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Tragic Love [story]


♪ 燃える夜空の ネオンは移り気
  すてられた花束が 泣き濡れて
  七色の雨にうたう あゝ東京ワルツよ
  地下鉄(メトロ)で帰った君よ 君よさようなら 

「東京ワルツ」(詞・西沢爽、曲・服部レイモンド、歌・井上ひろし、昭和36年)。
当時の盛り場の情景や恋人たちの心情(こちらは今とさほど変わっていないが)が偲ばれる昭和の名曲。千代田照子という歌手については福島県出身ということ以外はよくわからない。コロムビアのコンクールで優勝してデビューしたということを何かで読んだような記憶もあるが、定かではない。それから7年後、リバイバルブームに乗って井上ひろしがカヴァーした。このほうが知られているかもしれない。歌はカヴァーされないと死んでしまう。いい曲なので歌い継いでもらいたいと思うのだが。わたしが聴いたのは大月みやこと大川栄策。
今は地下鉄の会社名に使われているが、メトロという響きがとても懐かしい。ちなみに日本で初めて地下鉄が開通したのは、浅草-上野間(のちの銀座線。わずか2.2㎞)で昭和2年のことだから、まさに地下鉄の歴史は昭和の歴史そのもの。大阪では6年に御堂筋線が開通。東京、大阪ともに経済発展の著しかった30年代にその路線を大幅に延ばすことになる。掘って掘って掘りまくったわけだ。そして名古屋に地下鉄が開通したのが32年だそうだ。

わたしは、東京から逃げ出すつもりだった。行く先は決めていなかった。この鬱陶しい街以外ならどこでもよかった。
まず、百数十万円の借金の返済を迫られている友人のSから逃亡したかった。そして一緒に暮らしているM子から逃げたかった。さらには2年勤めていっこうになじめない業界紙の営業という仕事から逃げ出したかった。唯一の心のこりは、会社の女上司であるTのことだった。

Tは30代半ば、わたしとはひと回りも違うのだが、独身のせいか20代後半にしか見えない。長く付き合っている恋人がいるという話だが、見たことはない。髪をアップにして頭頂で団子のようにまとめたヘアスタイルが彼女のトレードマーク。仕事ぶりはいたってクール。部下の扱いも極めてクールで、注意の仕方も結構キツイ。馴れ馴れしい新人でも一週間もすれば調教されてしまう。ただそれだけなら“いやな奴”なのだが、彼女の場合、仕事を終えたあとのフォローがとても上手いのだ。
いきつけの居酒屋へよく部下たちを連れて行ってくれる。そこでの彼女は、酔うほどにオフィスとはまったく別人になってしまう。「……そうじゃないもん」とか「やーよ、恥ずかしいわ」などと仕事中は決して使わない女らしい言葉で部下たちとうち解ける。そうした二面性を臆面もなくさらけ出すからこそ、彼女は部下たちから愛されているのである。

社長に辞表を出した後、Tのところへ挨拶にいった。あらかじめ話してあったので、ありきたりの労いの言葉。送別会の話が出たところで、わたしは冗談半分に「個人的な送別会もやってくれないかな」と言ってみた。すると「いいわ」と思ってもみなかった応えが返ってきた。

いつもとは違う飲み屋で待ち合わせをした。Tは10分ほど遅れてきた。驚いたのは彼女が髪を下ろしていたこと。肩まで伸びた髪の彼女を見たのは初めてだった。それに合わせたのだろうか、薄いグレーのブラウスもオフィスで着ていたものより女らしかった。
誘った手前、話をリードするのはわたしだ。ただ、20代半ばの経験不足の男にとって、こういう舞台はいささか荷が重かった。結局、話はいつもの居酒屋と同じ、仕事の話になってしまうのだ。彼女はしきりに辞めた後のわたしのことを心配してくれた。別の仕事を紹介しようかとまで言ってくれた。もちろん逃亡者志願のわたしは丁寧に断った。
2軒目のパブでも仕事や同僚の話を肴にしながら時間が過ぎていった。そして3軒目のスナックでシンデレラタイム。
店を出た後、Tは地下鉄、わたしはJRと別々に。しかし、わたしは彼女を駅まで送って行くことに。これがラストチャンスだ、と思った。まだ宵の口で街は人で賑わっている。地下鉄の入口までの距離はとても長かった。肩を寄せて歩きながら、最後の言葉を言おうとしたとたん、M子の顔が脳裏いっぱいに浮かんできた。そして思いとは裏腹に、つまらない2年間の思い出話が口から出た。しばらくすると彼女は立ち止まり、「じゃあ、終電に間に合わなくなるから行くわ」と言って、小走りで地下鉄の階段を降りていった。そう言ったときの彼女の顔と言葉はオフィスにいるときそのままだった。

あれから30年あまり、結局わたしは東京から逃げ出すことはできなかった。いや、借金からも、M子からも逃げ出せなかったのだ。ただM子に関してはそれから数年後、彼女のほうから逃亡してしまったのだが。上司Tについては、会社を辞めてから数年後、一度だけ見かけたことがあった。やっぱり地下鉄の中だった。彼女は相変わらずアップに団子というヘアスタイルで、吊革につかまっていた。そしてわたしに気づかず次の駅で降りて行った。


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gutsugutsu-blog

この写真一番好きでした。
by gutsugutsu-blog (2006-08-03 19:55) 

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