギュラー解答者としてもその名を知られるようになります。
慶應大学の応援歌「若き血」「NHKラジオ体操」も堀内敬三の作品。

堀内氏、実は「せきこえのどに……」でおなじみの浅田飴本補の三男坊。その兄が洋楽好きで、家にあったオルガンで兄が弾く「旅愁」や「故郷の人々」を聞きながら育ったという。そんな関係から訳詞はなんと小学生のころからはじめ、10代でプロの訳詞家になり楽譜にその名前をのせていたというから驚き。それが後の「春の日……」や「アニーローリー」、「冬の星座」などの訳詞につながっていきます。

で、これらの唱歌をいつ作ったのか、つまり「春の日の花と輝く」は日本でいつ頃から歌われていたのか。
それがよくわかりません。もちろん戦前であることは間違いないでしょう。
昭和も10年代中盤になると戦争の影も色濃くなり、敵性音楽などという言葉ができたりして、米英の曲に訳詞をつけるなどという状況ではなくなってしまいます。
ということは、昭和初年から10年前後にかけて、ということになるでしょうか。
それから“潜伏期間”があり、ふたたび音楽の教科書にのったり、歌声運動の歌集にのるようになったのは戦後間もない頃でしょう。

昭和40年代あたりから、学校の教科書の古い歌が新しい歌にとって変わられるという現象が起こっていきます。
「春の日の花と輝く」もそんな憂き目に。文語体のわかりにくい歌詞の歌はやめよう、ということもあったでしょう。分からなければ英語の歌詞を邦訳するように教えてあげればいいと思うのですが、そうすると教師の負担が増えるから……。

そんな古色蒼然とした「春の日の花と輝く」が10年ほど前から、一部の教科書で復活しているという話が。
わたしの知り合いの20代後半の青年も高校三年の音楽の授業で歌ったことがあると。

リバイバル? 古くてもいい歌は残そうという考えが広まってきたこと。また、合唱曲としてよく取り上げられ知名度が高まったこと。さらにはなぜかしばらく前から続くアイリッシュの静かなブーム。こんなことが重なってふたたび教科書に載るようになったのでしょうか。いずれにしても、この歌のファンとしては嬉しいこと。

最近の涙タラリ、じゃないなジワーですか。最後にまぁそんな話を。

昨日でしたか、見た方も多いと思いますが、テレビで認知症のルポをやっておりました。見る気はなかったのですが、ちょっと目をやったらそのまま最後まで。
同年代の女性が若年性の認知症。自身も発症の自覚があり、やがて夫さえもわからなくなってしまうだろうと自ら語ります。

それも悲しいことでした。そして、彼女につきそう旦那さんもまた。
やがてそういう時が来て、自分のことを見知らぬ人間のように見る妻に対してどう接していけばよいのか。二人の想い出を語ることはもちろん、夫婦ゆえの喧嘩もできなくなってしまうでしょう。悲しいのは忘れた者ではなくて、忘れられない者ですよね。
そんなことが頭の中に浮かんできてジワーっと。

認知症というのは結局記憶が白紙になってしまうのでしょうか。それとも最後まで何らかの映像は残るのでしょうか。
ねがわくば、夫の顔がわからなくなってしまった女性であってもその記憶には、花のように輝いていた自分と、若き日の旦那さんの姿がときおり浮かんできて、思わず笑みがこぼれてしまう、そんな時がほんの一瞬でもありますようにと、祈らずにはいられません。


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タッチストーン

"春の日の花と輝く”を聴くと涙がでるオジンです。高校1年の音楽授業で初めて接し、曲の美しさと歌詞の品格に圧倒された記憶があります。20年後にロータリーの会合時に合唱したのが2回目で、つい最近ジョン・フォード監督の映画”男の敵”の劇中歌で使われていて目を大分濡らしてしまいました。アイルランド民謡のcdを取り寄せ聴いています。格調の高い名曲だと思います。鮫島有美子歌唱も悪くないです。MOMOさんもそのうち年が経てば涙が出るようになるでしょう。
by タッチストーン (2018-08-09 11:12) 

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