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▼恋のサバイバル I will survive [covers]

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昨日の深夜、サッカーのダイジェスト番組を見ていたら、オープニングのBGMに懐かしい歌がつかわれていました。

それが「恋のサバイバル」。誰がカヴァーしていたのかはわかりませんが。


「恋のサバイバル」がヒットしたのは1979年から80年にかけて。1979年といいますと、日本では昭和54年、プロ野球でいうと江川の電撃巨人入団があり、秋には江夏を擁する広島カープが初の日本一に輝いた年。ずいぶん古い話で。

歌の世界では、サザン、ツイスト、アリス、ゴダイゴといったバンドがヒット曲を連発し、アイドルではジュリーと山口百恵が隆盛を極めていました。

オリジナルシンガーはグロリア・ゲイナーGloria Gaynor 。
1949年に生まれたグロリアは、60年代中盤にデビューしたR&Bシンガーで、70年代から80年代にかけてのディスコブームで、この「恋のサバイバル」をヒットさせます。

この歌はナンバーワンになったアメリカ、イギリスだけでなく、ヨーロッパ各国でもヒットしたワールドワイドな曲として知られています。もちろん日本でも。

とにかくアメリカではこの曲がリリースされると、大きな反響が起こったとか。
何が注目されたかというと、その歌詞で、いわゆるラヴ・ソングではなく、古い言い方ならウーマン・リヴ、いまならフェミニズム、ジェンダーといった内容が色濃い歌だったからだとか。

男に捨てられた女が、それまでなら「行かないで」「お願いだから戻って来て」とうたうところを、「冗談じゃない、私はあなたなしでも生きていけるのよ」「私の愛は、もっといい人のためにとってあるのよ、わかったらさっさと出て行って」とヒステリックとも思えるほどにシャウトしています。

男に抑圧されていた女性にとっては、快哉を叫びたくなるような歌詞だったのでしょうね。それゆえにビッグヒットにつながったのでしょう。

で、この歌、かなり前、ある新聞のコラムでヨーロッパのカラオケでもっともうたわれる(女性に)歌だと紹介されていました。
オランダでも、トルコでも。

もちろんアメリカでも、ダイアナ・ロスをはじめ同じR&Bシンガーばかりでなく、カントリーシンガーサルサの女王もカヴァーしています。

また、アジアでも中国、台湾、韓国で知られているようですし、もちろん日本でも。

日本では布施明が、自身で訳してヒットさせています。なんでも、彼のプランだったとか。
「女歌」を男がうたう伝統のある日本ならではのことでしょうか。日本以外でこの歌を男のシンガーがうたったという話は聞いたことがない。

あまり知られていませんが、この日本版「恋のサバイバル」、実は競作で、「逃避行」のヒットがある麻生洋子も「恋のサバイバル2」というタイトルで、なぜかサンバ風なカヴァーをしています。
彼女はいまも健在で、このカヴァー曲をうたっているようです。

ところで、冒頭にふれたサッカー番組、なぜこの「恋のサバイバル」をBGMに使用していたのでしょうか。
〈今年のワールドカップ、絶対勝ち残るぞ〉
という思いが込められているのでしょうか。

テレビ番組のBGMって、オープニングに限らずけっこうおもしろい。
懐メロがつかわれていますし。やはり画像と選曲の妙味が見せどころ、聴かせどころです。
ときどき首をかしげる選曲もありますが。

先日見ていた、グルメ番組では「鳥料理」のバックに杉田かおるの「鳥の詩」がつかわれていたのには笑ってしまいました。
ちょっとイージーかなとも思いましたが、叙情的な鳥を食べちゃおうっていうのですから、そのブラックな印象が狙いだとしたら、それはそれで。

鳥よ 鳥よ 鳥たちよ パクッ。


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春の歌●春一番 [noisy life]

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ようやく春一番が吹きよりました。

それにしても強烈な春の入り口でしたね。飛ばされそうになっていたオバサンもいたり。

今年はことさら寒い冬でしたから、やっと来たか、来てくれたかという春一番。
春の到来がこれほどウレシかったのも近年なかったものね。

今回はごたくを並べていないで、さっさと音楽を。

この春のウキウキ気分にふさわしい音楽といえば、…………やっぱりブルーグラスかなぁ。

何年か前の春にも「春風はブルーグラスにのって」ってことで、やったはずなんですが、軽快なフィドル、乾いたバンジョー、トレモロが心地よいマンドリンの音色につつまれると「春だねぇ」、「春だよぉ」って思うのです。

まずは、春にふさわしい歌。
「春また来たりなば」When the Springtime comes again

アニーちゃん、おいらは行かにゃなんねえども、また春が来て木々が緑に色づくころけえってくるからよ、きっと待っててくれよな

っていう別れの歌。
カーター・ファミリーで広く知られるようになりましたが、大元はスティーヴン・フォスターの「やさしいアニー」Gentle Annie だとも。
また別名「リトル・アニー」Little Annie としても知られています。

演奏はデヴィッド・グリスマン(マンドリン)、ピーター・ローワン(ギター、ヴォーカル)、ヴァッサー・クレメンツ(フィドル)らのスーパーバンド、オールド&イン・ザ・グレイ。

2曲目も「別れの曲」。
「川のほとりで」Down where the river bends

こちらは、かつて別れた恋人と遠く離れてしまった故郷に思いをはせるという歌。
まぁ「望郷歌」といってもいいですね。

生まれ育った土地を離れた者が、人を思い故郷(くに)を思うというのは万国共通なのではないでしょうか。

交通網の発達でたしかに“故郷感”は希薄になってしまいましたが、アメリカは始終戦争をしているので、戦地に赴いた兵士たちにとっては、その望郷感といったら、日本人には想像がつかないほど強烈なのでしょうね。

その故郷を象徴するものとして、カントリーやブルーグラスではしばしば「木」がでてきます。
「春また来たりなば」では無名の木がうたわれていますし、この歌でも古いカエデの木が出てきます。

70年代に来日コンサートを行い、静かなブルーグラスブームを起こしたカントリー・ジェントルメンの演奏です。

最後も「木」がでてきます。
「柳の下に埋めておくれ」Bury me beneath the willow

ただし、こちらは「望郷歌」ではなく、「わたしが死んだら柳の木の下に埋めてください」という悲しきラヴソング。

イギリスの民謡をベースにしたトラディショナルソングで、古くはカーター・ファミリーの歌が知られています。

若いブルーグラッサーの演奏で。

今日の3曲はいずれも「別れの歌」。
カントリーに限らず、流行歌には「別れの歌」や「失恋ソング」がいかに多いことか。
人生そんなにうまくはいかないよ、ということなのでしょうね。実際そうだもの。
3回に1回、いや個人的には10回に1回かな。うまくいくことなんて。
だから、その1回がウレシイんだよね。

そういえば今日の春一番で、家の近くの公園の早咲きの桜が無情にも散らされておりました。

月にむら雲、花に春一番のたとえもあるぞ。
サヨナラダケガ人生ダ。なんて。
ちょっと違ったかな。


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●うそうそうそよみんなうそ [day by day]

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ウソすなわち虚言が問題になっています。

世の中は虚言にみちている、と綴っていたのは「徒然草」でした。
わたしも生まれて60年あまり、どれだけ多くのウソをついてきたことか。

それでも、そのことで誰かを傷つけたりわが身に火の粉がふりかからなかったのは、たいしたウソではなかったからなのかもしれない。(いや、自覚がないだけで誰かにダメージを与えていたのかも)

クラシック音楽に疎く、とりわけ現代音楽はまるで聞かないわたしなので、和製ベートーベンさんのことは事件が公になるまで、その名前さえしりませんでした。

ゴーストライターはどんな業界んもほぼ存在するわけですが、自分ではまるで創作していなかったっていうのがスゴイです。
騙されてCDや、自伝本を買ってしまった方がたには申し訳ありませんが、あれは喜劇かコントのように思えて仕方ありません。

叱られるかもしれませんが、ポール・ニューマンの映画「スティング」で感じたような快哉すら覚えてしまうこともありました。
もちろんこんどの事件は、結末がグダグダで、すこしもカッコよくありませんでしたが。

それにしてもNHKや出版社をはじめとしたマスコミを10数年にわたって騙していたとは。彼がペテン師として超一流だったのか。それとも、ほかにも“共犯者”がいたりして。
騙され続けたマスコミは、その反省もものかわ、当のペテン師を袋叩きにしています。

その図式が日本の希望の星ともてはやした、STAP細胞の生成に成功したという「リケ女」に対しても使われているような気がします。
こちらは、日本のベートーベン氏とは違って、生命にかかわる問題だけに、ある人たちの希望を一瞬のうちに失望に変えた(また希望に変わるかもしれませんが)という意味で罪深い。

ただ、あの“ウソ論文”が直接的な実害という意味では、どうなのでしょうか。
いちばんの被害者といえば、彼女の所属していた会社でしょう。なにしろ信用失墜もはなはだしいのですから。

その怒りからでしょうか、会社側の調査の中間報告という記者会見では彼女に対してボロクソ。自分のところの社員が仕事の一環としてやらかしてしまった“ウソ”に対して、あそこまで言うか、と感じるほど。
挙句の果てには「あの年齢では無理」とか「会社としてチェックすることは不可能」とか。まるで他人ごと。

それは、いかに己が会社の管理体制がルーズで杜撰かということを力説しているように聞こえてなりません。実際に外部の人間には彼女の“ウソ”を見抜いていた人がいたのですから。

しかし、疑問に思うのは、なんでリケ女さんは、これほど簡単にバレるようなウソをついてしまったのかということ。
実際に一度STAPの生成に成功し、それを再現できなかったため、都合の良いプロセスをねつ造してしまったのか。
それとも、STAP細胞とは彼女の夢幻の世界にのみ存在するものであって、周囲の人間がその幻に巻き込まれてしまっただけだったのか。

この出来事がどのように終息するのかわかりませんが、科学者生命が絶たれかねないリケ女さんにはいささか同情を禁じえません。

この和製ベートーベン事件と堕ちたリケ女事件で見えたことは、騙されたヤツ(マスコミと会社だな)の怒りはすさまじいってことでしょうか。自分たちの無能を棚に上げて。

でも“ウソ”が露見したことで、これほど社会が注目した事件が続いたのはめずらしい。これでもかっていうくらい持ち上げていたものなぁ、マスコミ“各氏”は。その反動か、張本人に対して、血祭りにあげずにはおくものかっていうほどの気迫が感じられます。

誰でもウソはつくけれど、いまいちばん気になるウソは、「いや解釈によってはそれはウソとはえない」とばかり真実を捻じ曲げてしまうウソじゃないでしょうか。

例によってエンディングは音楽で。
純和風の邦楽と、あいも変わらずのカントリーの2曲で。
もちろんどちらもフェヴァリットソングです。ウソじゃないよ。


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●ソチ五輪閉幕 [day by day]

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ソチ五輪もようやく終わってくれました。

なにしろLIVE中継が夜中というか、早朝というか、まぁシンドかったこと。

しかし、金メダルがただの1個でも、なんだかんだ言っても、いつになく盛り上がったオリンピックではありました。

とりわけ、閉幕まぎわの浅田真央のフィギュアスケートは、掉尾を飾るにふさわしいパフォーマンスでした。
しかし、日本というかマスコミは騒ぎすぎ。もし金メダルを獲ったとしてもあれほどの騒ぎになったかどうだか。

また、もしあれが逆で、ショートで上位に入り、フリーで失敗してトータル6位だったら、おそらく今回の10分の1もとりあげられなかったんじゃないかな。成績は6位でかわらないんだけれど。「巻返し物語」が好きなんだよね、日本人は。

とはいえ、彼女のあの試合後の、そして帰国してからのインタビューでの笑顔をみていると、ヨカッタ、ヨカッタと思うのですけれど。
また、この騒ぎをみていると、いかに日本人の多くが浅田真央を愛しているかがわかります。

その半分でいいですから、17歳の少女、高梨紗羅に同情だけではなく、愛をそそいでほしかった。
五輪初競技、初出場で4位、すばらしい成績です。
にもかかわらず「申し訳ない」と言わせてしまう、あの雰囲気。

でもあのワールドカップでの連戦連勝ぶりをみていれば、「まず金、間違いなし」と思ってしまうものね。われわれ素人だけじゃない。元ジャンプのメダリストたちだって「金メダルは99%確実」って断言していたもの。

それが全部17歳の少女の肩にのっかかっちゃったんだよね。
そのプレッシャーにたじろがないわけがない。なにしろオリンピックなんだから。

紗羅さんはめずらしいくらい礼儀正しい女の子です。
友だちとの会話はいざしらず、インタビューでの受け応えでは、「チョー」とか「マジ」とか「メッチャ」とか「ウレシイッス」とか聞いたことないですから。

いえ、そういう若者言葉をインタビューだからつかってはいけないというんじゃないんですよ。ただ、誰もがつかうから、つかってあたりまえだから、逆につかわない若者が光ってみえるということだけなのです。

まぁ、1回目のオリンピックは終わったけれど、彼女のジャンプはまだ続いていくわけで、彼女が世界最強のジャンプガールであることは誰も疑わないわけで、4年後にはそれを証明してくれるはずです。まぁ、オリンピックですから99%の確率で。

今回のオリンピックで印象に残ったアスリートベスト5をあげてみますと、
●高梨紗羅
●上村愛子
●葛西紀明
●渡部暁斗
●浅田真央

最後にとくに意味はありませんが、サラ愛子の歌を。


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その名は●ピート・シーガー [the name]

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わたしの音楽の心の大師匠であったピート・シーガーが亡くなりました。

高齢だったのでいつかは……と思っていましたが、94歳でした。

マッカーシズムを生き抜き、反人種差別、反戦と自身の思うところをみごとに貫いた一生ではなかったでしょうか。

“アメリカの良心”がひとつ消えてしまいましたが、彼に影響を受け、その意思を継いでゆくミュージシャンは少なくないはずです。

YOU-TUBEでピートさんを偲んでみたいと思います。

Turn Turn Turn

This Land is Your Land

Last Night I Had The Strangest Dream

Down By The Riverside

Que Bonita Bandera

良きハートを、良き歌をありがとうございました。

プラスワンでもう2曲、昔ハマった曲を追加しました。

When The Saints Go Merching In

So Long, it's Been Good To Know You 

 


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●飴 [props]

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最近出かけるとき、バッグの中に飴を入れてある。

まだ慣れていないので忘れてしまうこともあるけれど、たいがいは家に戻るまでに1個か2個を口の中に放り込んでいる。
梅干しの種ほどの小さな飴で、味も梅。

実は飴なんて、ほとんど何十年も嘗めたことがなかった。
それがしばしば味わうようになったのは、つい先日こんなことがあったから。

そこそこ混んでいる電車中でわたしは吊革につかまっていた。
駅で停車し、前に座っていた人が降りたので、遠慮なく座ることに。

ドアが閉まる瞬間に駆け込んできたのが、老婦人の2人連れ。
ひとりはわたしと同年配で、もうひとかたは80歳は過ぎているだろうと思われる女性。
会話の様子から母娘らしい。

もちろんわたしは先輩女性に敬意を表して席を立った。
座席に腰を下ろした母親の前にその娘が、そしてその隣にわたしが吊革につかまって立っている。

すると次の駅で、母親の隣の席が2つ空いた。
ごく自然にその隣に娘が座り、そのまた隣にわたしが腰を下ろすことになった。

電車が走りだし、しばらくすると隣の娘がわたしの耳元に顔を寄せ、ささやいた。
「飴をいかが」

そして娘はバッグから袋に包まれた小さな飴を2つ取り出し差し出した。
その動作があまりにもスピーディだったので、わたしは遠慮する間もなく、反射的に手で受け取ってしまった。

次の駅が行先だったので、わたしは飴を手の中に握ったまま、2人の女性に挨拶をして下車した。

用事先に行く道すがら、せっかくなので飴を嘗めてみた。
ほのかに甘い桃の味と香りがした。破った紙を広げてみると「ピーチ」と書いてあった。

とにかく、そんなことがあってから、「飴もわるくないじゃん」という気になって携帯するようになったというわけ。

飴といって思い出すというか、よく嘗めたという記憶はやはり小学生のころ。

森永キャラメルに、明治のサイコロキャラメル。駄菓子屋でよく買ったくじで大小がきまるヒモのついた三角のいちご飴。それに、ハッカがでるとがっかりした缶入りのサクマドロップ。
そういえば、野球のくじがついた紅梅キャラメルなんてのもあった。そうそう肝油ドロップなんてのもあって、一度友達にもらって嘗めたことがあったけど、あれはどうもなじめなかった。

そんなこんなで、小学時代はよく嘗めていた飴だが、中学あたりからしゃぶらなくなった。
両親が飴を嘗めているのを見たことがなかったし、それが大人になることのひとつだったのかもしれない。(ガムはもう少し先まで噛んでいたけど)

まぁ、還暦も過ぎて一周したわけだし、再び飴を嘗める齢になったということで。糖尿の方々(最近わたしの周りに多い)には申し訳ないけど。

ずいぶん前置きが長くなりましたが、本題の飴に関する歌を3つばかり。
まずは、これ。

●下町の太陽 倍賞千恵子
ここでは何かにつけて出てくる(出している)昭和37年の歌。
松竹映画「下町の太陽」の主題歌。初期の山田洋二作品ですね。たしか倍賞さんの初主演で、倍賞さんには出来のわるい兄がいて、子供のころ生き別れになっていたのが、ある日突然舞い戻ってきて……、なんて話ではなかったな。

歌は2番に
♪縁日に二人で分けた丸いあめ
とあります。
つぎは、こんなのも。

●青い瞳のステラ、1962年夏…… 柳ジョージ
これも「下町の太陽に」負けないほどここでとりあげた歌。この歌もとてもノスタルジックな風景が広がるメロディーであり、詞であります。

♪赤いキャンディ 包んでくれたのは 古いニュースペーパー
っていきなり出てきます。
どんなかたちの飴だったのだろう。ステラがくれたのだから、PXかなんかで売っていた舶来品なんだろうな。丸い飴で一個一個透明な紙に包装されていてね。
1962年といえばやっぱり、昭和37年。ギブミーチョコレートの時代ではなかったけれど、いまに比べればはるかにお菓子の種類も少なかった。
さいごは、やっぱりこれかな。

●君に捧げるほろ苦いバラード 荒木一郎
♪ゆきずりの夜に買う綿あめは 君と愛した味がする

粒状の飴ではないけれど、これもよく縁日や夜店でよく買った記憶があります。
お祭りではなくても、縁日や夜店はありました。夏の夜の東京下町の風物詩でした。
文京区の千駄木にはその名残の「よみせ通り」がいまでもあります。

この歌も暗い歌だけど、バンジョーとクラリネットのデキシー風なアレンジがいかしてます。
亡くなった「君」へのレクイエムだけど、実はその「君」が荒木さんの飼っていた愛猫だったということは前回この歌をとりあげたときに書いたような。

ちなみに「綿あめ」が出てくる歌はけっこうあります。
ジッタリン・ジンの「夏祭り」、井上陽水の「夏まつり」、さだまさしの「案山子」、同じくグレープの「ほおずき」なんかが。

ところで、冒頭の電車中で飴をもらった話。
なんで、あの女性は飴をくれたのだろうってことが、なにか腑に落ちない。
母親に席を譲ったお礼に、というのはわかるけど、いい大人に飴などをあげるものだろうか。

それよりも思ったのは、もしかしたら、あの飴をくれた同年配と思しき女性、わたしのことをうんと年下だとおもったのではないだろうかと。
実はそのときのわたしは、ダウンにデイパック、ジーンズにスニーカーという年齢不詳の服装。おまけに正ちゃん帽(っていわないか)を耳が隠れるほど目深にかぶり、さらに大きなマスクをしていた。

だから、かの娘さん、わたしのことを若者と間違えて…………。
なことないか。ないよな。あるわけない。考えが甘い。飴だけに。


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冬の歌●70年代ニューミュージック [story]

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やっぱり日本にはめりはりのきいた四季がありますので、この時期「冬の歌」を聴いてみたいとおもいます。

洋楽から、日本のポップス、歌謡曲、演歌とジャンルはいろいろありますが、今回は70年代のニューミュージックから三曲を。
いずれも70年代前半につくられた曲で、ふりかえれば40年も昔の歌どもです。

当時、自分はなにをしていたのかな。
あちこちフラフラしていたなぁ。いまだってそうか。
しかし、誰でもそうでしょうが、現在の自分のありようなんて、二十歳そこそこの若造には想像すらできっこないですよね。

さ、たそがれていないで、本題の歌を。

まずは「雪」

1972年のヒット曲。ごぞんじのとおり、吉田拓郎の作詞作曲。
なんでも、拓郎の実体験からつくられたという話。
拓郎に「お帰り、坊や」って“言った”のはローカル局のアナウンサーだったとか。

猫は、拓郎のバックバンドをやっていたグループで、いってみれば日本のバーズってとこ。
ただ、もともとはザ・リガニーズの残党で、デビューは拓郎より早い。

2曲目はふきのとう「白い冬」
ふきのとうは北海道出身の男性デュオで、「白い冬」は1974年のメジャーデビュー曲。

日本のS&Gといったらいいすぎですが、今ならゆずやポルノグラフィティとか男性デュオはめずらしくないけど、ふきのとうはそのさきがけ的存在。
少し前のデビューに「クレープ」がいますが、狩人やCHAGE&ASKAよりは古い。もっとも60年代には「ペアスカンク」なんてのもいましたが。

名曲で、坂本冬美や石川ひとみもカヴァーしています。

最後はNSP「雨は似合わない」
これも1974年の曲です。

ヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」の次につくられました。
NSPのほとんどの曲は天野滋の手によるものですが、この叙情曲も天野ワールド全開。

天野滋は2005年に亡くなりましたが、ピックアップしたyou-tubeでは、仲の良かったふきのとうの細坪基佳が“天野役”を演じています。


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三つの歌●アメリカン・オールド・タイミー① [day by day]

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すっかり冬ですね。
今日は用事のついでに、新橋から霞ヶ関方面をブラブラ。
3年ほど前までは、毎月5、6回は通った道なのですが、わずかのあいだに様相がガラッと。というのはいささか大袈裟ですが、大きなビルが2つも変貌をとげていたり、たまに入ったビールのおいしい喫茶店が消えていたりと、大都会も刻々とその“相貌”を変えていることを実感しました。黄色に染まった銀杏並木は相変わらずでしたが。

では本題に。復帰してずっと邦楽が続きましたので、たまには洋楽も聴いてみたい。

洋楽といいましても、いささか広うございますが、この季節ですから……カントリーミュージックということに。春夏秋冬カントリーってね。

今回は、仕事が一段落ということもありまして、ホッとできるヤツを。
どんなのがホッできるのかといいますと、やっぱり昔の音楽というのか、古い歌がなんともノスタルジーを感じるわけでして。

で、思いつくまま選んだ三曲はカントリーといよりは、古い時代のアメリカンミュージック。もちろんカントリーシンガーにも頻繁にうたわれているものです。
では。

青い鳥が鳴いていた I Heard the Bluebirds Sing

はじめはラヴソングを。
君に初めて逢ったときも、教会で永遠の愛を誓い合ったときも、青い鳥のさえずりが聞こえていたね、という幸せソング。
どんなさえずりかって? そりゃ「クッククック」でしょう。

つくられたのは1952年といいますから、昭和でいえば27年、わたしも幽かに存在していた時代。そんなことはどうでも。
もともとデュエットソングとして作られ、その5年後には「谷間に三つの鐘が鳴る」でしられるブラウンズによって世に広められました。

まぁ、アメリカでのデュエットソングの定番。日本でいえば「ギンコイ」とか「トウナイ」(そんな略し方しません。東京ナイトクラブのことです)とかかな。

YOU-TUBEではジョン&ベバリーという知らないお二人さん。
なかなかいい雰囲気でして、ベバリーさんは倍賞の千恵子さんに似てらっしゃる。ジョンさんのほうは、リー・マービンかな、いやマルチェロ・マストロヤンニ……でもないし、クラーク・ケントが老けたような……。とにかくいつかどこかで見かけたような容貌でして。
いいなあ、ツインギターでのハーモニー。

マギー、若き日の歌を When You and I were Young, Maggie

つぎはもう少し古い歌。日本でいえばほぼ明治維新のころ。アメリカではゴールドラッシュ大狂乱時代あたりじゃないでしょうか。

若くして病死した妻への追慕のおもいをうたったもので、これもとてもノスタルジックで。
古き良き時代のアメリカの映像のBGMにつかわれることも多いようです。
また、聖者の行進が葬儀につかわれるように、デキシーランドジャズ風に演奏されてもこれまたぴったりきます。

YOU-TUBEでいろいろ探しましたが、音が悪かったり、いささかクラシックぽかったりと適当なものがなく、結局動画なしの音だけとなりました。
演奏も歌声もなかなか素朴でよいと思うのですが。ヘッドフォンで聴きいっていると胸にジーンときます。

やがていつの日か In the Sweet By and By

最後も以前とりあげた歌。もうネタ切れだね。
でも好きな歌なので、何度でも。

「たとえ別れがあろうとも、いつか天国の美しい水辺でまた逢えるでしょう」という内容で、讃美歌あるいはゴスペルとしてよくうたわれる歌です。

メロディーが美しくかつノスタルジックで、今回のコンセプトにはドンピシャ。
みつけたYOU-TUBEはこれまたまったく知らないバンド。
でもA Southern Gospel Revival というバンド名はいいですねえ。

録音もいいし、素朴な感じで、それでいてノリもいいし、キレもいいし。アメリカには無名でもいい雰囲気のバンドがたくさんあります。

今年も数えるところあと……、という時期になりました。
忘年会、掃除、賀状、定期健診などなど、やらねばならぬことはあまたありますが、最悪、年が明けてからでも、なんて。

ブログはあと1回やっておこうと思っていますが、できなかった場合のために、みなさま今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

 


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●12月2日 [day by day]

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母親が死んで丸2年たちました。

昨日は3回忌、入谷の寺へでかけました。
母は10数年前、父が死んだ直後から物忘れの頻度がたかくなり、脳血管障害から認知症に移行し、長い徘徊からやがて寝たきりになり、どうにか食事、排泄の世話も日常化でき、看護士さんから教わった床擦れの手当てもようやく慣れてきた頃、「もうおまえをゆるしてあげるよ」といわんばかりに亡くなったのでした。

死んだ当初は、介護のことなど思い出したくもなく、冗談半分に「この先、介護されるのはいいけど、もう誰かの介護は二度とごめんだ」などといっていましたが、2年経ってだんだん苦痛も和らぎ客観的に回想できるようになりました。

最近、テレビで認知症介護のドキュメンタリーをしばしば放映するようになってきましたが、いままでは見る気がおきなかったそうした番組も見れるようになりましたし。
「そういえば、オレもやったよな」「そうそう、あれがたいへんなんだよなぁ」「そうか、オフクロにもああしてやればよかったなぁ」
なんて思いながら。

母の歌というと、わたしの子供のころ、音程をはずしながら童謡や唱歌をうたっているのを聞いたぐらいで、青春時代、どんな歌手にあこがれ、どんな歌をくちずさんでいたのか、とうとう聞かずじまいでした。

そこで母と同じ命日の12月2日(1990年)に亡くなった昭和屈指の作曲家・浜口庫之助の名曲を5つばかりセレクトしてみました。

昭和34年(1959)、はじめてのヒット曲となったのが「黄色いさくらんぼ」。
半世紀以上前の流行歌としては画期的なお色気ソング。
たしかラジオでも放送自粛になったはず。

その同じ年に「僕は泣いちっち」という、これまたユニークな言葉づかいのヒット曲を送り出し、ハマクラの名前を世に印象付けたのでした。

その後も、西郷輝彦の「星のフラメンコ」、「星娘」などの青春歌謡、坂本九の「涙くんさようなら」やマイク真木の「バラが咲いた」でのフォーク調歌謡曲、さらにはザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」ではグループサウンズにと、流行歌のトレンドでみごとにその存在感を発揮してきました。

そして、昭和40年代中盤から後半のアイドル歌謡時代 でも、にしきのあきらや、天地真理にヒット曲を提供し、50年代には「夜霧よ今夜も有難う」に代表される石原裕次郎、昭和の晩年である60年代には島倉千代子の「人生いろいろ」をつくり、まさに、昭和のヒットメーカーのひとりとして、その存在感を示しました。

演歌でもなく、ポップスともいえず、歌謡曲の枠から逸脱した、文字どおり「ハマクラ節」で、ファンを魅了したばかりでなく、多くのミュージシャンやその後の流行歌の世界に影響を及ぼした稀有なソングメーカーでした。

では5曲を順不同で。

黄色いさくらんぼ(スリー・キャッツ)
記念すべきファーストヒット曲。
スリー・キャッツはハマクラさんが率いていたラテンバンドの女性ヴォーカルトリオ。たしか3人のうちひとりが1度目の奥さんになったんじゃなかったかな。
作詞はまさか(さもありなんかも)の星野哲郎。

恋の町札幌(石原裕次郎)
詞もハマクラさん。ノスタルジックな編曲は川口真。
「粋な別れ」もいいけど、裕次郎ではこの歌がベスト。

ちいさな恋(天地真理)
めずらしく安井かずみと組んだ一曲。天地真理では「想い出のセレナーデ」とともに好きな曲。
どうしているんでしょうか白雪姫は。

燃える大陸(渡哲也)
哲兄ィの主演映画主題歌。
フェヴァリットソングのひとつです。

みんな夢の中(高田恭子)
高田恭子は元関西のフォークシンガー。
この歌を好きな人はけっこう多い。亡くなった演出家の久世光彦が死ぬ間際に聴きたい曲というコンセプトで「みんな夢の中」というタイトルの本を書いていました。

12月はどこか死のにおいがつきまとう。

伯母さんつまり母の姉2人が死んだのも12月、そして私の尊敬していた大先輩が亡くなったのも師走でした。
まだ12月ははじまったばかり、除夜の鐘を聞くまでにもしかしてだれかが……。身近で可能性があるのは、あの人だろ、それにあいつも、もしかしてあの人だって……。
まてよ、他人のこといってる場合じゃない。
なことを、昨日お坊さんのお経を聞き流しながら考えていました。


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三つの歌●島倉千代子カヴァー [day by day]

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仕事がいちだんらくしたので、夜な夜なお千代さんのYOU-TUBEなど見ています。

付き合いが長かった(一方的のですが)だけ、喪失感がいまだ去りません。

先週のTVのニュースはお千代さんの訃報であふれていましたが、週が変われば誰も名前すら口にしなくなるのでしょう。あたりまえのことですが。

チヨニスト(そんな名称ないか)としては、せめてブログでその歌を流していきたいと思っております。

今回は前回すこしふれたのですが、彼女のカヴァーを。
ほかの歌手がお千代さんの名曲をうたうというものもいつかやりたいと思っていますが、今日はお千代さんが、カヴァーソングをうたうという趣向。

カヴァーアルバムはいくつか出しております。
カヴァーアルバムを出せるというのは歌のうまい証拠。

今回は三つの歌ということで三曲を厳選(でもないな)してみました。

●無法松の一生(度胸千両入り)

やっぱり古賀メロディーははずせません。
フェヴァリットソングということでは、戦前の「緑の地平線」や「人生の並木路」もいいのですが、彼女のオリジナル曲としては絶対ありえないだろうとう、昭和30年代につくられたこの歌を。

神野美伽や島津亜矢もうまいけれど、お千代さんがベスト。
そのそこはかとなく染み出てくる情念がすばらしい。村田英雄には絶対ない味。絶品。


●愛国の花

これは戦前の歌。
はっきりいって軍歌なので、その歌詞にいささか抵抗がないわけではありませんが、日本の女性を桜、梅、椿、菊と四つの花にたとえた詞はなつかしい。
なにより古関祐而のワルツがすばらしい。
クラシックの香りがただよう渡辺はま子もいいけど、お千代さんの可憐な歌唱も泣かされます。

●都会の天使たち

最後は、男運のわるかった(失礼なことを)お千代さんのために、デュエットソングを。
もっとオリジナルでもデュエットソングをうたってもらいたかったなあ。カママトトとーくがまたいいんだ。


前回、彼女の洋装が印象に残っているといいましたが、そんな画像がありました。
わたしのイメージとはかなり違っていましたが、それはそれでもうひとりのお千代さんが見れるということで、おまけということにしてみました。

ではまたいつか。


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その名は●島倉千代子 [the name]

 島倉千代子.jpg

仕事の忙しさがピークにさしかかっておりますが、そんなこといってられません。
なんとか合間をこじあけて、このブログを書いております。

お千代さんが亡くなりました。
この時世、75歳はいささかはやすぎますね。

ここ2、3日歌謡曲の懐メロが聴きたい気分になって、仕事をしながら好きな30年代の
歌謡曲を自制したCDを聴いておりました。
そのなかにもちろん島倉千代子さんの「この世の花」が入っております。

「この世の花」はわたしを歌謡曲の世界に誘ってくれた、わたしの中では記念すべき曲。当時わたしは5歳。
「東京だよおっ母さん」もいい、「東京の人さようなら」もいい、「からたち日記」も、「逢いたいなァあの人に」も、「恋しているんだもん」もいいなぁ。
守屋浩とのデュエット「星空に両手を」もいいんだなぁ。

カヴァー曲だって。
吉田メロディーの「再会」、鈴木メロディーなら「女の意地」、梶芽衣子の「怨み節」もよかった。そういえば陽水の「夢の中へ」もレコーディングしていたっけ。

鈴木メロディーの「赤坂の夜は更けて」は競作のオリジナル曲。
お千代さんといえば、着物姿だけど、いっときテレビでも洋服の衣装で出ていたことがあった、記憶がゆがんでしまってりいるかもしれませんが、ワインレッドのスカートがとても新鮮で印象的でした。膝うえぐらいのね。
「愛のさざなみ」をうたっていた頃でしたか。

美空ひばりとは好対照でした。
ありがちな比較ですが、美空ひばりが太陽ならば、お千代さんは月。
花にたとえれば、ひばりが薔薇、お千代さんは、からたちといいたいところだけど、水仙じゃないでしょうか(ちがうかな)。

晩年は、仕方ないのだけど声がでなくなっておりました。
それでも舞台に立つという心意気には拍手をおくるべきなのでしょうが、いささか悲しいことでもありました。

それでも、やっぱり今後、テレビでもライブでは見られないとなると淋しいことです。

なんとなく今、聴きたい歌を五つ選んでみました。
お疲れさまでした。ありがとうございました。

●この世の花
何度聴いても飽きません、とりわけデビュー当時の声色が最高。西條八十の得意な純情乙女が描かれています。

●逢いたいなァあの人に
お千代さんの“泣き節”全開。昭和30年代主流だった都へ行ってしまった「いい人」を思う故郷ソング。作曲は「美貌の都」や「東京のバスガール」の上原げんと。20年代、30年代のコロムビアのヒットメーカー。

●恋しているんだもん
こういうチャンチキぶりもいいもんです。曲は市川昭介、詞は西沢爽。都はるみにカヴァーしてもらいたい。

●星空に両手を
めずらしいデュエットソング。北原謙二とのもありましたが、これが極めつけ。お相手は守屋浩。作曲は守屋の「長いお下げ髪」の神津善行。

●夢飾り
昭和の終わりころにつくられた歌。作曲が「そして、神戸」や「舟歌」の浜圭介なので、いささかポップな感じになってます。ここからハマクラさんの「人生いろいろ」に続いていくのでしょうね。

Mashi☆Toshiさん、前回でのnice!をありがとうございました。

画像認証なんてものが新設されたようで、それ読めないときてます。そこでこの場をかりて返信させていただきました。

 


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その名は●岩谷時子 [the name]

その名は●岩谷時子

君といつまでも.jpg

ブログを復活させて、月に1~2回書こうかなと考えていたのに、まさか1日に2度も書くことになるとは。

岩谷時子さんが亡くなられました。
97歳と聞けば、よく長生きされたなというのが実感です。

いつものように独断でフェヴァリットソングをセレクトしてご冥福をお祈りしたいと思います。

●サン・トワ・マミー

なんといっても越路吹雪への歌詞提供がいちばん輝いている。そのほとんどはシャンソンの訳詩というかたちで。
何年か前に出た彼女の歌詞集のタイトルにもなっている「人生は過ぎゆく」がいちばんふさわしいと思ったのですが、YOU-TUBEに音のいいものがみつからず、アダモのなかではいちばん好きな「サン・トワ・マミー」を選んでみました。

●恋は紅いバラ 

加山雄三のナンバーワンヒットの「君といつまでも」をはじめ、「夕日は赤く」「蒼い星くず」「お嫁においで」「霧雨の舗道」「幻のアマリリア」など若大将とのコンビのヒット曲はあまたありますが、女性の作詞家が男歌でヒットを連発するのはめずらしい。

ほぼ同時期には「青春をぶっつけろ」をはじめ熱血スポーツ教師ドラマの主題歌もてがけていました。布施明の「これが青春だ」をはじめ、竜雷太、浜畑賢吉が主演したシリーズの主題歌の作詞も彼女で、主演俳優がそれぞれうたっていました。

また郷ひろみにも、デビュー曲「男の子女の子」をはじめ「花とみつばち」「裸のヴィーナス」など数曲書いています。

●夢見るシャンソン人形

昭和30年代中頃から後半にかけてのカバーポップスブームで、多くの名訳詞をしてみせた女性作詞家が岩谷時子と安井かずみ。
この二人が女性作詞家の草分けとなります。

岩谷作品で当時いちばん流れていたのは、おそらく森山加代子の「月影のナポリ」でしょう。田代みどりの「ビキニスタイルのお嬢さん」もよく聴こえていました。
今回はフランス・ギャルをミッチー・サハラがカヴァーした「夢見るシャンソン人形」。

ミッチー・サハラは10年ほど前でしょうかハワイから訃報が伝わってきました。声がきれいで歌がうまく、ハーフシンガーのさきがけでした。

●ふり向かないで

ちょうどそのカバーポップス全盛時に、これまた亡くなった宮川泰と組んでつくったのが、ザ・ピーナッツのヒット曲の数かず。
なかでもいまだに多くのシンガーにカバー曲として歌い継がれているのが「恋のバカンス」。日本のオリジナルポップスの原点ともいうべき歌です。

今回アップしたのは「ふり向かないで」。
黒い靴下や、タータンチェックのスカートをなおしているから振り向かないでね、という歌詞には、子供ごころをドキドキさせられたものでした。今考えてもスゴイ歌詞です。

●瞳とじれば

岩谷時子のコンビ(作曲)としていちばんはじめに思い浮かぶのはいずみたく。
ヒット教を多く出したという意味では、やはりピンキーとキラーズでしょうか。
デビュー曲の「恋の季節」をはじめ、そのヒット曲のほとんどはこのコンビで。

ほかにも、「夜明けのうた」(岸洋子)、「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)、「ベッドで煙草を吸わないで」(沢たまき)、「太陽のあいつ」(ジャニーズ)、「太陽野郎」(バニーズ)、前述した「これが青春だ」(布施明)などヒット曲は綺羅、星のごとく。

そんななかでも何度聴いても飽きないのが、わがアイドル(のひとり)だった倍賞千恵子の「瞳とじれば」。

フェヴァリットソングが、とても5曲ではおさまらないヒットメーカーでした。
またいずれの日にか続編をということで、取り急ぎまとめてみました。

日々の生活の中で、岩谷作品からたくさんの潤いをいただいたのは、わたしだけではないはずです。
岩谷時子さま、ありがとうございました。お疲れさまでした。


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●三つの歌 秋はフォルクローレ [day by day]

●三つの歌 秋はフォルクローレ

ウニャ・ラモス.jpg

ようやく秋になりました。
長時間歩いていても汗をかかないし、日向の道で建物の陰を探すこともないし。

秋は空が、青空が美しい。
そんな清涼な空を見ていると、脳内蓄音機から聴こえてくるのはなぜかは知らねどフォルクローレ。
「花祭り」や「コンドルは飛んでいく」に代表される南米の民族音楽。

 

そんなフォルクローレを3曲。今回はすべてインストで。

まずはじめは、昔よく聴いていたロス・インカスの「カラウアジョの思い出」
ロス・インカスはアルゼンチーノを中心とした民族楽団で、今はしりませんが、当時(っていつよ?)はヨーロッパで活躍していたとか。
「カラウアジョの思い出」の元歌はペルーの民謡で、カラウアジョとはペルーの村あるいは地域の名前だとか。

当時の(またですが)レコードの解説にはカラウアジョの場所は不明と書かれていました。誰も知らない「村」とは。
もしかしたら桃源郷なのかも。
そこへ迷い込んだ男が、まるで竜宮城の浦島太郎よろしく、悦楽の日々を過ごし、やがて生まれ故郷へ戻ったが、カラウアジョのめくるめく日々が忘れられず、再び訪ねてみたが二度とたどり着くことはできなかった。

そこで男は、カラウアジョの黄金の日々をいつまでも記憶に留めようと、旋律として残した。

なんて、空想を呼び起こすような曲です。チャランゴとケーナの調べが美しい。

2番目は、フォルクローレの代表的な楽器のひとつ、ケーナの1曲を。

ケーナといえば、日本ではウニャ・ラモス。
ウニャ・ラモスといえば彼の作でもある「灰色の瞳」ですが、今日はこれもファンにはおなじみの「忘却の種子」という曲を。

印象的なタイトルの意味はわかりませんが、ライナーノーツにはウニャとギタリスト、ラミレス・トーレスとの合作で、タキラリというリズムの曲だとか。ボリビアではダンス音楽としても人気だとも。

最後は、パラグアイを中心にフォルクローレで多用される楽器「アルパ」の演奏で。

日本のアルパの草分けといえば亡くなられたチコ本間。
「コモエスタ赤坂」や「別れても好きな人」で知られるロス・インディオスに在籍していました。ちなみに、ロス・インディオスは元来アンデス音楽のバンドだったそうです。

かの名作、名曲である「八月の濡れた砂」のイントロや間奏でアンニュイな雰囲気を醸し出しているアルパの調べはたしか、チコ本間の演奏だと記憶しています。

そのチコさんの弟子でいまや日本のアルパの第一人者といえるのが、ボリビア生まれのルシア塩満。

その代表的なフォルクローレといえば「鐘つき鳥」や「カスカーダ」。
ですが、ひねくれ者のわたしは「八月の濡れた砂」を聴いてみたい。
しかし、残念ながらYOU-TUBEにはない(彼女のCDには収められています)。

そこで、体操の白井健三クンには及びませんが、2回ひねりの荒業を。

その結果がジャズピアニストの松岡直也がつくった名曲「薔薇ホテル」

ところで、毎年秋口に香ってきたキンモクセイはどうなっているのでしょうか。
もう終わっている? これから?
それとも去年の夏に引っ越したので、今いるところがキンモクセイの匂わない環境なのかな。
どちらにしても、束の間の秋が来ていることには変わりはないのですが。


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その名は●岡本敦郎 [the name]


有馬稲子.jpg

岡本敦郎さま、素晴らしい歌をありがとうございました。


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TOKYO●銀座② [a landscape]

雨の銀座.jpg

電柱に 止まりそこねて 暑さかな

いやぁ暑い日々が続いております。

こんなときは一日冷房のきいた部屋で過ごすのがいちばんなのでしょうが、そうもいきません。
徘徊老人は今日も逝く、じゃなくて往く。
場所と時間によっては目の前に続く道に日蔭がまったくなかったり。
ハレーションを起こさんばかりの道が延々と数百メートルも続いている。

若い頃だったらへのかっぱ。
でも、歳ですねぇ。普段曲がらない角を曲がっての日蔭探し。
結局は遠回りになって、陽射しを浴びる時間もさほど変わらなかったりして。

で、こんな酷暑の昼日中、銀座といえども人出は少ないんじゃないんでしょうかね。実際に行っていないのでわからないけど。

いまと比べてはるかに冷房のある店も少なかった昔の銀座。銀ブラ連はいかにしていたのでしょう。デパートや喫茶店あるいは、昼日中でもビヤホールなんかに避暑していたのでしょうか。
そして、日が落ちる頃、“お二人さん”は心地よい川風(昔は高層ビルもないから風通しもよかった)に吹かれながらメインストリートを一丁目方向へ、あるいは八丁目方向へそぞろ歩いて行ったのでしょうか。夜店の名残の屋台をひやかしながらね。

昭和40年代の初めの頃でしたか、銀座で生まれて初めて散水車なるものを見たのは。ということは確実に真夏ですね。今でもこの時期、散水車が出てるのでしょうか。数年前、四谷で見かけたから“健在”かもしれません。

ちょうどその頃、中学生のわたしは血のつながらない2歳上の“兄貴”のお供で銀座へ行ったことがありましたっけ。
そしてそこで兄貴は、ちょっと年上のキレイなお姉さんに声をかけられ、「イカしてる」だの「イイ靴はいてる」だのおだてられ、安っぽい紙製の映画鑑賞クラブの会員証と引き換えに、小銭を巻き上げられたのでしたっけ。

そんな40年代、歌謡曲の“聖地”として銀座はいまだ健在でした。
そんなわたしの中学時代である昭和40年代初頭に発売されたザギン・ソングをいくつか。

銀座ブルース 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
4月にリリースされたマヒナ・フィーチュアリング・レディの1曲。
レディはもちろん松尾和子。

松尾和子&マヒナといえば、昭和34年のレコード大賞曲「誰よりも君を愛す」がありますが、39年にはこれまた大ヒットとなった「お座敷小唄」も。

「銀座ブルース」はそれを受けてのレコーディング。もちろん大ヒットとなりました。
色っぽい松尾の和子姐さんはムード歌謡の女王でした。

設定はクラブのホステスと客。
この頃からこういう設定が多くなってきたような気がします。
右肩上がりの景気によって、サラリーマンにとって銀座のクラブやバーがサラリーマンにとってもさほど難攻不落の場所ではなくなってきていたのでしょうか。
もちろん、接待したりされたりの社用族ではありましたが。

それでも夜の蝶とお近づきになり、あわよくば……、なんて男ごころをくすぐったのでしょうね、こうした歌が。

この頃あたりはまだ「ムード歌謡」とは呼ばれていなかったと思いますが、その雰囲気十分で、この曲ものちにその範疇に入れられることになります。

ビクターといえば吉田メロディーですが、この歌の作曲は鈴木道明。ということは競作だったのかな。松尾&マヒナ以外の記憶はありませんが。

どこかジャジーな感じのするいかにも鈴木道明らしい曲で、アレンジもその線の寺岡真三

ちなみに鈴木道明の“東京関連”ヒット曲としては、ほかに「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」「赤坂の夜は更けて」が。

二人の銀座 山内賢、和泉雅子

「銀座ブルース」とほぼ同時期に発売されたベンチャーズのヒット曲。
このブログでも何回かとりあげた記憶がありますが、作詞は永六輔
ついでにいうとアレンジは第一人者で作曲家でもある川口真

歌詞に出てくる「みゆき通り」は銀座の5丁目、6丁目、松坂屋本店の裏通り。
この歌がヒットする2年前、つまり東京五輪が開催された昭和39年、みゆき通りあたりにロングスカートやコッパンにズック、手には大きな紙袋といういでたちの男女が出没しました。彼らは「みゆき族」と呼ばれていましたが、オリンピックが終わり、秋風が吹くころにはどこへともなく……。
わたしのそばにもみゆき族の“兄貴”がいましたが、それはまたいつか。

ごぞんじのように山内賢は昨年亡くなりました。
そろそろ一年が経とうとしております。

数年前までナツメロの番組でよく二人の姿をみかけました。
あまり歌のうまくないマコさんでしたが、銀座育ちということもあってか、この歌はよくうたっていました。

でもこのうたはやっぱり彼、山内賢の歌であり、マコさんにはわるいけど、代打はきかない。だからマコさんもテレビで歌う機会がなくなっちゃうかも。さみしいこってす。

それにしても、北原三枝、芦川いずみ、浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子、松原智恵子……すごかったなぁ日活。(忘れちゃいけない太田雅子

雨の銀座 黒沢明とロス・プリモス

最後はムード歌謡コーラスの草分け。
わたしの記憶ではムード歌謡という言葉がつかわれ始めたのは、黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」からだったような。

リリースは昭和41年4月のことでした。
この1曲でロス・プリモスは全国区に。

♪七色の虹が 消えてしまったの
恋をなくした女性の歌ですが、聞きようによってはホステスさんの嘆きのようにも。
そんなところが、夜の蝶や、そのハンティングに夜な夜な彷徨う男どもに受けたのかもしれません。

「雨の銀座」は二番目のヒット曲。
銀座の街角で雨に濡れながら、おそらく来ないだろう彼を待つという、いかにも淋しい、歌謡曲にはうってつけの歌。

実はこの歌のリリースが、42年の11月。
ということは、つまり「ラブユー東京」が発売されてからヒットするまでに1年以上かかったということ。今の時代じゃ考えられない。……演歌ならあるか。

作詩は富樫政子
当時よくあった芸能雑誌の作詞コンペでの入選者。
その「涙でしあわせを」はロス・プリモスのシングル第二弾。
そのあとお嫁にいってしまったのか、フェイドアウト。

作曲は「ラブユー東京」に続いて中川博之
CMソングをつくっていた人で、歌謡曲デビューは「ラブユー東京」。
プロ野球でいったら、初打席でサヨナラ満塁ホームランを打ったようなもの。

でもビギナーズラック(一発屋ともいう)ではなかった証拠に、ロス・プリモスではやはり銀座ソング「たそがれの銀座」「恋の銀座」それに「さよならは五つのひらがな」があるし、それ以外でも「夜の銀狐」(斎条四郎)、「さそり座の女」(美川憲一)、サザン・クロス「足手まとい」「意気地なし」「好きですサッポロ」などヒット曲を多発。ムード歌謡をけん引したひとり。

YOU-TUBEの「雨の銀座」がすべてガセだったので、「たそがれの銀座」他をどうぞ。

雨……雨……雨……
雨は林檎の香のごとく
冬の銀座に、わが胸に、
しみじみとふる、さくさくと。

古い本のなかから見つけた北原白秋の詩「銀座の雨」の最後の一節です。

それにしても暑かった。
今日は銀座は銀座でも戸越銀座、五反田あたりを徘徊してまいりました。

こんなに暑いとシャワーというか、雨のひとつも乞いたくなります。
「戸越銀座の雨」なんてね。

残念ながら雨は降りませんでしたが、その代わりびっくりするものが降ってきた。
それがなんと蟬。

落下したというより、まさに天から降ってきた感じでアスファルトに激突。
実は昨日も同じ光景に立ち会いました。
なもので、もしかしたら、蝉の“集中豪雨”が来るかも、などと怖れながら空を見上げましたが、その心配はないようでした。蟬しぐれってヤツですね。意味が違うか。


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TOKYO●銀座① [a landscape]

銀座パレード.jpg

今日銀座をオリンピックのメダリスト(だけじゃないけど)たちがパレードしました。

テレビのニュースで見ましたが、ものスゴイ人で。嘘か実か50万人だとか。
数年前にも読売ジャイアンツの祝勝パレードがありましたが、いいですよねこういうハデでノーテンキなイヴェントは。
平和な証拠。大事件があったり、大災害があれば自粛自粛で即中止。
“お祭り”ができるということは幸せだと思わなくては。全般的には。

銀座のパレードというのは、以前はよく行われていたようです。
とりわけテレビ前史である戦前とか、昭和20年代などは、行かなきゃ見れない祝賀パレードってなわけで、多くの見物客が集まったとか。

当時の花型スポーツのひとつだったボクシングなど、対戦する外国人選手と日本人選手が別々のオープンカーに乗って、試合前の宣伝を兼ねたお披露目をすることもたびたび。
それが世界タイトルマッチならいざしらず、いまじゃテレビの生放送さえしないという東洋タイトルマッチクラスでも“銀パレ”(こんな略し方ありません)し、そこそこの観衆が集まったそうです。

そんなわけで今日はとり急ぎ、東京シリーズ(やってんのかよ)は銀座の第一回目を。

銀座がタイトルにつく歌、あるいは歌詞に銀座が出てくる歌は“ご当地ソング”ではもちろんナンバーワンの多さで、ある本によればそれは1000曲以上だとか。そうかもしれないなあ。いやんなもんじゃないかも。
J-POPはほとんど知らないけど、原宿、渋谷は出てきても銀座は出てこないだろうなぁ。というより歌詞に地名を入れるのがもはや“ダサイ”のかもしれない。

それはともかく、そもそも銀座の歌の第一号は、「銀座雀」という歌。
大正八年に楽譜が出版され、十四年に鳥取春陽によってレコーディングされています。
作曲はかの中山晋平、作詞は劇作家の鈴木善太郎

森繁久彌の名唱で「銀座の雀」という歌がありますが、これとは別。
残念ながらYOU-TUBEにはないようで、

その後、モダンボーイ・西條八十が当時の銀座をみごとに活写した「当世銀座節」「東京行進曲」がでてくるのですが、それは後回しにして、今日は昭和30年代にヒットした“銀座の歌”を3曲。

銀座の蝶 大津美子 昭和33年

昭和30年の「東京アンナ」に次ぐ大津美子の大ヒット曲。
銀座の蝶とはバーやクラブ、キャバレーのホステスのこと。今では常識なのでしょうが当時としてはとても新しい言葉。
命名したのは作家の川口松太郎。雑誌の連載した銀座のホステスを描いた小説「夜の蝶」からそういわれるようになったとか。

流行歌が好んで描く女性の職業と言えば「水商売」。
彼女たちは一見派手で、バックグラウンドにはなにかいわくがありそうで、かつまたラヴアフェアー必至となれば、やっぱりヒロインになってしまうのでしょうね。

「銀座の蝶」の作詞作曲は横井弘桜田誠一。キングの主力で、ふたりのコンビとしては「川は流れる」(仲宗根美樹)や「君が好きだよ」(佐々木新一)などがある。

銀座九丁目水の上 神戸一郎 昭和33年

「銀座の蝶」とほぼ同時に発売されてヒットしたのがコロムビアの若手ナンバーワンだった神戸一郎のこの歌。

ロンドン五輪メダリストたちは中央通りを銀座一丁目から八丁目までパレードしたわけですが、九丁目は行かなかった。というか九丁目などはじめから存在しない。

作詩の藤浦洸がしゃれて八丁目の先の汐留川(これもいまはなく高速道路になっている)のことをいったもの。作曲は神戸の師匠の上原げんと
「別れたっていいじゃないか」ほか神戸のヒット曲以外でも、「東京の花売り娘」(岡晴夫)、「港町十三番地」(美空ひばり)、「逢いたいなァあの人に」(島倉千代子)、「東京のバスガール」(コロムビア・ローズ)、「美貌の都」(宝田明)などヒット曲は多い。

昭和33年は長島茂雄がジャイアンツに入団した年で、秋には現天皇、皇后のご成婚が発表されるなど、明るい話題で盛り上がってました。ほとんど記憶にない。

フランク永井の「西銀座駅前」もこの年で、同じく「有楽町で逢いましょう」も前年つまり32年の暮れに発売され、この年の大ヒットとなった。
しかし、西銀座(駅)はもはやなく、有楽町も銀座っ子にいわせると、「一緒にしないでくれ」とのことなので、番外としました。

銀座の恋の物語 石原裕次郎、牧村旬子 昭和36年

かつてのカラオケ・デュエット曲の定番。
「東京ナイトクラブ」(フランク永井、松尾和子)と双璧でした。

裕次郎主演で映画にもなった「銀座の恋の物語」。
わたしも観ましたが、この歌が主題歌となった映画は、実はその1年前に封切られたやはり、裕次郎主演の「街から街へつむじ風」だとか。

それがこの曲ばかりあまりにもヒットしてしまったので、アナザストーリーをつくって映画化したのだとか。
牧村旬子はいまでは、「じゅんこ」になっているそうだが、当時は「みつこ」だった。
「旬子」を「みつこ」と読ませるのは定着しなかったようです。むりだよ。

「みっちゃん」は元々キャンプなどで洋楽をうたっていて、17歳でテイチクにスカウトされ、いきなり裕次郎の相手役に大抜擢。
しかし、あまりにもこの歌のイメージが強すぎたのか、のちのヒットには恵まれていない。

♪心の底まで しびれるような
と牧村の声ではじまる歌に、「ふつう裕次郎からだろう」と、はじめレコード会社も異論を唱えたが、作詞の大高ひさおが「歌の流れからどうしても女性が先」と譲らなかったとか。
大高ひさおといえば、エト邦枝の「カスバの女」もそう。

作曲は日活の映画音楽を担当した鏑木創(はじめ)。
やはり日活映画の主題歌「男の怒りをぶちまけろ」(赤木圭一郎)がそうだし、テレビドラマの主題歌「少年探偵団の歌」も(勇気凛々ではないほう)つくっている。

昭和30年代なかばの銀座。
夜の蝶たちの生活には翳の部分もあったでしょうが、なんとなくそこにはまだ“純情”という言葉が生き残っていたような気がします。歌を聴くと。

経済成長の恩恵を受け、銀座の景気もどんどん良くなっていきます。それにつれて街の様子も外観ばかりでなく、変わっていきます。
次回はそんな昭和40年代の銀座へ行ってみよう、と思っています。


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三つの歌●ボクシング [day by day]

②村田ロンドン五輪1勝.jpg

村田諒太がやってくれました。

準々決勝あたりから接戦続きで、運もありましたが、それを味方にするのもチャンピオンになる条件。

報道で繰り返されていますように、東京オリンピックの桜井孝雄以来、48年ぶりの金メダルで、銅メダルの清水聡ともども久びさにアマチュアボクシング界が盛り上がり、注目を集めています。

村田のなにが超快挙かというと、まずミドル級での優勝。
ミドル級はその名のとおり、世界では中量級なのですが、日本では重量級。
中量級は最もスピードと迫力が反映されるクラスで、体格的にも世界で最も層が厚い、つまり強豪がひしめいているといわれています。

日本人で、プロの世界であまたいる世界チャンピオンでも、ミドル級クラスになると数えるほどしかいないことでも日本人が中量級で頂点に立つことのむずかしさを証明しています。

もうひとつは桜井孝雄のように地の利をいかした地元開催ではなく、異郷の地での優勝ということ。
はじめに接戦といいましたが、試合を見ていて(みびいきは多少あるけど)ジャッジが村田というか東洋人に厳しすぎる傾向があるような気がしました。そのなかでの金メダルですからさらに価値がある。

かつての桜井孝雄はもちろん、ローマの田辺清、メキシコの森岡栄治を見てきた人間としては、まさか一度に二人もメダリストが誕生するとは考えも及びませんでした。

とにかく村田、清水の快挙はそれだけを“肴”にして一杯呑めるほどの“旨さ”でした。

それにしてもロンドン大会は過去最多のメダル獲得数だそうで、まぁ、大健闘といえるのではないでしょうか。ただし金が少なかった。
事前の識者の予想でもほとんどが10数個というもので、わたしも柔道であと3~4個を期待していました。

しかし、金メダル7個のうち6個までが格闘技というのもスゴイ、というか偏りすぎ。

日韓サッカーの3位決定戦で韓国選手の試合後の政治的デモンストレーションが問題になっていますが、ほぼオリンピックは何事も無く終了しました。
次のリオが待ち遠しい、って気が早すぎるか。

とにかく村田の快挙はひさびさにこの数日間心たのしくさせてくれる出来事でした。

その金メダルを祝して、今回はボクシングに関する歌を三つ。

日本でいえばまぁ、一番人気が「あしたのジョー」のテーマでしょうが、二番、三番が出てきません。
たとえばマニー・パッキャオのように歌うチャンピオンというのも日本ではあまり聞きません。
具志堅用高あたりCDを出しているような気もしますが、知りません。

唯一知っているのは伝説のボクサー・ピストン堀口が戦前にレコーディングした「リングの王者」という歌。何度か聴いたことがありますが、およそボクサーとは思えない(どんなイメージだ)やさしい声でした。作曲は売れっ子古賀政男。

そんなわけで邦楽はあまりでてきそうもないので、いくらか知ってる洋楽を。

洋楽でもっとも知られたボクシングミュージックといえば、なんといっても映画「ロッキー」のテーマ。いまだにスポーツ番組やバラエティで使われているぐらいポピュラー。ただしこれはインストなのでパス。

つぎに有名(だと思う)なのはサイモンとガーファンクルSimon & Garfunkelの
「ボクサー」 The Boxer

都会に出てきた貧しい青年の苦闘の日々と哀感を、打たれつづけながらもいまだ戦いをやめないボクサーにたとえて歌っている。
Lie la lie ……
というリフレインが印象的かつ象徴的。

1969年に発表された曲ですが、若者が都会に出てきて戦いつづける(負けることの方が多いのだが)という構図はいまも変わらないような気がします。

カヴァーするシンガーも多く、カントリーではエミルー・ハリスアリソン・クラウスなど女性がお気に入り。

次はボブ・ディランBob Dylan 。

ボブ・ディランのボクサーといえば、殺人容疑で投獄された元ミドル級ボクサー、ハリケーン・カーターの無実を訴えた「ハリケーン」Hurricane でしょう。
映画化もされ、この歌の力だけではないですが、その後ルビン・カーターは無罪釈放されています。

しかし、この歌は以前とりあげたので、今回はもうひとつのディランのボクシングミュージックを。
誰がデビー・ムーアを殺したか Who Killed Davey Moore

これまた「殺人」の歌ですが、「ハリケーン」のような犯罪ではなく、リングの中での「殺人」つまり「リング禍」をうたったもの。

1963年に行われた世界フェザー級タイトルマッチで起きた事故。
チャンピオンはアメリカのデビー・ムーア。チャレンジャーはメキシコのシュガー・ラモス。

どちらも日本でタイトルマッチを戦ったことのある名ボクサーです。

試合はラモスのTKO勝ち。
負けたチャンピオンはその後死亡。原因は最後の10ラウンドに挑戦者のパンチを受けてダウンし、そのとき後頭部をロープにぶつけたことといわれています。

ダウンを喫したムーアは立ち上がったもののグロッギー。にもかかわらず、レフリーは試合を続行。そのことも後日問題になりました。

とにかくこの世界戦での「リング禍」は社会問題となり、ディランも無視できず歌をつくったというわけでしょう。

その後、リングのロープが三本から四本になったり、硬いスチール製から緩衝性のある素材に変えたりと、ボクサーの生命を守る対策が講じられるようになりました。しかし、それでも「リング禍」が完全になくなったわけではありません。

三曲目も、やはり「ボクサーの死」にまつわる歌。

といってもこちらはリング禍ではなく、飛行機事故で死んだチャンピオンの歌。
チャンピオンはマルセル・セルダン。こちらも村田諒太やハリケーン・カーターと同じミドル級の世界チャンピオン。

うたったのは彼の恋人だったエディット・ピアフEdith Piaf 。
といえば御察しのとおり歌は
愛の賛歌 Hymne a  l amour

♪あなたの燃える手で わたしを抱きしめて
という越路吹雪の名唱、岩谷時子の名詞でしられています。
原詞は「天が落ちようと、地球が割れようと あなたさえ愛してくれれば かまわない」
「あなたのためなら 盗みだってするし 国を捨てたっていい」 というさらに激しいもの。

ピアフは、激愛していた恋人の死後、失意のなかでつくったといわれています。
マルセルの乗った飛行機はニューヨークで公演中のピアフに逢いにいくための便。ピアフが「迎えに来て」といったという話も。
ピアフの嘆きが大きかったわけは、そのことへの後悔があったからかもしれません。

でももし、マルセルが事故に遭わなかったら「愛の賛歌」は誕生しなかったかもしれない。
皮肉なことです。

最後にもういちど村田諒太選手の話題を。

どうしても気になるのが「プロ転向」。
かつてのメダリスト3人は、金メダルの桜井孝雄をはじめすべてプロの道を選んでいます。
3人ともプロで金メダルは獲れませんでしたが、好成績をのこしています。

で、村田選手にもそうした勧誘はこれからもあるはずで、契約金も億単位になるかもしれません。「プロ入り」すれば必ず世界チャンピオンになれると太鼓判を押す現役世界チャンピオンもいるほど。
ただ、村田選手にはいまのところ(これが重要)プロへ行く気はないようで、自分に続くアマ選手を育てたい、というのが希望だとか。

個人的には彼がいうとおりアマチュアの世界にとどまってほしい。
今はそういうことはないでしょうが、桜井がプロ入りしたときはトラブル(アマだけですが)になりました。
やはり、アマチュアの世界でいつまでも褪せない「輝ける星」、伝説のボクサーになってほしいというのが願望です。

最近亡くなったオリンピックを三度制したキューバのステベンソンはアメリカからのプロへの勧誘を最後まで断り続けアマに徹しました。プロへ転向し、モハメド・アリとの試合が見たいというファン(わたしもそう)も多かったのですが、自分の意思をつらぬきました。それはそれでカッコよかった。

村田選手は現在、自身在籍した東洋大学の職員であり、同ボクシング部のコーチをしているそうなので、それを続けてほしい。そして有能な指導者になって次なるゴールドメダリストを育ててほしい。

聡明そうな奥さんには、キッチンの冷蔵庫に貼るポスターに「プロで世界チャンピオンになりました」などと書かずに、「金メダリストを育てました」という未来予想をしていただきたい。


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三つの歌●Three Country Girls [day by day]

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福原愛、石川佳純、平野早矢香の卓球三人娘は頑張ったね。はたして銅メダルが取れるだろうか、と思っていただけに銀は大健闘。

数日前のマラソン三人娘は残念(とはいえ予想通り)だったけど、アーチェリーでも早川漣、蟹江美貴、川中香緒里の洋弓三人娘が大殊勲をあげましたし。
世はただいま、幾たびかの「三人娘時代」をむかえております。んな、いいかげんなことを言ってはいけませんが。

ところで「東京の歌」もこれだけ続けると飽きます。
負け惜しみ気味でいえば、まだまだネタはあるんですけど。

ちょっと休憩して、きょうは「三人娘」がキーワード。

三人娘といえば元祖は美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの「ジャンケン三人娘」。
ちょっと古すぎるか。

なら、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの「スパーク三人娘」。
たいして変わらない?そうか。

じゃ、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の「アイドル三人娘」でどうですか。
ダメ? それじゃ、山口百恵、桜田淳子、森昌子の「花の中3三人娘」なんかは。

……もはやそういう時代ではないのかな。
最近聞かないものね、三人娘なんて。
AKBなんて48人(ちがう)だもんね。四十八人娘なんて……。

いや、正直「東京の歌」で歌謡曲ばかり続けてきたもので、ここはひとつ洋楽を“食して”みたいって気分でして。洋楽の三人娘ということで……。
ならはじめからいえばいいじゃないか、ってなもんですが、そこはお話の順序というのがあるわけでして。

とにかく洋楽を。
洋楽は洋楽でもこのクソ暑さにふさわしい洋楽といえばもうカントリーしかありません。(テキトーいってます)それもここではいつものカントリー・クラシックス。

あまたいるわが愛すべきカントリー娘のなかから2012年8月の冷房を止めたウダル暑さの部屋の中で厳選した三人娘を、三つの歌で。

まずはナッシュビルの大姐御といった貫禄充分のパッツィ・クラインPatsy Cline。
惜しくも30歳の若さで飛行機事故で亡くなりましたが、生きていればおそらくカントリーの枠にとどまらず、ポップスの世界でも世界を魅了する偉大なシンガーになっていたのではないでしょうか。

また現役時代は短期間ではありましたが、直接、間接にその影響を受けたシンガーもたくさんいました。ブレンダ・リーBrenda Leeとかk.d.ラングLang とかリアン・ライムスLeAnn Rimesとか。

そのヒット曲も数多く、とりわけ知られている(カントリーファンにですが)ところでは「ウォーキン・アフター・ミッドナイト」Walkin' After Midnight とか「アイ・フォール・トゥ・ピーセス」I Fall To Pieces、それにウィリー・ネルソンWilly Nelsonの「クレイジー」Crazy など。

ほかでは「色褪せし恋」Faded Love や「テネシー・ワルツ」Tennessee Waltz なんかもいいなぁ。

でも今回選んだのはセブン・ロンリー・デイズ」Seven Lonely Days。
「あなたに別れを告げられた日から一週間泣きっぱなしなのよ」
という失恋ソング。

オリジナルはわかりませんが、1954年にポップシンガーでラテンナンバー「火の接吻」Kiss of Fire のヒットで知られるジョージア・ギブズGeorgia Gibbsがうたっています。もちろんパッツィはその後。
カントリーではジーン・シェパードJean Shepardもうたっています。
やっぱりいちばんはじめに聴いたパッツィ盤がベスト。

2人目の娘は、チャキチャキの? ケンタッキーガール、スキータ・デイヴィスSkeeter Davis。
彼女も数年前に亡くなっています。

スキータといえばデュオグループ「デイヴィス・シシターズ」(実際の姉妹ではない)から1958年にソロデビュー、カントリーの殿堂グランド・オール・オープリーの常連となったシンガー。

なんといっても最大のヒット「この世の果てまで」The End of World はカントリーだけではなく、ポップスとしても世界的に知られています。
ほかでは「ラスト・デイト」My Last Date With You が泣かせます。
アン・マーグレットAnn Margret やコンウェイ・トゥイッティConway Twittyなど多くのシンガーのカヴァーも。

今回のセレクションではその2曲を差し置いて「アンダー・ユア・スペル・アゲイン」Under Your Spell Again 。
こちらも失恋ソングで、もういちどその魅力で僕を夢中にさせておくれよ、という
1959年のバック・オウエンスBuck Owens のヒット曲。

女歌にもアレンジできるナンバーで、前述のジーン・シェパードやシェルビー・リンShelby Lynne などがうたっていますが、個人的にはポップ感の強いスキーター盤がいい。

で、3人目のカントリー・ガールは、以前「その名は●コニー」のところでとりあげたコニー・スミスConnie Smith。
1941年インディアナ州エルカート生れで、御歳71歳。もちろん健在です。

彼女のデビュー曲であり最大のヒット曲は、コニーを発掘したカントリー・シンガー、ビル・アンダーソンBill Anderson が書いた「ワンス・ア・デイ」Once a Day 。全米カントリーチャートのナンバーワンに。

このときコニーは23歳で、なんと結婚をしていて子供もいたとか。
そんな若い主婦が一夜にしてメジャーのカントリーシンガーになれば、それこそ生活一変、トラブル、離婚と話はすすみそうですが、彼女はそうはならなかった。あくまで家庭をいちばんに考えていたから。

旦那さんに「歌をほめてくれるより、料理をほめてね」と言ったとか。
彼女の人柄がしのばれます。

「ワンス・ア・デイ」はフェヴァリットソングですが、今回はもうひとつの愛聴歌を。

1965年のアルバム[CONNIE SMITH]に入っていた「青いトランジスタラジオ」Tiny Blue  Transistor Radio 。これまたカントリーというよりはポップスといったほうがいい一曲。

ハイスクール時代、彼から誕生日にプレゼントされた青いラジオにまつわる思い出。
恋は長く続かず、やがて新しい彼女をみつけて去っていった彼。
そんなときもラジオからは、彼と私が好きだったナンバーが流れていたっけ……。
なんていう胸キュン(古い!)ソング。

ライターはやはりビル・アンダーソン。

いやあ、泣けてきますね、この時代のカントリー・ミュージック。それもカントリー娘たちの哀愁にみちた歌声が胸にしみます。
カントリーの嫌いな方々には申しわけありませんが。
次回からはまた、せっせと「東京の歌」を“掘りつづけて”いきますので。

村田諒太は清水同様銅メダルが確定して、10日の準決勝へ。勝てば銀以上。
カッコいいボクサーだね。ミドル級っていうクラスもいい(いつもフライ、バンタムだもん)。

どこか赤木圭一郎の面影がある。
村田の試合を見ながらトニーの映画「打倒(ノック・ダウン)」を思い出してしまいました。

清水ともどももうワンランク、いやツーランク上の成績を期待しております。


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TOKYO●東京'64 [a landscape]

東京の灯よいつまでも.jpg

オリンピックが佳境です。

ただ各局のメダリストたちの生出演には辟易。どこか一局というわけにはいかないのかな。
選手たちも内心ツライものがあるのでは。同じ質問に同じ答え。

柔道、水泳は終ってしまいました。
期待していた柔道は金わずかに1個。正直ガッカリ。

「2番ではいけませんか」という声が聞こえてきそうですが。
まぁ、こちらの勝手な期待でしたが。男子はともかく女子は軽量級の福見、中村をはじめ3~4個の金メダルを期待してたので残念。
松本薫が反則勝ちしなければ、金ゼロの可能性だってあった。

その金ゼロだったのが水泳。ただこちらは想定内。

もちろんメダルを獲っても獲れなくても選手たちには拍手拍手なんだけど。どうも、柔道はいまだ“お家芸”という呪縛が。

柔道が初めてオリンピックの正式種目になったのが昭和39年(1964)の東京五輪から。
当初は、軽量、中量、重量、無差別の体重別4クラスでした。また男子のみで女子はまだなかった。
日本はそのうちの無差別級をのぞく3階級で金メダルを獲得。残る無差別級は神永がヘーシンクに敗れての銀メダルでした。

ちなみに水泳は唯一男子4×200mリレーでの銅メダル1個という低迷ぶり。

話はとびますが、今日8月6日の広島の式典を中継していたのはNHK唯一。
民放はこぞってフェンシング団体の銀メダルとボルトの2連覇にうかれ興奮しておりました。
まぁ、時代の流れといえばそうですし、ある意味これが健全なかたちなのかもしれません。

そんなわけで、このところ、小雨模様(ポツポツ)ですが続けている“東京の歌”は東京オリンピック開催の年、つまり昭和39年(1964)のヒット曲を。

「東京の灯よいつまでも」 新川二郎
♪雨の外苑 夜霧の日比谷
という思わず情景が浮かんでくる歌い出しが印象的。
3番に羽田空港が出てくるのも、空の旅時代を予兆した当時の気分が伝わってきます。
歌い手は石川県出身で、その2年前「君を慕いて」でデビューした新川二郎。

東京で一時暮し、やがて故郷へ帰っていった人たちの思い出の歌、という印象が。亡くなった作家の立松和平さんが、以前テレビでこの歌をフェヴァリットソングにあげていた。

作曲は佐伯としお。ほかでは三橋美智也「センチメンタル・トーキョー」、「東京見物」、三船浩「東京だより」がある。
作詞は昨年亡くなった藤間哲郎大津美子「東京アンナ」、デュークエイセス「東京808」など。

「サヨナラ東京」 坂本九
永六輔、中村八大の、いわゆる六八コンビの作品。
東京オリンピックに合わせて作られた楽曲で、オープニングの10月にさきがけて7月に発売。
「始まる前からサヨナラかよ」と突っ込みたくなりますが、スポーツの祭典も2週間あまりで終る、そのときのために……と思ったかどうかはしりませんが、永さんらしいといえばらしい歌。

「ウナ・セラ・ディ東京」 ザ・ピーナッツ
恋のバカンス」「ふり向かないで」などと同じく詞・曲は岩谷時子・宮川泰のコンビ。

前年に「東京たそがれ」でレコード化したがヒットせず、タイトルを変えたリメイク盤がヒット。ビギンのリズムのポップ感が当時はとても新鮮だった。
また和田弘とマヒナスターズ西田佐知子、イタリアのミルバらの競作でした。

良き楽曲はカヴァーされるの理どうり、ほかでも越路吹雪、フランク永井、石原裕次郎、美川憲一、井上陽水、園まり、カテリーナ・バレンテらがレコーディングしている。

「東京ブルース」西田佐知子
和製ブルース数々あれど、屈指の名曲で、ブルーズ(憂鬱)というよりは“女のニヒリズム”が漂っている。
戦前、ブルースの女王・淡谷のり子がうたった「東京ブルース」とは同名異曲。

作詞作曲は彼女の代表曲「アカシヤの雨がやむとき」と同じく、水木かおる藤原秀行
このコンビのヒット曲にはほかにド演歌「裏町酒場」、抒情歌「エリカの花散るとき」、コワイ女の「死ぬまで一緒に」などが。

またほかでも、東京の鉄道や駅をうたった「恋の山手線」(小林旭)「ああ上野駅」(井沢八郎)がヒットしたのも47年前のオリンピックイヤー。

ふたたびロンドン五輪の柔道の話。

テレビの放送がさほど深夜に及ばなかったので、ほんとんどの階級での日本人選手の試合は見ました。
つらつら思ったのは、柔道という格闘技が年々つまらなくなっているということ。

立ち技での一本勝ちが激減していることもそうですが、明確な根拠のとぼしい「指導」なるものによって勝敗が左右されてしまうという理不尽さ。
なかには「指導」狙いで試合を運ぶ選手も。解説者も“唆す”ようなこと言ってました。

よほどの実力差がないかぎり、ほとんど技がかからずに試合が終わることも。ワザが決まっても受け手が腹ばいになればポイントなしというのも納得がいかない。

もうすこしポイントの基準を明確化(視聴者でも分かるように)するとか、延長戦でははじめからの組手を義務化するとか、ルールを見直さないと本人たちは一生懸命たたかっているのに、見ていて少しもおもしろくない試合ばかりになってしまっている。
そのことはファンばなれにつながる。

それと十字固めを含めた関節技は禁止したほうがいいと思う。それも技術のひとつとは思いますが、キケンでひとつ間違えれば大けが、後遺症につながりかねない。

ファンゆえの苦言ということでここはひとつ。

もひとつオマケに。
サッカーがメキシコ以来44年ぶりのメダル、と話題になっていますが、ボクシングでもバンタム級の清水聡がメダルを確定して、やはりメキシコ依頼の快挙を達成しました。

明日早朝にはミドル級の村田諒太の2戦目があるし、ウェルター級の鈴木康弘も残っているし。夜更かし(最近ことさら辛い)の日々が続きます。


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TOKYO●東京ワルツ② [a landscape]

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♪燃える夜空の ネオンは移り気
 捨てられた 花束が 泣き濡れて
 七色の雨に 歌う ああ 東京ワルツよ
 メトロで帰った君よ 君よさようなら
 ………………
(「東京ワルツ」詞:西沢爽、曲:服部レイモンド、歌:井上ひろし、昭和36年)

前回でふれたように、西沢・服部コンビの「東京ワルツ」のオリジナルは昭和29年、コロムビアの新人千代田照子によってうたわれたもの。

昭和29年という時代。
敗戦から9年目。
東京にはいまだその残滓がみられた。焼跡こそほとんど消えていたが、そのあとの原っぱには防空壕の残骸があったし、駅前で靴みがきの子供や傷痍軍人の姿をみかけることは、ごくあたりまえのことでした。

それでもプレ経済成長期であり、東京の街は空襲以前にも増してモダンな様相に再構築されていきました。
ひと昔前の敵国アメリカから金髪の美女マリリン・モンローが来日し、街頭テレビではアメリカのシャープ兄弟と力道山が喧嘩まがいの試合(実はなれ合いなのだが)を行い、観客は神業・空手チョップに留飲を下げていたり。

10年前ほんとうに日本はアメリカと戦争をしていたのだろうか。
鬼畜米英を叫び、一億総玉砕も辞さずという大和魂で臨んだあの“大喧嘩”の遺恨がわずか10年で霧散してしまうものだろうか。
そんな疑問が浮かぶほど、日米の関係は修復されてしまっていました。
そのおかげで、日本の驚異的な経済発展がはじまることになるのですが。

西沢爽が書いた「東京ワルツ」には、そうしたプレ経済成長期の東京の断片がちりばめられています。

日本一の歓楽街のナイトライフは完全に復活し、おびただしいネオンのまたたきが男女の本能を刺激する。

東京の地下鉄は、昭和2年の銀座線にはじまるのですが、この29年、戦後初の路線として丸ノ内線が開通。サラリーマンにとっては通勤ばかりでなく、ナイトライフにも欠かせない“足”がふえたことになったのです。
そしてこのあと、東京の地下はモグラが爆走するように掘り進められ、いくつもの路線が誕生していくことになります。

♪メトロで帰った君よ
とうたわれた、「君」はオリジナルでは男のこと。昭和30年代あたりまでは、女性も愛しい男性のことを「君」と呼ぶことがめずらしくなかった。

楽しいデイトが終り、地下鉄で家路につく彼氏を彼女がホームで見送るというストーリー。ふつう逆のような気もしますが、そういう男女関係があったって不思議じゃない。

でも見送った彼女はどこへどうやって帰ったのか。
もともと都心に住んでいたのか。はたまたデイトではなくホステスさんで、店を抜け出して思い入れのある客を見送りに来たのか。まぁ、余計なことですね。

街角に捨てられた花束。これも時代を反映しています。
当時歓楽街には“花売り娘”と呼ばれた女の子が生活のため、酔客相手に花を売っていたのです。♪花を召しませランララン なんてね、違ったかな。

そして、鼻の下をのばしたオヤジどもが気前よくそのブーケを買い求め、気に入ったバーやキャバレーのホステスにプレゼントするのです。もちろん無償の行為なんかじゃないんだけど。

女は誰でも花をもらえば喜ぶと思ったら大間違い。
なかには、男を捨てるようにポイと路上に投げ捨てるお嬢さんだって。

また、東京の街のあちこちでビルが建ちはじめ、それがまさに復興の象徴でした。
それでも現在のような高層ビルなどなく、日本一の高さをほこるビルヂングは丸ビルの9階。建築基準法でそれ以上はご法度だった。

いまでは何のことはない話ですが、当時は大きなガラス窓があるビルではたらくことがモダンであり、昭和29年という時代の最先端をゆく東京人のステイタスだったのでしょう。

そして、再びそんな歓楽街にうごめく男と女。
それは客とホステスという関係かもしれないが、つきつめれば男も女も愛情を求め、愛情に飢えている可愛い存在であることは今も昔もなのです。

“疑似恋愛”の終った夜ふけ、疲労感に足をひきずりながら帰る男にも女にも、夜空の星たちが(当時の夜空は今よりはるかに星が瞬いていた。多分)、「きっと明日はいいことがあるぜ」と囁きかけてくれているよう。

そんな歌が「東京ワルツ」。


昭和29年、もちろんわたしは生まれていたが、ヨチヨチ歩きでほとんど記憶もない頃。

それでも、この歌を聴くと、昭和29年、20代のサラリーマンであるわたしが夜な夜な東京を彷徨っている光景が浮かんでくる。それが不思議と心地よい。
だから好きな歌でもあるのですが。

実は、西沢爽はとても好きな作詞家で、今日7月19日は彼の命日。
彼が近世歌謡に関する大書を著し、博士号を得たことや、作詞家以外でも数々の類まれなる才能を発揮したことに興味のある方は、ウィキペディアでも見ていただくことにして、今回の主題である、西沢爽の「東京ワルツ」以外のフェヴァリットソング5曲を、短い?能書きとともに紹介してみたいと思います。

さすらい(小林旭)昭和35年
日活映画「さすらい」の主題歌。
映画は観てませんが、歌は憂愁たっぷりでいいです。
アキラの“流れ者三部作”のひとつ(と勝手に呼んでます)。

西沢爽の歌詞はとにかく暗い・昏い・クライ。
29歳と決して早くない作詞家デビューの41歳のときの歌。
どれほど暗い青春(たしかに戦争真っ只中だった)を送ってきたのかと思ってしまう。

日本人の憧憬である「流れ者」、「漂泊者」の歌ということもありヒット。個人的には小林旭の代表曲。ほかでは「ギターを抱いた渡り鳥」をはじめ「アキラのダンチョネ節」、「アキラのズンドコ節」など「アキラの」と冠がつく歌のほとんどが西沢の作詞。

曲はパブリック・ドメイン、つまり伝承歌というより日本のクレジットでは「作者不詳」。
編曲(これが素晴らしい)の狛林正一が補作しています。

ひばりの渡り鳥だよ(美空ひばり)昭和36年
思わずバカ踊りをしたくなるようなノリのいい歌。それでいて哀愁がこもっている。
こういう歌はすきだな。三波春夫「チャンチキおけさ」と双璧。

もちろん美空ひばりのなかではナンバーワン。
西沢爽の「股旅もの」はめずらしい。
戦前から戦後も昭和30年代前半あたりまでは歌謡曲のなかでも「股旅もの」「時代もの」は盛んでした。

高度経済成長とともに映画のなかでもまず時代劇が斜陽となり、それとともに流行歌の時代もの、とりわけ股旅ものも廃れていきました。
大ヒットということでいえば昭和35年の「潮来笠」(橋幸夫)が最後でしたか。
平成になって演歌の星・氷川きよし「箱根八里の半次郎」で奇跡の一発をかましましたが。

「ひばりの渡り鳥だよ」は「潮来笠」の翌年のリリース。
曲は、前述の狛林正一。ドドンパのリズムが時代を感じさせる。そのノリのよいアレンジは若き日の市川昭介

ひばりの歌も数多く作詞している西沢爽ですが、ヒット曲では「波止場だよお父っあん」「ひばりの佐渡情話」がある。

恋しているんだもん(島倉千代子)昭和36年
ひばりよりも詞を書いた数が多いのが島倉千代子。
初のヒット曲が昭和33年の「からたち日記」。その後名コンビとなる遠藤実(当時は米田信一)の作曲。

翌年には船村徹と組んだ「哀愁のからまつ林」がヒット、そして36年には「思い出日記」(遠藤実)さらに市川昭介との「恋しているんだもん」と続く。

この幼児言葉をつかったハッピーカマトトソングがヒット。
♪小指と小指からませて
♪地球もちいちゃな星だけど 
と当時としては歌詞がユニーク。

その後もお千代さんとのコンビで、「星空に両手を」(with守屋浩)、「ふたりだけの太陽」、「涙の谷間に太陽を」などのヒットを。

仲間たち(舟木一夫)昭和38年
昭和30年代後半になると青春歌謡全盛に。当時のコロムビアの看板といえば舟木一夫。
その舟木一夫では3つの西沢爽のヒット曲がある。
38年の「仲間たち」、40年の「ああ青春の胸の血は」、おなじく「あありんどうの花咲けど」の3曲。作曲はいずれも遠藤実。

どれも抒情作詞家・西沢爽の本領が発揮された名作ですが、今回はいちばん古い「仲間たち」を。
「下駄を鳴らして」とか「帽子まるめて」とバンカラ学生が描かれているが、この歌がつくられた昭和38年にはほぼ絶滅していたはず。
当時40代半ばの西沢にしてみれば、戦前の自身の学生生活をノスタルジックに書いたものなのでしょう。おそらく。(それから10数年後でも、♪下駄を鳴らして奴がくる なんて歌がつくられてるんだから、いいよね)

おさらば故郷さん(加賀城みゆき)昭和41年
さいごは昭和40年代のこの歌を。

加賀城みゆきはその名のとおり、金沢の出身。
金沢生まれの先輩と飲んで、ナツメロの話になると必ず彼女の名前が出てきます。なんでも高校の同級生だったとか。それはともかく。

千代田照子や島倉千代子と同じく、コロムビアの歌謡コンクールで優勝。
翌年19才のデビュー曲としてうたったのがこの「おさらば故郷さん」。
曲は「新宿ブルース」(扇ひろ子)和田香苗

東京生まれの西沢爽が、忘れがたき故郷をしのびつつ都会で生きていく女性の複雑な気持ちを書いています。
なによりも44歳という若さで亡くなった加賀城みゆきの声と歌唱がすばらしい。生きていれば60代なかば。きっと演歌の頂上にいたはず。

いつものごとく長くなりすぎましたが、まだまだヒット曲の多い西沢爽。
とりあげることができなかった好きな曲をせめてタイトルだけでも。(聴きたい方はYOU-TUBEで探してみてください)

リンゴちゃん(神戸一郎)、ひとりぼっちのガキ大将(北原謙二)、哀愁海峡(扇ひろ子)、明日は咲こう花咲こう(吉永小百合、三田明)、女の爪あと(水原弘)、青春の城下町(梶光夫)、「春を待つ少女」(安達明)…………。


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TOKYO●東京ワルツ① [a landscape]

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「○○東京」、「東京○○」という歌がいかに多いかということは前々回ですこしふれましたが、そのなかに楽曲の様式やリズムの種類がくっつくこともよくある。

たとえば、これも再三例にだしますが流行歌の嚆矢「東京行進曲」(佐藤千夜子)がまさにそう。
ほかにも、戦前ならば「東京ラプソディー」(藤山一郎)があるし、「東京セレナーデ」(二葉あき子)山口淑子「東京夜曲」(セレナーデ)もある)、あるいは「ルンバ東京」(由利あけみ)などが。

戦後ではなんといっても「東京ブギウギ」(笠置シヅ子)
また他のご当地ソングでも人気のブルースは「東京ブルース」として戦前の淡谷のり子、戦後の西田佐知子盤がある。

そして今回ピックアップした「東京ワルツ」も戦後の歌。

「東京ワルツ」というタイトルの歌はいくつかあるようで、もっとも古いのは昭和27年に洋楽カヴァーの「テネシー・ワルツ」をヒットさせて“ワルツの女王”になった(かどうかしらないけれど)江利チエミが翌昭和28年にキングでレコーディングした「東京ワルツ」

作詞作曲は、「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)「赤いランプの終列車」(春日八郎)の作曲で知られる江口夜詩

楽しい思い出の追憶ソングで、聴いてわかるとおり、あきらかに「テネシー・ワルツ」の影響が感じられます。

その翌年、つまり29年に発売されたのがコロムビアの「東京ワルツ」
うたったのは、コロムビアの新人コンクールで優勝した千代田照子
低音で感情過多とも思える泣き節が印象的です。

ただ歌手活動は短かったようですぐに引退(結婚でもしたのかな)。
なんでも、彼女の子供たちは芸能活動をしていた(いる?)ようで、そのうちのひとりがワイルドワンズに後年加入した渡辺茂樹だと、どこかのブログに書いてありました。

作詞は西沢爽。まだ新人の頃で本名・西沢義久のクレジットで。
作曲は戦前からのコロムビア専属で、昭和26年久保幸江のお座敷ソング「ヤットン節」がヒットしたレイモンド服部(服部レイモンドとも)。ハーフでもなんでもなく純日本人で本名は服部逸郎。

NHKのアナウンサーから作曲家になった異色で、30年代には小坂一也の「ワゴン・マスター」がヒット。中島そのみ、コロムビア・ローズ、富永ユキ、並木路子、前田通子らに楽曲を提供した。
オールドファンなら懐かしい小坂一也のTV主題歌「無敵のライフルマン」も服部の作。

そして、この「東京ワルツ」はそれから7年後の昭和36年、当時のリバイバルブームにのって井上ひろしがカヴァー。そこそこヒットした。

当時の東京の雰囲気や恋人事情が彷彿されるフェイヴァリットソング。

そのあとも藤圭子キムヨンジャ&鳥羽一郎で「東京ワルツ」がつくられましたが、もう1曲特筆したいのが、由紀さおり「TOKYOワルツ」

耳にのこって思わず口ずさんでしまう曲は、昭和50年代のメロディーメーカー・宇崎竜童による。失恋女の愚痴を口当たりの良いストーリーに仕立てたのがなかにし礼(休業中ですが、だいじょうぶなのでしょうか)。
個人的には世界の由紀さおりのなかにあっても十指に入る名曲です。

そういえば、以前、東京駅の発車チャイムに「東京ワルツ」がつかわれていた、という話を聞いたことがあるのですが、どの「東京ワルツ」なのでしょうか。実際に聞いたことはないのですが。

それはそれとして、千代田照子の「東京ワルツ」をリメイクした井上ひろし。
ごぞんじの方もいるでしょうが、ロカビリー出身で水原弘、守屋浩とともに“三人ひろし”と呼ばれていました。甘いマスクで女性ファンが多かった。
三人それぞれがロカビリーの嵐が去ったあと、歌謡曲でヒット曲をだしたのだからたいしたもの。

井上ひろしの最大のヒット曲はこの「東京ワルツ」ではなく、やはり戦前のリバイバルの「雨に咲く花」。そのほかにも「並木の雨」、「別れの磯千鳥」、「山のロザリア」、「幸せはここに」など、リメイク盤うたっていました。
もちろんオリジナルでも「地下鉄(メトロ)は今日も終電車」とか「煙草が二箱消えちゃった」などの小品がありましたが。

残念ながら44歳で早世。
生きていれば70歳をちょい越えたところ。水原弘も42歳の若さで。
夭折した人間というのは、俳優・歌手にかぎらず悲哀感がついてまわりますが、太く短くというのであれば、それはそれで。

「長生きも芸のうち」というけれど、それはあくまで健康であってのこと。半年前に認知症で寝たきりの母親を看取った経験からいいますと、少なくとも自分に関しては延命治療は絶対にNO。
そろそろだなと思ったら、それこそ内外のワルツなどを聴きながら、あちらの世界へズンタッタズンタッタとフェイドアウトしていきたいものだと思っております。


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夏歌①東京五輪音頭 [noisy life]

盆踊り3.jpg

今年は4年に一度のオリンピックイヤー。
オープニング直前ということで新聞・テレビなどの報道も盛り上がってまいりました。(さほどでもないかな)。ロンドンっていうのが微妙。

時差は8時間で、日本が先行だそうなので、たとえば陸上競技の決勝が現地の午後6時に行われるとしたら、日本では午前10時。
平日ならサラリーマンはTV観戦できない。

やっぱり日本人が出場すると盛り上がる。それもメダルの可能性があるとなるとなおさら。
まずは女子のサッカー、そして男女の水泳、陸上ではハンマー投げとヤリ投げの投擲競技。
マラソンはどうかな、レベルは女子のほうが高いけど、入賞できるかどうか。

ほかでは格闘技系。
確実なのが女子レスリングと女子柔道。まぁ、男子もうまくいけばメダル数個。
あと期待をこめてボクシングミドル級の村田。

あとはラッキーボーイ、ラッキーガールが出てくるかもしれない。
前回のフェンシングの太田(今年もでるぞ)のように認知度の低い競技で。たとえばアーチェリーとかライフルとか。

まぁ、買っても負けても拍手拍手で。

で、本題の夏歌。
「東京シリーズ」開催中(勝手にいってる)で、このタイミングなら、もうこの歌しかない。
「東京五輪音頭」三波春夫 昭和38年

もちろん東京でオリンピックが開催されることに合わせてつくられた歌。

東京オリンピックが開催されたのは昭和39(1964)年、いまから48年前。
ほぼ半世紀だもの、えらいむかしに感じるなぁ。それだけ歳をとったということだものなぁ。やんなっちゃうけどしょうがない。

だいぶ記憶が薄れてきたけど、断片的にいろいろなころを覚えています。
そのしばらくまえから、学校の先生が「立ち小便は軽犯罪なんだぞ、だからするんじゃねえぞ」なんて言ってました。まぁ、その後大人も含めて“日本人(男性)の排泄習慣”が改善されたのですから、それはそれで良かったのでしょう。

選手で印象に残っているのは、日本人なら水泳の山中毅、木原美知子、陸上の円谷幸吉、依田郁子、柔道の猪熊功、レスリングの渡辺長武、ボクシングの桜井孝雄……
外国人なら、陸上100メートルのボブ・ヘイズと中距離のビーター・スネル、、マラソンのアベベ・ビキラ、柔道のアントン・ヘーシンク、女子体操のベラ・チャフラフスカとラチニナ、そして重量挙げのジャボチンスキー。
懐かしい面々、半分以上の方々がお亡くなりになって……。そりゃそうだよな、半世紀たったんだから。

今年から導入される女子ボクシングはもちろん、柔道もレスリングもサッカーもすべて女子競技はなかった。そうそうマラソンも男だけだった。
世の中変わった、紅茶にソネット。

そんなことはどうでも。
この東京オリンピック開会式の幕が切って落とされたのが10月10日。
その数か月前の夏、耳タコ状態で聞こえていたのが「東京五輪音頭」。

実は発売されたのが前年、つまり昭和38年の6月ということで、本番の1年間から盆踊りの“メインテーマ”として流れていたのだ。そのことはほとんど覚えていない。

作曲は、日本流行歌の父(母かな)、古賀政男。詞は地方在住の作詞家・宮田隆
なぜ宮田が作詞することになったのかは不明。コンペでもあったのでしょうか。

そして、実はこの“国民的流行歌”、各レコード会社の共作でした。
おそらく多くの人はテイチク盤の三波春夫でしか聴いたことがないのでは。わたしも大きくなって坂本九とパラキン盤(東芝)を聴くまではそう思っていました。

実際は、三橋美智也(キング)、北島三郎&畠山みどり(コロムビア)、橋幸夫(ビクター)など各レコード会社の主力歌手たちがうたっていたのです。
結果はごぞんじのとおり、三波春夫のオリジナル状態、ひとり勝ち。

もちろん、この東京五輪音頭、オリンピックのためにつくられたのですが、あまりのノリのよさからか、その後もしばらく盆踊りの定番ソングとしてつかわれていました。(今でも聞こえてくることがある)

しかし、東京の音頭といえば、戦前から延々と鳴り響いていたロングセラーソングがあります。その名もずばり「東京音頭」です。

東京音頭が誕生したのは昭和8年。その前年につくられた「丸の内音頭」が原型。つくったのは、当時の売れっ子作詞家西條八十「カチューシャの唄」、「東京行進曲」で知られる作曲家中山晋平。

ものの本によりますと、大爆発といいますか、幕末の「ええじゃないか」よろしく各町内で老いも若きも男も女もその年の夏、踊り狂ったと書かれています。

しかし考えてみるとこの「東京音頭」、いわばご当地ソング。はたして、全国の盆踊りで流れていたのでしょうか。大阪や福岡でも櫓をかこんで♪踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ とやっていたのでしょうか。

いずれにせよ「東京音頭」が大ブレイクしたことは間違いないようで、その後「福井音頭」、「別府音頭」、「軽井沢音頭」など各地で“音頭ブーム”が起き、あげくのはては「羅府(ロサンゼルス)音頭」までできるしまつ(っていい方はないか)。

翌9年には「東京音頭」で味をしめたレコード会社が今度は中山晋平、佐伯孝夫のコンビで全国版「さくら音頭」で二匹目のナントカを狙いました。

さすがにそれは……、と思いきやなんとレコードは「東京音頭」以上に売れ、それこそ全国各地の盆踊りで踊られたとか。

しかし、不思議なことに現在、いやもっと古くても、たとえば昭和30年代の盆踊りで「東京音頭」はしつこいほど流れていましたが、「さくら音頭」など聞いたことがありませんでした。

なぜ、昭和9年の夏をあれほど席巻した「さくら音頭」は消えてしまったのでしょうか。
その直後からはじまる戦時体制による自粛ムードが影響したのか。はたまた「さくら」というタイトルが、夏向きではなかったり、地域のイヴェントである盆踊りには、あまりにも大風呂敷すぎて長続きしなかったのか。

さくらは散っても「東京音頭」はいまだ夏満開状態です。
きょ年も流れていましたし、ことしも流れることでしょう。

ロンドンオリンピックは今月の25日からはじまります。
盆踊りもそのへんからあちこちではじまるのではないでしょうか。

そして来月の12日、スポーツの祭典は閉会式をむかえます。
盆踊りは、8月の下旬まで続けられることでしょう。
そしてどこかで必ず、今は亡き三波春夫のあのハリのある声を聴くことができるでしょう。
♪ハァ~ あの日ローマで……
って歌詞もいまとなっては懐かしい。


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TOKYO②東京の人 [a landscape]

ザ・ピーナッツ.jpg

「東京人」という雑誌もありますが、そもそも東京人とは東京出身者ばかりでなく、東京で生活する人のこと。住民登録の有無は関係なく。

しかし、地方の学校を卒業し、東京の会社に就職してまだ半年なんて新人が「わたし東京の人間なんです」とはいささかいいにくいのでは。
本人だって、それぞれの出身地を大切にしているだろうし、「口が裂けても東京人なんていわない」なんて人もいるだろうし。
とりわけ、その対極?にある「大阪人」あるいは「関西人」はなおさらでしょう。

しかし、狭い日本、どこで住もうと「ニッポン人」でいいだろうという思いもありますが。

ことさら出身地や居住地の「東京」が強調されるのは、それが首都であり、政治・経済・文化の中心地であり発信地だから。あたりまえだけど。

そもそも東京がビッグシティになったのは、ごぞんじのように徳川幕府が誕生してからで、鄙びた武蔵野の地に全国各地から入居者が殺到し、あっという間に大都市江戸が形成されていったことは小学生でも知っている。

とりわけ商売・経済の中心となった日本橋界隈には畿内からの移住者が多く、彼らは好んで「伊勢屋」、「近江屋」などと出身地を屋号とした。
新天地に就き、旧習にしばられることなく新しい生き方を追求する彼らの生活の中から独自の生活様式や文化が生まれてきます。それがイキだのイナセだのという江戸文化ということになるのでしょう。

ということは、江戸っ子、さらには「東京人」の多くは、元をただせば「畿内人」、大雑把にいえば「関西人」ということになる。
となると、やっぱり「関東だ」「関西だ」という張り合いが滑稽にみえてきます。

とはいえ、ローカリズムをまったく無視することはできないし、以前ほどではないにしても「東京の人」というのは、それ以外の地域の人間からはいささか別格(良い意味ばかりじゃないよ)のイメージがあるようだし、「東京人」本人たちもそのことにプライドを持っている人間が少なくない。とりわけ「東京人」が仕事や遊びで地方へ行ったときそうした意味のない“特権意識”が見え隠れしたり。

もちろん「東京人」でありながら、そうしたプライドのかけらもなく、事情が許せば(これが許さないんだ、なぜか)一刻も早く東京を脱出し、石原閣下に「東京人」を返上したいと思っている人間だっているはずです。わたしのように。

そうしたプライド高き「東京人」の歌、というわけではありませんが、流行歌でうたわれた「東京人」をいくつか。例によって昭和30年代、40年代の旧い歌です。

まずは、お千代さんの泣き節。個人的には昭和30年代を代表する女性シンガーは美空ひばりではなく島倉千代子なのですが。それはともかく。

「東京の人さようなら」 島倉千代子 昭和31年

昭和30年「この世の花」でデビューした島倉千代子の翌年のヒット曲。
「この世の花」同様、同名映画の主題歌。当時からこうした映画とレコードのメディアミックスはあたりまえのことでした。
映画は観ていませんが、ほぼ歌のストーリーをなぞるもので、地元の娘と東京からやってきた青年とのなさぬ仲の物語というわけ。

作曲は戦前から活躍した竹岡信幸。代表曲は「人妻椿」(松平晃)「赤城の子守唄」(東海林太郎)など

作詞は近年亡くなり、このブログでもとりあげた石本美由起

こういう歌や映画がヒットするということは、当時の地方の若い女性にとって「東京人」は憧れの人物像だったのでしょう。
その伝でいえば当時、船乗りあるいはマドロスさんも女性にとっては“夢見る異性”だったのかもしれません。船乗りへの憧憬は“流れ者求愛”に通じる。蛇足ですが。

つぎもやはり、敗戦国日本が復活宣言をした昭和31年の作。

「東京の人」三浦洸一 昭和31年

これも同名映画の主題歌。
ただこちらは川端康成原作という文芸作品。配給は日活。

映画のデータをみてみると監督は西河克己。「青い山脈」、「伊豆の踊子」、「絶唱」と日活青春文芸路線のメイン・ディレクター。
70年代に入って日活が路線変更しても、東宝で山口百恵というヒロインを得て、いくつかのリメイク版をつくっていましたっけ。

歌のほうは吉田正、佐伯孝夫のビクターゴールデンコンビ。
うたったのは28年に「落葉しぐれ」、30年には「弁天小僧」をヒットさせ、ビクターの主力になりつつあった三浦洸一
「東京の人」もヒットしましたが、翌年、ふたたび川端康成の原作である「踊子」をレコーディング。これまた大ヒットに。

派手なアクションや、大げさな表情も用いずに淡々とうたう歌唱は清潔感にあふれたいました。昭和20年代デビューの歌手にはこうしたタイプが少なくなかったような気がします。

また曲もいいけど詞もいい。東京の街は、東京駅(のあったところ)で生まれたという佐伯孝夫が最も得意とする舞台。
3番ある詞の最後の部分は共通で♪しのび泣く 恋に泣く 東京の人 
ですが、それまでの歓楽街を並べた表現から転調しちゃてる。これが序破急の「急」(ウソです)。とにかく意味が通じないのがいまも昔も流行歌。

いずれにしても、辛い恋にしのび泣いているのですから、東京の人は女性(偏見?)。

3つめは、最近亡くなった伊藤エミさんと妹のユミさんの双子デュオ、ザ・ピーナッツの名曲。
「東京の女」 昭和45年

恋をなくして東京をさすらう女の嘆き節。
一人称あるいは三人称の「女」なのだから「ひと」はオカシイダロと思うのですが、まぁ
そこは何度もいうようですが、流行歌なもので。

曲は元のダンナさん沢田研二。詞は「翼をください」、「学生街の喫茶店」山上路夫

沢田研二は自身のアルバム用だけでなく、他の歌手や役者にいくつも曲を提供していますが、ヒットしたというか知られているのはこの「東京の女」とアン・ルイス「ラ・セゾン」ぐらい。
ザ・ピーナッツは、同じ年に橋本淳・中村泰士作の「大阪の女」もうたって、バランスをとっている?。

ところで「東京の女」、「大阪の女」とも「おんな」ではなく「ひと」と読ませますが、いまはどうかしらないが、ひところとても流行った。

よく知られているのは北島三郎「函館の女」、「薩摩の女」、「加賀の女」、「博多の女」などの「女(ひと)シリーズ」。
もっとも古いのが「函館の女」で昭和40年。
ではこれがはじめかというとそうでもない。

その2年前の昭和38年に春日八郎「長崎の女(ひと)」をうたっている。ご当地ソングが名称はともかく、いわれはじめたのもこのころからじゃなかったか。

最後にオマケで歌詞に「東京のひと」が出てくるこの歌を。
そういえばザ・ピーナッツにもそれと同名異曲のすばらしい歌がありましたっけ。


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TOKYO①ずばり東京 [a landscape]

霞ヶ関交差点から議事堂.jpg

ちょっと(どころじゃないな)前のことですが、新聞に紙面の4割あまりをさいて「東京ソング」のことを取りあげていた。

なんでもJポップで「東京こんぴ」という「東京」というタイトルの歌を集めたコンピレーションアルバム が発売されたことがキッカケになったようだ。
その「東京コンピ」にはくるりをはじめ、サニーデイ・サービス、BEGINなど13曲の「東京」が入っているとか。

で、さらにその記事によると、「東京」あるいは「TOKYO」という楽曲がJSRAC(日本音楽著作権協会)には260曲あまり登録されているのだとか。
さらにさらに、「東京~」とか「~東京」のようにタイトルの一部に「東京」、「TOKYO」の入る楽曲は2000を超すのだそうだ。
もちろん、“ご当地ソング”ということでいえばダントツの日本最多になる。

さらにいえば、「有楽町で逢いましょう」をはじめ「浅草姉妹」、「あゝ上野駅」、「コモエスタ赤坂」、「新宿育ち」、「池袋の夜」、「六本木心中」、「たそがれの銀座」など、これみな東京ソングです。

さらにさらにいえば、かの「神田川」だって「アメリカ橋」だって「一本道」だって「恋の山手線」だって「別れても好きな人」だってみ~な東京の歌。

思い起こせば(大げさですが)、ラジオとレコードによって流行歌というものが巷にながれはじめた昭和初年、一大ヒット曲となったのが佐藤千夜子うたうところの「東京行進曲」でした。
それからどれだけ東京ソングがうたわれてきたことか。

そんなこんなでここしばらくは、いつかやろうと思っていた東京の歌をとびとびにでも。

第一回めはすばり「東京」
つまり、前述した260あまりあるという頭も尻尾もない「東京」をタイトルとした歌。

「すばり東京」といえばそういう題名の開高健のルポルタージュがありました。
昭和38年から東京五輪が開催された39年の秋までのさまざまな「東京」の断面を切り取った取材記事でした。
深夜喫茶、トルコ風呂といった風俗から新時代の象徴東京タワー、戦争の残香しみつく上野駅などなど、豊かさを求めてスピードアップしていく当時の日本、日本人(あるいは東京、東京人)の姿が描かれていました。

閉塞状況の現代にあって、約半世紀前の“己が姿”をみることにどんな意味があるのかははかり知れませんが、それは紛うことなく、われわれの父母あるいは祖父がつくり、平成24年の東京のベースになっている街ではありました。

またまた脱線模様なので急ブレーキをかけ右折してメインストリートへ。

ずばり「東京」の1曲目。

「東京」マイ・ペース 
フォークソングというのか、ニューミュージックというのか、とにかく政治の季節が終わってメッセージソングは後退し、「LOVE & PEACE」という流行歌の王道が主流になっていた時代、昭和49年(1974)のヒット曲。

東京に住む彼女と地方の彼との遠距離恋愛をうたったものでしょう。
それは昭和30年代の「お月さん今晩は」「僕は泣いちっち」とほとんど変わらない恋愛ゲーム。10年じゃ変わらないか。

現在はそれからさらに40年近く経っている。
完全に変わった、と思うな。なんだかしらないけど恋愛のスピード感がまるで違うような。それに濃度がなんとなく希薄なようで。
それが平成の恋ってやつか。21世紀の愛ってやつか。そうかもな。

とにかく著名なミュージシャンは「東京」を作りたがり、うたいたがる。
松山千春、さだまさし、桑田佳祐、矢沢永吉、浜田省吾、長渕剛、福山雅治みんなそうだもんね。みんな地方出身。それぞれ、東京への想いが違っておもしろい。

そんななかから1曲、というか2曲しか聴いたことがないので、そのうちの1曲

「東京」矢沢永吉
お得意のラブソングというか、クールな失恋ソング。
聴いたことのあるもう1曲は桑田佳祐で、この2曲ともどこか昭和40年代の歌謡曲のニオイがします。
どちらも東京ナイトが描かれていますが、雨の降っている桑田ヴァージョンのほうがより、歌謡曲っぽい。でも好きなのはカッコつけすぎのYAZAWAワールド。

矢沢永吉は平成5年、桑田佳祐は平成14年の歌。

さいごの3曲目も平成5年の歌を。

「東京」やしきたかじん
これは詞というか、設定がユニーク。
大阪の女が、かつての恋人が生まれた街・東京を彼氏とダブらせてうたう女歌。

多分かつて東京の新小岩(なんで?)あたりで同棲してたんでしょうね、彼女。
なんとなく、そんな気がして。じゃなかったら祐天寺とか。発想が滅裂。

でもこういう詞は当事者(女性)にしか書けない。
実際作詞家は女性の及川眠子(ねこ)。
寡作だけれど、ほかにはWINK「淋しい熱帯魚」、「愛が止まらない」のヒット曲があります。
また、中森明菜「原始、女性は太陽だった」なんてうたもありました。
平塚らいてふの「元始、女性は太陽であった」をもじったのでしょうが、想像力の貧しいわたしは「原始」と聞いて、ピテカントロプスペキネシスを連想してしまいました。

それはさておき、さいごになりましたが、ザ・ピーナツ伊藤エミさんの訃報。
ショックでしたね。
多くの50代、60代の方々同様、わたしもテレビの「シャボン玉ホリデー」や「ザ・ヒットパレード」を見て、「悲しき16才」「恋のバカンス」を聴いて育ったんですから。
今回は間に合いませんでしたが、いつかきっと「感情的かつ偏執ピーナッツ・ワールド」をこのブログで。

そういえばピーナッツにもずばりではありませんが「東京」の歌がありました。
ヒット曲といえばなんといっても「ウナ・セラ・ディ東京」でしょうが、ジュリーのつくった「東京の女」ともどもそこここで流れているでしょうから、ここではあまり聴く機会のない「東京ブルー・レイン」(作詩:有馬三恵子、作曲:鈴木淳)で、伊藤エミさんのご冥福をお祈りしたいと思います。


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THANK YOU FOR SPLENDID SONGS [day by day]

都電の踏切町屋②.jpg

今日、6月10日は「路面電車の日」だそうだ。
日本初の路面電車が6月10日に走ったのかな、と思ったらそうではない。

日本の路面電車の嚆矢は京都電気鉄道で、明治28年の2月1日に開業している。
なぜ6.10なのかと思ったら、なんのことはない「路電」だから「6」(ろく)、「10」(てん)だって。笑点のシャレよりも笑えない(スミマセン笑点の師匠連さま)。

東京で唯一残っている路面電車が三ノ輪と早稲田を結ぶ都営荒川線。
久しく乗っていません。あの鉄道は、忙しないときや急いでいるときはだめ。気持ちに余裕があるときに乗るもの。
ということは、ここしばらく心に余裕がないということになる。嗚呼。

そうそう、路面電車の話ではなかった。
今日6月10日は、わたしの好きな流行歌の作曲家3人の命日なのです。
で、彼らの作品をYOU-TUBE(でなくてもいいけど)で聴き、在りし日を偲ぼうという趣向。いざ。

まずは、古賀政男、服部良一とともに昭和の三大作曲家といわれる吉田正。平成10年に亡くなっています。

吉田正といえば、元祖ムード歌謡といえる存在。
モダンで時流に乗ったメロディーラインで昭和30年代の都会のナイトライフやラヴアフェアーを再現してみせました。
ほかにも「いつでも夢を」に代表されるような明朗な青春歌謡や、「潮来笠」をはじめとした昔ながらの“股旅もの”も。器用ですね。

吉田正のデビューは「異国の丘」で、そのドラマチックな登場はウィキペディアでも見ていただくとして、ビッグヒットに結び付かなかった昭和20年代の作品を聴くと、歌謡曲の王道だった「古賀メロディー」のシッポが残っています。

それが昭和30年代に入って独自の吉田メロディーを確立していったのは、やはり戦後、洪水のように日本に入ってきたジャズ、シャンソン、ラテンなどの影響があったからではないでしょうか。

このブログでも頻繁にとりあげる吉田メロディーですが、今回は男女のデュエットを3曲。

デュエットといえば「東京ナイトクラブ」(フランク永井、松尾和子)「いつでも夢を」(橋幸夫、吉永小百合)が双璧でしょうが、今回はそれらをパス。

で、まず一曲目は「若い二人の心斎橋」(三田明、吉永小百合)
“吉田学校”の門下生・吉永小百合の相手役といえば、当時のビクターの若大将・橋幸夫ですが、ナンバー2の三田明にもこの歌や「明日は咲こう花咲こう」がある。
作詞は吉田メロディーに欠かせない相棒・佐伯孝夫
東京生まれでほとんど東京の街を書いていた佐伯にとって珍しく関西を舞台にした昭和39年の歌。

もうひとつ青春歌謡のデュエットを。
やはり39年に発売された「恋旅行」(久保浩、小川知子)
当時吉田正が凝っていたアメリアッチのリズム歌謡。昭和43年「ゆうべの秘密」でブレイクする小川知子の東芝に移籍する前のビクターでの吹き込み。
これも作詞は佐伯孝夫で「有楽町で逢いましょう」同様、企業(小田急鉄道)とのタイアップで作られた。この話は以前やりましたので、詳細は割愛。

3曲目は、もう少し大人の雰囲気で。お得意のムード歌謡。
女性が松尾和子というと、相手はフランク永井といいたいところですが、前述したように毎度毎度なもので、今回、和子さんに浮気してもらって、違う相手と。
「FA(エールフランス)機が呼んでいる」(松尾和子、藤田功)

昭和36年の作品ですが、なぜエールフランスなのでしょうか。
羽田への乗り入れはもう少し前に完了してますし、小田急同様タイアップだったのかも。外国ブランドがカッコイイといのは今も昔もです。

松尾和子の相手役の藤田功はのちに「夢は夜ひらく」を作曲(採譜)した曽根幸明の歌手時代のステージネーム。若い頃は不良だったようで、最近亡くなった安岡力也をビビらせたという芸能界最強伝説が残っている。

2人目は演歌。平成5年に亡くなった猪俣公章。55歳という若さで。

福島県出身で、その訛りになんとも愛嬌がありました。
上京して名門・開成高校から第二志望の東大医学部をめざしたが、古賀政男に弟子入りして、無事第一志望の作曲家になったとか。
古賀政男の弟子として、自分から頼んで大作曲家の楽譜の整理をしたとか。それが作曲家・猪俣公章のどれほどの“栄養剤”になったことか。

とにかく明朗闊達な性格で、酒と女と(バクチはポリシーでやらなかったと)演歌をこよなく愛したとその自伝に書いてあります。

作家として2曲目の「女のためいき」(昭和41年)が初ヒット。森進一のデビュー曲。
その3年後、初のミリオンセラーとなったのが「港町ブルース」

♪背のびしてみる 海峡を

ではじまる名作。作詞の深津武志は当時よくあった雑誌「平凡」の読者作詞コンクールの入選者。なかにし礼が補作詞している。

猪俣の死後、かれがよく通った銀座のクラブ「姫」の元ママであった作家の山口洋子が「背のびしてみる海峡を」というタイトルの本の中で彼の評伝を書いている。

山口洋子は作家になる前、作詞家として活躍したが、それをすすめたのが猪俣公章。ふたりが組んだヒット曲に「噂の女」(内山田洋とクール・ファイブ)、「一度だけなら」(野村将樹)がある。
なんでも、猪俣と山口洋子は遠い親戚にあたるのだとか。

その翌年に書いたのが藤圭子「女のブルース」
前年、「新宿の女」で衝撃的なデビューをした「不幸な少女」藤圭子の第二弾。

作詞は藤の師匠の石坂まさお
四行詩で一番は♪女ですもの が4度び繰り返される印象的な詞は猪俣が出したアイデア。前作を上回るヒットとなり、本格的な藤圭子ブームとなった。

昭和40年代後半からはじまったのが天地真理南沙織、小柳ルミ子に代表されるアイドル歌謡。曲調は演歌というよりポップスだが、猪俣にもそんな路線の依頼が。

デビュー曲が散々だった香港の新人、テレサ・テンの本邦二曲目。
猪俣いわく「コニー・フランシスの線」(そうかな?)という「空港」は大ヒット。
その後、4年あまりの間に、テレサのために数曲書いたがまったくヒットしなかった。そのうちテレサが、レコード会社を変わってしまい、ふたたび猪俣と組むことはなかった。

ほかにも水原弘、五木ひろし、弟子の坂本冬実、マルシアなどにヒット曲を提供していますが、もうひと方とりあげなければならないので、また後日ということで。

最後は中村八大。平成4年、61歳でした。もう20年、早いもんです。

中村八大もこのブログでは“相棒”だった永六輔ともども、何度もふれてきましたし、曲もとりあげてきました。

もはや聴きあきたという感もなきにしもあらずですが、今回はしぼってNHKTV「夢で逢いましょう」の「今月のうた」で紹介された八大・六輔作品を三つピックアップしてみます

かのコーナーから生まれた名曲といえば、唯一ワールドワイドでヒットした日本の流行歌「上を向いて歩こう」(坂本九)ほか、レコード大賞獲得の「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)「ウェディング・ドレス」(九重佑三子)などがありますが、今回こうしたヒット曲はパス。ここではあまりとりあげる機会のなかった名曲を。では。

「故郷のように」(西田佐知子)
西田佐知子が八・六作品をうたうなんて、こうした企画ならではでしょう。
彼女のノンビブラートの澄んだ声がこの曲にふさわしい。
この曲はマーチなので、曲調が似ているというわけではないですが、なぜか彼女の「エリカの花散るとき」を連想してしまいます。

「若い涙」(ジャニーズ)
いずみたく
「太陽のあいつ」と並ぶ初代ジャニーズの名曲です。

もくろんだわけではないですが、これもマーチ。
曲を聴いているだけで、ステージで躍動していた4人の姿が彷彿としてきます。

いまだ勢い衰えないジャニーズグループですが、この初代ジャニーズやフォーリーブスが暗黙の了解のごとく“無視”されているのは、なにか違和感が。
一部のメンバーとのトラブルが原因なのでしょうが、やっぱり大芸能プロダクションの歴史なのですから、元メンバーとしてテレビやイベントに出てきてもいいような気がしますが。

「芽生えて、そして」(越路吹雪)
これも名曲です。
残念ながら越路吹雪盤のYOU-TUBEがなかったので、菅原洋一盤で。
今となっては菅原盤で聴いたことのある音楽ファンのほうが多いかもしれませんが。

永六輔の詞は、愛は愛でもどちらかというと“人間愛”といったイメージが強いのですが、この歌はまごうことなき男女の愛。
永さんのラヴソングとしてはこの歌がベストではないでしょうか。

それにしても改めて感じるのは、中村八大という作曲家のスゴさ。
幅が広いというのか、奥行きが深いというのか。たいしたエンターテイナーです。

今回もずいぶん長くなってしまいました。
それにしても三者三様の作曲家。彼らの遺してくれた流行歌はわたしにとって死ぬまでエヴァグリーン。(あたりまえだね)
でも、うらやましいですね、肉体は滅んでも彼らの創造したものがわたしをはじめ多くの他人を楽しませてくれるのですから。
最後お三方にこういいたい。 Thank you for splendid songs.


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三つの歌●ラテン歌謡曲 [day by day]

浜口庫之助.jpg

先日、スカイツリーがオープンした夜、40年来の友人2人と久々に会い、楽しい時間を過ごしました。

もうこの歳になると、つき合いで呑むのはいやだ。気をつかいながら呑むのはいやだ。

やっぱりお互いの長短を知り合った気の置けない同輩と呑むのがいちばん。
そうなるとどうしても相手は限られてしまう。それでもいいんだ。

しかし今考えると、タイムリーなスカイツリーの話、その少し前の天体ショーの話はおろか、原発再起動から消費税UPからAKBから、NOWな話は何ひとつ話題にならなかった。完全に時代から取り残された還暦越えの3人でした。

それはともかく、そのうちのひとりが無類の歌謡曲好き。
その日も、
「いま、サイコーなんが『夜明けのブルース』、五木ひろしのな。知らないの? 今度聴いてみろよ、ワイルドだぜ」
などとのたまっておりました。

とにかく学生の頃、われわれがやれ「吉田拓郎」だ、「井上陽水」だとほざいているなか、
♪コモエスタ セニョー コモエスタ セニョリータ
とうたっていた男なのですから。

その「コモエスタ赤坂」は昭和43年、ロス・インディオスによってうたわれた曲。
ロス・インディオスといえばいまは亡きシルヴィアをまじえての「別れても好きな人」が知られていますが、グループ名からもわかるとおりもともとはラテン音楽を中心にしたバンド。

メンバーで、やはり惜しくも亡くなったチコ本間さんはアルパの第一人者だった。たしか「八月の濡れた砂」のバックでアンニュイ感を漂わしていたアルパの音色は、チコさんによるものだったと。

そうなんです、昭和30年代から40年代にかけて、ロス・インディオスやロス・プリモスあるいは東京ロマンチカなどのラテン系のバンドが歌謡界に進出して、ビッグヒットをとばすというシーンが何度かありました。
そしてそうしたラテンテーストの歌謡曲はムード歌謡などと呼ばれていました。

そもそも日本に最初に入ってきたラテン音楽、ラテンリズムはタンゴで、これは本場アルゼンチンからではなく、フランス、ドイツなどヨーロッパ経由(日本限定でコンチネンタル・タンゴなどといってました)。
そして日本のタンゴ・シンガーといえば関種子。昭和6年の日本初のタンゴ調歌謡曲「日本橋から」「雨に咲く花」などをうたっています。

また1930年前後には世界的にルンバが流行り、歌謡曲でも由利あけみ「ルンバ東京」「長崎ルンバ」、「広東ルムバ」などが嵐の前ののどかな日本の繁華街に流れていましたっけ(見てきたような……)。

というようにラテン風歌謡曲は戦前からつくられていましたが、今回は戦後限定で比較的ポピュラーな3曲をピックアップしてみました。

戦後のラテンといえばまずマンボ。
昭和でいうと24年ごろメキシコ、アメリカで流行り始め、26年には日本に上陸、翌27年にはかの「お祭りマンボ」(美空ひばり)がヒットします。

しかしマンボがさらにブームとなるのは昭和30年代にはいってから。
31年には創始者のひとりであるペレス・プラドが来日。
そんななかでヒットした和製マンボが、
東京アンナ(歌:大津美子、曲:渡久地政信、詞:藤間哲郎)

豊橋市出身の大津美子は「東海のひばり」と呼ばれるほど少女時代からの歌上手で、作曲家の渡久地政信について昭和30年、キングレコードからデビュー。そのとき17歳。
「東京アンナ」は第二弾。
当時かなりヒットしたようで、実現しませんでしたが、アメリカのアーサ・キットがこの歌を聴いて、ぜひ共演したいといったとか。

マンボではじまった戦後昭和のラテン歌謡は、30年代に殷賑を極めます。
それは都会調歌謡曲、そしてムード歌謡と呼ばれるようになります。
その中心にいたのが作曲家の吉田正

彼のヒット曲で、いまだデュエット曲の定番になっている「東京ナイトクラブ」(歌:フランク永井、松尾和子、詞:佐伯孝夫、昭和34年)もスローマンボ。
そしてその翌年にやはり吉田、佐伯、フランク永井のトリオでヒットしたのが、

「東京カチート」
当時、日本でも人気だったナット・キングコール「キサス・キサス・キサス」「グリーン・アイズ」などのラテンポップスをヒットさせていました。そのひとつが「カチート」。
そこからヒントを得て吉田正がつくったのがこの「東京カチート」。

ラテンのリズムに歌謡曲の旋律が融合して典型的なラテン歌謡になっています。
また、「もはや銀座じゃないだろう」と、赤坂をロケーションとした佐伯孝夫の先見性。このあと「赤坂」はムード歌謡の聖地となっていきます。

吉田正といえばラテン歌謡曲の代名詞のような存在ですが、もうひとりラテン歌謡曲を語るうえで欠かせない作曲家がいます。それが浜口庫之助

浜口庫之助、通称ハマクラさんは、戦前からラテンやハワイアンのバンドマンを生業としていて、戦後はラテンバンドを率いると同時に、ソロ歌手としても昭和28年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。
紅白ではいずれも洋楽をうたっていますが、29年には「セントルイス・ブルース・マンボ」というスゴイ歌をうたっている。
残念ながら聴いたことはないが、まぁ、「セントルイス・ブルース」をマンボにアレンジしちゃったのでしょう。(あたりまえだよ)

作曲家に転向したのは34年、その第一作の「黄色いサクランボ」(スリー・キャッツ)は大ヒット。子供だったわたしも訳もわからず「わーかいむすめは うっふん」などと真似ていましたっけ。
これもまさにラテンの匂いのする一曲。

その後、「僕は泣いちっち」、「バラが咲いた」、「夕陽が泣いている」、「星のフラメンコ」、「涙くんさよなら」、「夜霧よ今夜も有難う」などヒット曲を連発していきますが、なかでもラテン歌謡にふさわしいと思う一曲は、
粋な別れ(歌:石原裕次郎)

裕次郎のオリジナルはイントロをはじめとして聞こえるリズムがリズムの宝庫、キューバの「ソン」のよう。かの「タブー」などもそうですね。
では、オマケにボサノヴァにアレンジしたハマクラさん自身の歌も。

裕次郎の名曲でもありますが、ハマクラさん屈指の傑作だと思っております。
和風の無常観を想起させる詞ですが、これまた「粋」という和風の言葉を合わせることでダンディズムさえ感じてしまいます。
「和洋折衷」にこころがけたハマクラさんにふさわしいラテン風味の歌謡曲。

さいごになりましたが、また愛すべきシンガーが亡くなりました。
尾崎紀世彦さん。カントリー出身ということもあり親近感がありました。
70歳前とは、未練が残ったでしょうね、残念です。

尾崎さんを偲んで彼の歌を2曲。
まずは、今回のブログに合わせて最もラテンぽいカヴァー曲、スペイン産の「太陽は燃えている」

もう1曲は、彼の原点、GSのワンダース時代の歌を。
「マサチューセッツ」や「ロック天国」といった洋楽や「白いブランコ」、「風」といった和製フォークのカヴァーをうたっていましたが、数少ないオリジナルからYOU-TUBEにあった「赤い花びら」を。
昭和43年の楽曲で、橋本淳―筒美京平のゴールデンコンビ作。

尾崎さんのご冥福をお祈りいたします。


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三つの歌●ラテンJポップス [day by day]

チューブA.jpg

ダルビッシュはスゴイ。
開幕から早くも6勝。順調にいけばシーズン20勝はいきますね。

テレビで見ていて、日本でのときほどの圧倒的な球の威力は感じられないけど、変化球はいいし、なによりも強運。

あとは今日は負けたけどヤンキースの黒田もローテ入りで頑張ってる。今年は少し防御率がよくないけど。

新人では青木も川崎も岩隈もいまひとつだなぁ。青木、川崎はなかなかチャンスがめぐってこないのが気の毒。とりわけ青木は常時使ってもらえれば、いい成績残すと思うんだけど。
岩隈は中継ぎで実績をあげつつあるので、しばらくは中継ぎ、抑えでいくしかないかも。

そう考えると鳴り物入りで入り、その期待に応えているダルビッシュはたいしたもんです。

イチローも去年今年と、年齢による衰えのようなものを感じちゃう。当然だよね。12年間ケガもせず、ほぼ出ずっぱりでプレイしてきたんだから。もはや記録にも記憶にも残るメジャーリーガーになったのだから、あとはいつ引退するのかなんて余計なこと考えてしまったり。やめどきがむずかしいね、あのくらいの大打者になると。

松井はどんなんでしょうか。
個人的には誰よりも好きなプレイヤーですが、果たしてレイズでメジャーに上がれるかな。
上がってもレギュラーはキビシイかもしれないな。
すべてはあのヤンキース時代の左手首骨折から歯車が狂っちゃた。
あれさえなかったならシーズン40ホーマーも……、なんて考えてもしょうがないけど。
しかし、アスリートにとってケガはほんとにコワイ。

とにかく今年はダルビッシュを見ているだけでメジャーはおもしろい。毎回の記者会見もクールで自己分析が巧みでいいね。

ブログの「まくら」をスポーツにしたわけではないけど、今回もそんな話になってしまいました。まぁ無難ですし。

今回は前回の続きで、調子に乗って日本のラテン味の歌を3曲ピックアップしてみました。
まずはポップス、すなわちJポップで。

最近のJポップはチンプンカンプンですが、ちょっと(どころじゃないかもしれない)前のならいくらか耳に残っている。

ただラテン系といっても、前もふれましたがスローなボサノヴァやボレーロもありまして、たとえばボサノヴァなら丸山圭子「どうぞこのまま」とか、森山良子「雨上がりのサンバ」とか、ズバリ研ナオコ「ボサノバ」などがありますが、今回はもうすこしノリのよいサンバ系をポップ、じゃなくてホップ、ステップ、ジャンプの勢いでYOU-TUBEにつないでみたいと思います。

さよならイエスタデイ(TUBE)
チューブといえば「夏歌キング」ですが、ひところラテン系、とりわけサンバ系の歌も意図的にうたっていました。「あー夏休み」とか「純情」とか「花火」とか「恋してムーチョ」とか。
その代表的な歌がサンバのアレンジの「さよならイエスタデイ」。「あー夏休み」の翌年、1991年発売。

チューブについてさほど詳しいわけではありませんが、この「さよならイエスタデイ」はいわゆる「女歌」。ほかにあるのかな女歌が。

とにかく情熱的な歌で、ヒロインは彼と別れてから「数え切れない男と夜をともにして……」というからいま話題の二股男か、三又又造かといくらいスゴイというかコワイ女。

輪舞曲 (松任谷由美)
ユーミンも時々ラテン系をやらかしてくれます。
「真夏の夜の夢」がそうだし、「埠頭を渡る風」もそんな感じです。

そんななかでもモロ、サンバのリズムをつかっているのが「輪舞曲/ロンド」。
1995年発売で、ユーミン27枚目のシングルだそうです。

輪舞曲(ロンド)がラテンというわけではなく、ロンドとは音楽の形式(詳細はウィキペディアあたりで)のこと。
ザ・ピーナッツの名曲「恋のロンド」はラテン系じゃないものね。

この歌はどうやら結婚披露パーティで、踊る幸福な花嫁(不幸な花嫁っているのかな、いるな、多分)の心情をうたっているようで、そのダンスがサンバなのかどうかは不明。

キ・サ・ラ恋人(石川セリ)
さいごは1984年のこの曲を。

曲の冒頭からしばらくはそうな風でもないけど、サビから曲調がガラっと変わっていきなりラテン調に。ルンバフラメンコっていうんでしょうか、よくジプシーキングスで聴けるようなリズム。ポルノグラフティ「アゲハ蝶」もそう。

なんでもサントリーのコマーシャルソングだったでそうですが、80年代というのはもっともテレビを見ず、音楽を聴かずの時代でしたので記憶にありません。
なので「キ・サ・ラ恋人」を聴いたのは、たしかその後、石川セリのベスト盤か何かで。

その曲と詞を書いたのがかしぶち哲郎。
「はちみつぱい」から「ムーンライダース」のドラマーとして在籍していて、中原理恵をはじめアイドルシンガーにたくさんの曲を提供しています。

石川セリはいわずもがなの井上陽水夫人。
というよりわれわれの年代にとってはデビュー曲の「八月の濡れた砂」のカリスマシンガーという印象。
エキゾチックな顔とつぶやくような歌唱が印象的でした(まだ現役だよ)。
個人的には70年代の「ガラスの女」や、そのB面の「うしろ姿」をよく聴きましたっけ。

そのうち石川セリ、石川ひとみ、石川さゆり、石川秀美、石川進などなどで「その名は●石川」なんてやってみようかな。

余談はさておき、ここまできたら次回は「ラテン歌謡曲」をやらねば。
いつになることやら、ですが。


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三つの歌●ラテン・ポップス [day by day]

S・スティルス.jpg

オリンピックが近づいております。
今年からの新種目、女子ボクシングは注目してます。

何度かテレビで試合を見ましたが、馬鹿にしていたわけじゃないけど、そのレベルの高さにびっくり。アマもプロも。

ただ「しずちゃんフィーバー」は疑問。
前回のアジア大会で韓国の高校生(彼女は優勝はおろかメダルさえ獲っていない)に一蹴されてもまだマスコミの熱さめやまずだもの。

五輪出場の条件が世界選手権ベスト8だそうだけど、なんでも世界各国から40人とか50人とかがエントリーしているらしく、まず無理だろうなぁ。勝負の世界だから何が起こるかわからない、とはいえ。まだフライ級の箕輪選手(彼女は強い)のほうが可能性がある。

あたりまえだけど試合というのは相手があるもので、何人ぐらいが出場するのかとか、どういう強豪がいるのか、という重要な情報はいっさい無視して、ひたすらしずちゃん情報だけを流し続けるテレビ、新聞。少なくともまともなスポーツの情報じゃないね。まさに芸能情報のノリだもの。

ふだん地味なアマチュアボクシング連盟は、これぞ宣伝のチャンスとばかり、そうした「芸能報道」(大手新聞社まで)にのっかっちゃった。賢いね。

ようやく終焉した「猫ひろしフィーバー」もそうだけど、マスコミはなんで実力の伴わない選手を話題づくりのためだけに「いざ、オリンピックへ」などと大げさに煽り騒ぐのかなぁ。これらの騒動を苦々しく思っているアスリートは少なくないと思うんだけど。

と、まぁ軽~くジャブでウォームアップしておいて、いざ本番の音楽へ。

前々回、三つの歌として「ラテン・ジャズ」をやりましたが、これがすべて演奏のみ、ヴォーカルなし。
「どこが歌なんや」とセルフツッコミをしつつ、失地回復をと再びラテンを。

まぁひとくちにラテンといいましても、サンバやサルサなどの激しいリズムのものから、情熱的なタンゴやルンバ、郷愁的なボサノヴァやボレーロ、あるいはフォークロアなど幅広いのですが、あくまでアレンジと雰囲気を重視しつつ、今回はポップスで三つ選んでみました。

コパカバーナCopacabana(バリー・マニロウ)

1978年のヒット曲。日本でもそこそこ流れていました。
コパカバーナはブラジルはリオにあるリゾートビーチらしい(当然いったことがない)が、この歌にうたわれている「コパカバーナ」はニューヨークのナイトクラブのこと。

そういえば日本にも昔、赤坂にナイトクラブ、コパカバーナがあった。
日本人で、のちにインドネシアの大統領夫人になったデヴィ夫人が勤めていたことでも知られている。

ストーリーは恋に落ちた踊子のローラとバーテンダーのトニーの悲しき恋の物語。
銃声がしたり、クラブが血の海になったりと、ノリのいい歌にしてはけっこう凄惨。

スウェイSway(マイケル・ブーブレ)

キューバ生れのチャ・チャ・チャをベースにメキシコで生まれた「キエン・セラ」が本歌。
1950年代に、ポップスにアレンジされて、ディーン・マーチンローズマリー・クルーニーらによって知られるようになった。

日本では昭和30年代のラテンブームで、トリオ・ロス・パンチョスなどがうたっていたおなじみの曲。したがって「スウェイ」というよりは「キエン・セラ」のほうが通りがいい。
日本盤もアイ・ジョージ、坂本スミ子はもちろん、水原弘ザ・ピーナッツ、新しいところでは(でもないか)小野リサで聴ける。小林旭「キエンセラ・ツイスト」なんてのもある。

近年では映画、アメリカ版「シャル・ウィ・ダンス」でプッシーキャッツ・ドールズPussycat dolls がうたっていたようだし(観てません)、カナダのマイケル・ブーブレもファーストアルバムに入れていました。

パナマ Panama(スティーヴン・スティルス)

これは前のふたつにくらべるとかなりマイナーな歌。
スティーブン・スティルスはロックファンにはいうまでもないだろうが、バッファロー・スプリングフィールドから、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュと組んだCS&N、さらにはニール・ヤングを加えたCSN&Yで活躍したロッカー。

この歌「パナマ」は、アメリカの少年が異境の地パナマで初体験をするというストーリー。いつもながらフランク・ザッパというか、大雑把な説明。

スティルス自身、父親の仕事の関係で子どもの頃パナマに住んでいたというから、実話なのかもしれない。

パナマはご存じのとおり、北米と南米をつなぐ、パナマ運河のある国で、音楽事情はなじみがありませんが、ペレス・プラードやトリオ・ロス・パンチョスなどで日本でも知られているボレーロ、「ある恋の物語」Historia de un amorはパナマ産。

「パナマ」はギタリストでもあるスティルスの音楽性の幅広さを感じさせるノスタルジックなフェヴァリットソング。

やっぱりラテンはいいなぁ。
日本人のラテン好きは戦前のタンゴブーム(ドイツ経由が多かったけど)まで遡る。
となればやっぱり、日本のラテン系、つまりラテンJポップやラテン歌謡曲なんかも聴いてみたい気がしてきました。


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三つの歌●春風はブルーグラスにのって [day by day]

フラット&スクラッグスA.jpg

まだまだ春は続いております。
ここんところ上着を脱ぎたくなるような暑さ。
あの、うだるようなジトジト盛夏を予感させるような季節です。

思い返せば、去年のいまごろは何をしても虚しいような気がして、心穏やかならぬ日々が続いておりました。
1年前よりは安楽な時間を過ごせているとはいえ、やはり不安は解消されることはありません。

放射能はいまだ出続けているでしょうし、のど元過ぎればなんとやらで、一時ひろがった脱原発の風潮もいささか退潮ぎみで、再稼働やむなしという世論は静かに確実にふえつづけています。いいのかな。

わたしには、広島、長崎、第五福竜丸、そして福島と、チェルノブイリを除けば例がないほど放射能にいためつけられてきた日本が、持ち前の順応性によってまたも放射能のリスクを受け入れようとしている姿は、まるで“集団自殺”のように見えるのですが。

そうそう、こんなことを書くつもりではありませんでした。
ついつい愚痴が……。

どんな厭なことがあっても音楽はそれをひととき忘れさせてくれます。
現実逃避だろうが、アヘンだろうがかまわない。
やがて時がくればいやでも現実に向き合わなくてはならないのですから、暫しリッスン・トゥ・ザ・ミュージックで。

もういちど言います。まだ春が続いております。
春風にのって聴こえてくるのはブルーグラス

なんでブルーグラスが春なのか。
まぁ、能書きをいえば、あの軽快な音楽はこれから盛りに向かうシーズン、春にふさわしい。そもそも「ブルーグラス」、青草という言葉が春ではないですか。

それに以前「春風はブルーグラスにのって」という本を読んだこともありまして。やっぱりブルーグラスは夏でも秋でも冬でもなく、春なのです。

というわけで、ブルーグラスのフェヴァリットソングの2012年限定版で3曲ばかりお耳汚しをしてみたいと思います。

まずオープニングはいかにもという曲。
ブルーグラスのなかに「ブレイクダウン」というのがあります。
早弾きってことです。バンジョーだろうがフィドルだろうが、マンドリンだろうがとにかく演奏がめまぐるしいのです。

その代表的な曲が「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」Foggy Mountain Breakdown。
これはブルーグラスに興味がなくても知っている人が多い。

1960年代のアメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」につかわれていました。
ただこれは以前とりあげましたので今日はパス。

もうひとつブルーグラスのコンサートで頻繁に演奏されるブレイクダウンナンバーがあります。それが「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」。Orange Blossom Special

♪みかんの花が咲いていた
というのはノスタルジックな日本の童謡ですが、こちらの「オレンジの花」号は列車のこと。
「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」はバンジョーが中心ですが、こちらはフィドルが主役。
ということはブレイクダウンではなくて、ボウダウンになるのかな。
ほとんどインストで聴かせる曲ですが、歌詞もあり、その「オレンジの花」号には“オイラのいい人”が乗っている。だからもっとスピードをあげてやって来い、というわけ。

トラディショナルソングで多くのプレイヤーが演ってますが、やはりビル・モンローと彼のブルーグラス・ボーイズBill Monroe and His Bluegrass Boysの印象が強い。

きょうはヴェッサー・クレメンツVassar Clements をはじめトップクラスのフィドラーが終結したYOU-TUBEで。

続いて2曲目はこれも古い歌で、
「ディム・ライツ・シック・スモーク」Dim Lights, Thick Smoke and Loud Loud Music

フラット&スクラッグスFlatt & Scruggs が知られていますが、はじめて聴いたのは、バック・ライアンとスミッティ・アーヴィンBuck Ryan & Smitty Irvin盤。
バックはフィドラーで、スミッティはバンジョー奏者。

歌の内容は、紫煙たちこめ、カントリーミュージックが響き渡るホンキートンクに入り浸る男の話。
仕事が終わると、きまって酒場に足が向かってしまう。そして毎日ドンチャン騒ぎ、これじゃ嫁さんも来ないし、家庭なんて持てるはずはない。でもやめられねぇんだな、こんな生活が。この気持ち、アンタに分かるかな? わかんねぇだろうなぁ。
なんて話。

フラット&スクラッグス盤はペーソスあふれたバラード。しかしバック&スミッティのほうはもう少しテンポが軽快で、YOU-TUBEにはなかったけれど、こんな感じ
そういえば、カントリーロックのグラム・パーソンズGram Parsonsでも聴いたことがありました。

とにかくブルーグラスのなかでも哀愁たっぷりの好きな曲。

最後は、これまたブルーグラスでは有名な曲。
「転がり込むんだあの娘の腕に」Rollin' My Sweet Babys Arms

ブルーグラスのナンバーというよりカントリーの定番といったほうがふさわしい曲で、それこそレオン・ラッセルバック・オウエンスなども演っている。
「恋人の腕に抱かれて」なんて邦題もあるようで。
はじめて聴いたのはニュー・ロスト・シティ・ランブラーズThe New Lost City Ramblers 。

スタンレー・ブラザーズThe Stanley Brothers のラルフRalph Stanley の作(トラディショナルという説も)。
こちらも汽車が出てくる歌で、フィドルが見せ場をつくります。

恋人がやってきたら、きっとうれしくって抱きついちゃうよ、と汽車を待ちわびている男の歌。
しかし、彼女の両親からひどく嫌われているというありがちな設定で、結局自分はヘマを打って牢屋入り、その格子越しに他の男と歩いている彼女を見るという最悪の結末。

もはや何度もでてきましたが、最後にもう一度アール・スクラッグスEarl Scruggsを偲んで、ドク・ワトソンDoc Watsonとリッキー・スキャッグスRicky Skaggsを加えたスーパートリオで。


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その名は●ニーナ [the name]

 ニーナ・シモン.jpg
♪小雨降れば ひとり待つニーナ
 なにも聞かず 読みかけの本を
 捨てて抱き合った おまえの肌
 ニーナ 素顔がきれいだ
 夜の風をこわがった ニーナ
 ひとつ灯残し あの部屋で
 おまえの気持ちは 甘くくずれ
 ニーナ 泣いたよ
 ………………
(「追憶」詞:安井かずみ、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和49年)

上に歌詞の一部をのせた「追憶」は、以前やりました「その名は●安井かずみ」でもふれましたが、安井、加瀬、沢田の作詞家、作曲家、歌手がそれぞれもっとも充実していた頃の歌。(音だけのYOU-TUBEを使いたかったのですが、CMが長すぎるのでバツ。追憶にニノ・ロータの「若者のすべて」をからませるのはおもしろい。Cobaのアイデアでしょうか。でもすぐに消されるなこの画像)

気をとりなおして。しかし、安井かずみさんはどこから「ニーナ」をもってきたのでしょうか。

ニーナNINAという名前は元はロシアでつかわれていたアンANNEの愛称で、その後、米英をはじめ、フランス、ドイツでもつかわれるようになったとか。

そこからヒントを得たかどうかは不明ですが、「ニーナ」といって思いつくのは唯一ニーナ・シモンNINA SIMONE。ジャズシンガーでありピアニストでもあった。

ニーナ・シモンは1933年の2月21日、アメリカはノースカロライナで生まれた。
そして2003年の4月21日、つまり“今日”、フランスで亡くなっている。

ニーナ・シモンというのはステージネームで、本名にはニーナもシモンも入っていない。
なんでもシモンはフランスの大女優シモーヌ・シニョレからとったそうだ。
かんじんのニーナのほう子どもの頃の愛称(小さいという意味があるらしい)。

詳しく知りたい方はウィキペディアでどうぞ。日本で自伝も発売されたが、もはや絶版のようで古書はかなり高額。

そんなわけで今日はニーナ・シモンの歌のいくつかで偲びたいと思います。

「行かないで」Ne me quitte pas
ジャック・ブレル Jacques Brelが1959年にヒットさせたシャンソン。
ニーナは亡くなる数年前からフランスで活動をしていた。
フランスだって人種差別はあるけれど、黒人にとってアメリカよりははるからに暮らしやすい国なのかもしれない。ジョセフィン・ベイカーもそうだし、たしかアーサ・キットも一時フランスで歌っていましたっけ。
この歌は[If You Go Away]のタイトルでシャーリー・バッシー、グレン・キャンベル、ブレンダ・リー、アンディ・ウィリアムスなどなどがうたっていた。

「悲しき願い」Don't Let Me Be Misunderstood
日本の洋楽ファンがこの曲を知ったのはおそらく1965年のアニマルズのヒットによって。わたしもそう。日本ではタカオ・カンベ(網走番外地の作詞者のひとり)の名訳で尾藤イサオがカヴァー。そして70年代後半にはサンタ・エスメラルダのダンスチューンでリヴァイバルされました。
しかし、オリジナルはニーナ。1964年のこと。
ニーナがうたうとたんなる失恋ソングには聞こえない。黒人であること、さらには人間であることの悲しみが滲み出てくる。

「朝日のあたる家」The House of  The Rising Sun
これまた日本ではアニマルズで有名になった曲。
元々はアメリカのトラディショナルソングで、当初はウディ・ガスリーはじめ多くのフォーキーたちにうたわれた。
日本では「朝日楼」のタイトルの浅川マキのカヴァーが有名。そのカヴァーである、ちあきなおみもいい。
YOU-TUBEのニーナはわたしのもっているCDとは違うヴァージョンで、こちらのほうがよりプリミティヴな叫びのような気がする。スゴイ。

「ミシシッピー・ガッデム」Mississippi Goddam
キング牧師の影響で公民権運動、黒人解放運動にたずさわったニーナ。
多くのプロテストソングをうたったが、その代表的な歌がこれ。
テネシーでのキング牧師暗殺、そしてアラバマやミシシッピーでおこった黒人および公民権運動家たちの受難を糾弾し、最後に「くたばれ!ミシシッピー」と。
沈鬱なバラードではなく、ノリのよいピアノの弾き語りで、ときにはシャウトする、戦闘的なニーナがいい。

「ジン・ハウス・ブルース」Gin House Blues
「ネェ、お兄さんジンを一杯おごってよ」
という酔っ払いの歌。説明が安易。
これもニーナのバレルハウス・ブギの弾き語り。
この曲も浅川マキがカヴァーしている。やはり日本のソウルフルシンガーとしては共振しますよね、ニーナに。
ニーナを聴き始めたときにハマった曲。

「禁断の果実」Forbidden Fruits
ニーナ・シモンを聴き始めたのは、若い頃、友人からLPレコード(アルバムなんていわなかった)を借りてから。だいたいこのパターンが多い。そのLPが「禁断の果実」。
アルバムタイトルのこの歌が第一曲目(もはやレコードがないので多分)で、その声と歌唱に圧倒された。
禁断の果実とはイヴが食べてエデンの園を追われることになった「りんご」のこと。
つまりアダムとイヴの物語。
この歌を聴くと、アダム&イヴの発祥はアフリカではないか、と思ってしまう。

「奇妙な果実」Strange Fruit
果実といえばもう一曲、有名な歌がありました。
ビリー・ホリデーBilly Holidayの「奇妙な果実」。
ジャズファンならごぞんじのとおり、「奇妙な果実」でうたわれている果実は木にたわわに実ったフルーツではなく、木の枝からロープで吊り下げられた人間(黒人)のこと。
その当時「奇妙な果実」はアメリカ南部では見慣れた風景だとうたわれている。
その歌を公民権運動に身を置いたニーナもうたっている。
この歌はおそらく白人にはまずカヴァーできない。そんな奇妙な歌でもある。

しかし、ニーナの歌を聴いていると、「白人も黒人もない、みんな人間なんだ。人間ってなんて素晴らしいんだ……」って聞こえてくる。だからうたっちゃおう、
♪ニーナ ニーナ にんげんってニーナ……

…………ぶちこわしですか。


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