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その名は●小百合 [the name]

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「さゆり」といえば、100人中100人が「吉永小百合」を思い浮かべるのでは。
いや、最近はアイドルや政治家にもさゆりさんがいるようなので、97人くらいかもしれない。いや、もっと少ないかな。
いずれにしても、過半数以上圧倒的に「吉永小百合」であることは間違いない。

ちなみに、「小百合」という名前は、吉永小百合がブロマイドの売り上げランキング1位になった昭和30年代後半あたりから、増えつづけていったといわれている。ほんとだろうか。そういえばわたしの子どもの頃、同級生に「さゆり」ちゃんはいなかったし、大きくなっても、同年代のさゆりちゃんに会ったことがないし、それまでの女優や歌手の「さゆり」さんも知らない。

その吉永小百合といえば、いま彼女主演の映画「不思議な岬の物語」が封切られている。
モントリオール映画祭で2部門で受賞したり、小百合さんの初プロデュース作品ということでも話題になっている。

わたしはサユリストではないけれど、すばらしい女優ですね。
「キューポラのある町」から、「青い山脈」、「愛と死をみつめて」、「男はつらいよ 柴又慕情」などなど銀幕の小百合さんを観てまいりました。
ただ、「愛と死……」以前の作品は、封切りで観たわけではなく、のちに名画座で。しょうがないよね、年齢不足だったのだから。

それでも、その「愛と死……」や渡哲也と共演した「愛と死の記録」や「白鳥」あたりまではいわゆる“青春もの”のイメージが強く、寅さん映画に出てきたときは、あまりにも「お姉さん」になっていていささか違和感を覚えた記憶が。

あの山田洋次特有の観ていて恥ずかしくなるような演出はちょっと気の毒だったけど。
それでもアンアン三人娘の陽気なシーンと、小説家の父親(宮口精二が柴錬みたいでよかった)との折り合いの悪さ、というコントラストがさすが山田洋次。
小百合さんは、そうした普通の女性を上手に演じていました。
「キューポラのある町」や「青い山脈」で見せた、潔癖で気の強い、生硬な少女は成長をとげ、すっかり大人になっていました。

そうした大人の小百合さんも魅力的だけれど、わたしにとっての吉永小百合は、やっぱりときには激しい感情をあらわにし、ときには鋭い眼光で不正を糾弾する、そんな少女なのです。

そんなわけで、彼女の主演・プロデュース映画が成功することを願いつつ、歌い手としても「レコード大賞受賞歌手」である彼女の、若かりし頃の歌を三曲。

●キューポラのある町

「キューポラのある町」童話作家・早船ちよの原作を映画化したもので、昭和37年の公開。浦山桐郎の初監督作品でもあった。
監督には主人公の少女・ジュンにこだわりがあり、吉永小百合のイメージではなかったとか。
また、彼女は撮影前に盲腸炎の手術をし、退院翌日にクランクインで、いきなり土手の上を走るシーンがあり、OKが出るまで何度も走ったというようなエピソードが浦山桐郎の評伝に書いてあったのを思い出しました。
そんなこともあって、会社の意向で仕方なく売出し中の人気女優を起用した浦山桐郎だったが、撮影がすすむうちに吉永・ジュンにのめりこんでいったようだ。それほど17歳の少女は女優として魅力的だったのだろう。

作品はこの年のキネ旬2位。ブルーリボンでは作品賞、新人監督賞とともに、彼女は17歳という若さで主演女優賞を受賞。大器の片鱗を印象付けた。

わたしが観たのは残念ながら昭和も40年代に入ってから。しかしこんな主題歌などスクリーンから聴こえてこなかったけど。
それもそのはず、じつはこのレコード「キューポラのある町」は映画「続・キューポラのある町」の主題歌なのである。
公開は第一作から3年後の昭和40年。

作詞作曲は「いつでも夢を」の佐伯孝夫・吉田正。ビクターの黄金コンビである。
歌詞の「あなたたち」が流行歌の詞としては新鮮で、なぜか耳に残ります。

●光る海

「キューポラのある町」の翌年、つまり昭和38年の主演映画の主題歌。
原作は戦前から、とりわけ昭和20年代、30年代の青春小説の神様・石坂洋次郎。
「乳母車」、「陽のあたる坂道」、から「若い川の流れ」、「あじさいの歌」、「あいつと私」、「青い山脈」など日活はたいへん世話になっている。

吉永小百合も「青い山脈」をはじめ、「寒い朝」、「草を刈る娘」、「赤い蕾と白い花」、「若い人」、「雨の中に消えて」、そして「光る海」と何本もの石坂映画で主演をつとめている。

ちなみに小百合さん、「キューポラのある町」から「光る海」までの1年間に15本の映画に出演している。すべて主演ではないけれど、これはスゴイ。また日活がいかに吉永小百合に期待していたかがわかる。
レコードは翌39年の1月にリリースされたもの。

やはり吉田―佐伯コンビで。
いかにも当時の青春歌謡といった感じ。小百合さんの若い声を聴いているだけでジンときます。この歌、ファンにはけっこう人気のようです。

●若い歌声

最後はデュエットで。
デュエットといえば橋幸夫。
いまさらですが、「いつでも夢を」のレコード大賞コンビ。

「いつでも夢を」はいい歌です。
佐伯孝夫の菩提寺には墓碑にその歌詞が刻まれているとか。
個人的には「再会」のほうが好きだけど、歌詞の中に『監獄の壁』が出てきちゃまずいものね、モニュメントとしては。

そんな「いつでも夢を」もいいけれど、吉永―橋のデュオではほかにもいい曲があります。
♪下町も山の手も…… の「若い東京の空の下」もいいけど今回は「若い歌声」を。

これは38年11月というから、光る海の前にリリースされた歌。
やはり吉田―佐伯コンビ。しょうがないよね、この時期のビクターの主戦コンビですから。

ただ、これは映画ではなく、TBSのテレビドラマ「いつでも歌を」の主題歌。
どことなく「いつでも夢を」に似ているのは、柳の下を狙った制作側の意向があったのでしょうか。
間奏に入るセリフもなつかしい。
当時はこういうパターンがけっこうありました。
橋幸夫のナレーションでは、思わず「えっ、子連れ狼?」なんて立ち上がったり、……ウソですけど。

小百合さん、若いころから歌もそこそこ上手ですよね。なによりも声がいいし。
だいたい、日活の女優陣というのは松原智恵子さんにしても、芦川いづみさんにしてもあまり上手じゃない。そんななかでは浅丘ルリ子さんと双璧でしょうね、レコード化に耐えうる“歌う女優”ということで。

そんな小百合さんですが、なんだか引退の声が漏れ聞こえております。ほんとかな。
でも来年大台の○歳でしょ。とてもそうは見えないけど。どうみても50代前半(いいすぎかな?)だものね。

それにしても、女優さんの身の引き際は難しい。原節子のように40代になったばかりで引退するスターもいるし。芦川いづみや叶順子(大映)などは30歳そこそこで銀幕から去ってしまったし、反対に岡田茉利子や若尾文子、有馬稲子らは○歳を超えてもなお、女優業現役に執着している。役者魂っていうのか女優魂っていうのか。

彼女たちの考え方、生き方それぞれということなのでしょうが、齢を重ねたなりの役があるのでしょうが、正直、小百合さんにはプロデューサー業に専念していただきたい、という勝手な思いがあります。


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その名は●ピート・シーガー [the name]

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わたしの音楽の心の大師匠であったピート・シーガーが亡くなりました。

高齢だったのでいつかは……と思っていましたが、94歳でした。

マッカーシズムを生き抜き、反人種差別、反戦と自身の思うところをみごとに貫いた一生ではなかったでしょうか。

アメリカの良心”がひとつ消えてしまいましたが、彼に影響を受け、その意思を継いでゆくミュージシャンは少なくないはずです。

YOU-TUBEでピートさんを偲んでみたいと思います。

Turn Turn Turn

This Land is Your Land

Last Night I Had The Strangest Dream

Down By The Riverside

Que Bonita Bandera

良きハートを、良き歌をありがとうございました。

プラスワンでもう2曲、昔ハマった曲を追加しました。

When The Saints Go Merching In

So Long, it's Been Good To Know You 

 


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その名は●島倉千代子 [the name]

 島倉千代子.jpg

仕事の忙しさがピークにさしかかっておりますが、そんなこといってられません。
なんとか合間をこじあけて、このブログを書いております。

お千代さんが亡くなりました。
この時世、75歳はいささかはやすぎますね。

ここ2、3日歌謡曲の懐メロが聴きたい気分になって、仕事をしながら好きな30年代の
歌謡曲を自制したCDを聴いておりました。
そのなかにもちろん島倉千代子さんの「この世の花」が入っております。

「この世の花」はわたしを歌謡曲の世界に誘ってくれた、わたしの中では記念すべき曲。当時わたしは5歳。
東京だよおっ母さん」もいい、「東京の人さようなら」もいい、「からたち日記」も、「逢いたいなァあの人に」も、「恋しているんだもん」もいいなぁ。
守屋浩とのデュエット「星空に両手を」もいいんだなぁ。

カヴァー曲だって。
吉田メロディーの「再会」、鈴木メロディーなら「女の意地」、梶芽衣子の「怨み節」もよかった。そういえば陽水の「夢の中へ」もレコーディングしていたっけ。

鈴木メロディーの「赤坂の夜は更けて」は競作のオリジナル曲。
お千代さんといえば、着物姿だけど、いっときテレビでも洋服の衣装で出ていたことがあった、記憶がゆがんでしまってりいるかもしれませんが、ワインレッドのスカートがとても新鮮で印象的でした。膝うえぐらいのね。
「愛のさざなみ」をうたっていた頃でしたか。

美空ひばりとは好対照でした。
ありがちな比較ですが、美空ひばりが太陽ならば、お千代さんは月。
花にたとえれば、ひばりが薔薇、お千代さんは、からたちといいたいところだけど、水仙じゃないでしょうか(ちがうかな)。

晩年は、仕方ないのだけど声がでなくなっておりました。
それでも舞台に立つという心意気には拍手をおくるべきなのでしょうが、いささか悲しいことでもありました。

それでも、やっぱり今後、テレビでもライブでは見られないとなると淋しいことです。

なんとなく今、聴きたい歌を五つ選んでみました。
お疲れさまでした。ありがとうございました。

●この世の花
何度聴いても飽きません、とりわけデビュー当時の声色が最高。西條八十の得意な純情乙女が描かれています。

●逢いたいなァあの人に
お千代さんの“泣き節”全開。昭和30年代主流だった都へ行ってしまった「いい人」を思う故郷ソング。作曲は「美貌の都」や「東京のバスガール」の上原げんと。20年代、30年代のコロムビアのヒットメーカー。

●恋しているんだもん
こういうチャンチキぶりもいいもんです。曲は市川昭介、詞は西沢爽。都はるみにカヴァーしてもらいたい。

●星空に両手を
めずらしいデュエットソング。北原謙二とのもありましたが、これが極めつけ。お相手は守屋浩。作曲は守屋の「長いお下げ髪」の神津善行。

●夢飾り
昭和の終わりころにつくられた歌。作曲が「そして、神戸」や「舟歌」の浜圭介なので、いささかポップな感じになってます。ここからハマクラさんの「人生いろいろ」に続いていくのでしょうね。

Mashi☆Toshiさん、前回でのnice!をありがとうございました。

画像認証なんてものが新設されたようで、それ読めないときてます。そこでこの場をかりて返信させていただきました。

 


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その名は●岩谷時子 [the name]

その名は●岩谷時子

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ブログを復活させて、月に1~2回書こうかなと考えていたのに、まさか1日に2度も書くことになるとは。

岩谷時子さんが亡くなられました。
97歳と聞けば、よく長生きされたなというのが実感です。

いつものように独断でフェヴァリットソングをセレクトしてご冥福をお祈りしたいと思います。

●サン・トワ・マミー

なんといっても越路吹雪への歌詞提供がいちばん輝いている。そのほとんどはシャンソンの訳詩というかたちで。
何年か前に出た彼女の歌詞集のタイトルにもなっている「人生は過ぎゆく」がいちばんふさわしいと思ったのですが、YOU-TUBEに音のいいものがみつからず、アダモのなかではいちばん好きな「サン・トワ・マミー」を選んでみました。

●恋は紅いバラ 

加山雄三のナンバーワンヒットの「君といつまでも」をはじめ、「夕日は赤く」「蒼い星くず」「お嫁においで」「霧雨の舗道」「幻のアマリリア」など若大将とのコンビのヒット曲はあまたありますが、女性の作詞家が男歌でヒットを連発するのはめずらしい。

ほぼ同時期には「青春をぶっつけろ」をはじめ熱血スポーツ教師ドラマの主題歌もてがけていました。布施明の「これが青春だ」をはじめ、竜雷太、浜畑賢吉が主演したシリーズの主題歌の作詞も彼女で、主演俳優がそれぞれうたっていました。

また郷ひろみにも、デビュー曲「男の子女の子」をはじめ「花とみつばち」「裸のヴィーナス」など数曲書いています。

●夢見るシャンソン人形

昭和30年代中頃から後半にかけてのカバーポップスブームで、多くの名訳詞をしてみせた女性作詞家が岩谷時子と安井かずみ。
この二人が女性作詞家の草分けとなります。

岩谷作品で当時いちばん流れていたのは、おそらく森山加代子の「月影のナポリ」でしょう。田代みどりの「ビキニスタイルのお嬢さん」もよく聴こえていました。
今回はフランス・ギャルをミッチー・サハラがカヴァーした「夢見るシャンソン人形」。

ミッチー・サハラは10年ほど前でしょうかハワイから訃報が伝わってきました。声がきれいで歌がうまく、ハーフシンガーのさきがけでした。

●ふり向かないで

ちょうどそのカバーポップス全盛時に、これまた亡くなった宮川泰と組んでつくったのが、ザ・ピーナッツのヒット曲の数かず。
なかでもいまだに多くのシンガーにカバー曲として歌い継がれているのが「恋のバカンス」。日本のオリジナルポップスの原点ともいうべき歌です。

今回アップしたのは「ふり向かないで」。
黒い靴下や、タータンチェックスカートをなおしているから振り向かないでね、という歌詞には、子供ごころをドキドキさせられたものでした。今考えてもスゴイ歌詞です。

●瞳とじれば

岩谷時子のコンビ(作曲)としていちばんはじめに思い浮かぶのはいずみたく。
ヒット教を多く出したという意味では、やはりピンキーとキラーズでしょうか。
デビュー曲の「恋の季節」をはじめ、そのヒット曲のほとんどはこのコンビで。

ほかにも、「夜明けのうた」(岸洋子)、「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)、「ベッドで煙草を吸わないで」(沢たまき)、「太陽のあいつ」(ジャニーズ)、「太陽野郎」(バニーズ)、前述した「これが青春だ」(布施明)などヒット曲は綺羅、星のごとく。

そんななかでも何度聴いても飽きないのが、わがアイドル(のひとり)だった倍賞千恵子の「瞳とじれば」。

フェヴァリットソングが、とても5曲ではおさまらないヒットメーカーでした。
またいずれの日にか続編をということで、取り急ぎまとめてみました。

日々の生活の中で、岩谷作品からたくさんの潤いをいただいたのは、わたしだけではないはずです。
岩谷時子さま、ありがとうございました。お疲れさまでした。


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その名は●岡本敦郎 [the name]


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岡本敦郎さま、素晴らしい歌をありがとうございました。


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その名は●ニーナ [the name]

 ニーナ・シモン.jpg
♪小雨降れば ひとり待つニーナ
 なにも聞かず 読みかけの本を
 捨てて抱き合った おまえの肌
 ニーナ 素顔がきれいだ
 夜の風をこわがった ニーナ
 ひとつ灯残し あの部屋で
 おまえの気持ちは 甘くくずれ
 ニーナ 泣いたよ
 ………………
(「追憶」詞:安井かずみ、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和49年)

上に歌詞の一部をのせた「追憶」は、以前やりました「その名は●安井かずみ」でもふれましたが、安井、加瀬、沢田の作詞家、作曲家、歌手がそれぞれもっとも充実していた頃の歌。(音だけのYOU-TUBEを使いたかったのですが、CMが長すぎるのでバツ。追憶にニノ・ロータの「若者のすべて」をからませるのはおもしろい。Cobaのアイデアでしょうか。でもすぐに消されるなこの画像)

気をとりなおして。しかし、安井かずみさんはどこから「ニーナ」をもってきたのでしょうか。

ニーナNINAという名前は元はロシアでつかわれていたアンANNEの愛称で、その後、米英をはじめ、フランス、ドイツでもつかわれるようになったとか。

そこからヒントを得たかどうかは不明ですが、「ニーナ」といって思いつくのは唯一ニーナ・シモンNINA SIMONE。ジャズシンガーでありピアニストでもあった。

ニーナ・シモンは1933年の2月21日、アメリカはノースカロライナで生まれた。
そして2003年の4月21日、つまり“今日”、フランスで亡くなっている。

ニーナ・シモンというのはステージネームで、本名にはニーナもシモンも入っていない。
なんでもシモンはフランスの大女優シモーヌ・シニョレからとったそうだ。
かんじんのニーナのほう子どもの頃の愛称(小さいという意味があるらしい)。

詳しく知りたい方はウィキペディアでどうぞ。日本で自伝も発売されたが、もはや絶版のようで古書はかなり高額。

そんなわけで今日はニーナ・シモンの歌のいくつかで偲びたいと思います。

「行かないで」Ne me quitte pas
ジャック・ブレル Jacques Brelが1959年にヒットさせたシャンソン。
ニーナは亡くなる数年前からフランスで活動をしていた。
フランスだって人種差別はあるけれど、黒人にとってアメリカよりははるからに暮らしやすい国なのかもしれない。ジョセフィン・ベイカーもそうだし、たしかアーサ・キットも一時フランスで歌っていましたっけ。
この歌は[If You Go Away]のタイトルでシャーリー・バッシー、グレン・キャンベル、ブレンダ・リー、アンディ・ウィリアムスなどなどがうたっていた。

「悲しき願い」Don't Let Me Be Misunderstood
日本の洋楽ファンがこの曲を知ったのはおそらく1965年のアニマルズのヒットによって。わたしもそう。日本ではタカオ・カンベ(網走番外地の作詞者のひとり)の名訳で尾藤イサオがカヴァー。そして70年代後半にはサンタ・エスメラルダのダンスチューンでリヴァイバルされました。
しかし、オリジナルはニーナ。1964年のこと。
ニーナがうたうとたんなる失恋ソングには聞こえない。黒人であること、さらには人間であることの悲しみが滲み出てくる。

「朝日のあたる家」The House of  The Rising Sun
これまた日本ではアニマルズで有名になった曲。
元々はアメリカのトラディショナルソングで、当初はウディ・ガスリーはじめ多くのフォーキーたちにうたわれた。
日本では「朝日楼」のタイトルの浅川マキのカヴァーが有名。そのカヴァーである、ちあきなおみもいい。
YOU-TUBEのニーナはわたしのもっているCDとは違うヴァージョンで、こちらのほうがよりプリミティヴな叫びのような気がする。スゴイ。

「ミシシッピー・ガッデム」Mississippi Goddam
キング牧師の影響で公民権運動、黒人解放運動にたずさわったニーナ。
多くのプロテストソングをうたったが、その代表的な歌がこれ。
テネシーでのキング牧師暗殺、そしてアラバマやミシシッピーでおこった黒人および公民権運動家たちの受難を糾弾し、最後に「くたばれ!ミシシッピー」と。
沈鬱なバラードではなく、ノリのよいピアノの弾き語りで、ときにはシャウトする、戦闘的なニーナがいい。

「ジン・ハウス・ブルース」Gin House Blues
「ネェ、お兄さんジンを一杯おごってよ」
という酔っ払いの歌。説明が安易。
これもニーナのバレルハウス・ブギの弾き語り。
この曲も浅川マキがカヴァーしている。やはり日本のソウルフルシンガーとしては共振しますよね、ニーナに。
ニーナを聴き始めたときにハマった曲。

「禁断の果実」Forbidden Fruits
ニーナ・シモンを聴き始めたのは、若い頃、友人からLPレコード(アルバムなんていわなかった)を借りてから。だいたいこのパターンが多い。そのLPが「禁断の果実」。
アルバムタイトルのこの歌が第一曲目(もはやレコードがないので多分)で、その声と歌唱に圧倒された。
禁断の果実とはイヴが食べてエデンの園を追われることになった「りんご」のこと。
つまりアダムとイヴの物語。
この歌を聴くと、アダム&イヴの発祥はアフリカではないか、と思ってしまう。

「奇妙な果実」Strange Fruit
果実といえばもう一曲、有名な歌がありました。
ビリー・ホリデーBilly Holidayの「奇妙な果実」。
ジャズファンならごぞんじのとおり、「奇妙な果実」でうたわれている果実は木にたわわに実ったフルーツではなく、木の枝からロープで吊り下げられた人間(黒人)のこと。
その当時「奇妙な果実」はアメリカ南部では見慣れた風景だとうたわれている。
その歌を公民権運動に身を置いたニーナもうたっている。
この歌はおそらく白人にはまずカヴァーできない。そんな奇妙な歌でもある。

しかし、ニーナの歌を聴いていると、「白人も黒人もない、みんな人間なんだ。人間ってなんて素晴らしいんだ……」って聞こえてくる。だからうたっちゃおう、
♪ニーナ ニーナ にんげんってニーナ……

…………ぶちこわしですか。


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その名は●サリー [the name]

sally field.jpg

 Going to tell Aunt Mary about Uncle John
 He says he has the blues but he has a lot of fun
 Oh baby, yeah baby
 Whoa baby
 Having me some fun tonight
 Well, long tall Sally has a lot on the ball
 And nobody cares if she's long and tall
 Oh baby, yeah baby
 Whoa baby
 Having me some fun tonight
 ………………
 We're going to have some fun tonight
 Going to have some fun tonight
 We're going to have some fun tonight
 Everything will be all right
 ([LONG TALL SALLY] lylics by E. JOHNSON, music by R. PENNIMAN, vocal by Little Richard, 1956)

ずいぶん間があいてしまいましたが、前回の「サラ」の続きです。

サラSARAH は前回のボブ・ディラン、いやバブ・ダイランの歌でもわかるとおり、限りなく近い日本語表記で示せば「セラ」もしくは「セイラ」。

そのサラ、あるいはセイラの愛称は「サリー」
サリーといえば、そう「魔法使いサリー」といいたいところですが、残念ながら見たことがない。
で、サリーといえば、思い浮かべるのはやっぱり「のっぽのサリー」Long Tall Sally。

初めて聴いたのはビートルズThe Beatles。
もちろんオリジナルはリトル・リチャードLittle Richard。本名のリチャード・ペニマン名で作曲も。

ただ、内容はよくわからない。
のっぽのサリーちゃんのほかに、ジョンとメリーが出てくる。
ジョンとメリーといってもオッサンにオバサン。まぁ、日本でいえば太郎と花子、いやそれはジャック&ベティかな。だったら、武男と浪子じゃ古いし、今日子と次郎とか愛と誠とか……、どっちにしても古いか。

サリーはサチコだろうな、イージーだけど。
なんか逆境のなかを健気に生きていくっておんな。
「赤色エレジー」もだけど、サリー・フィールドのイメージがあるからかな。

「ノーマ・レイ」でのあの女闘士、「プレイス・イン・ザ・ハート」で人生の嵐の中を子供を守りながら必死で生きぬいていく寡婦。
「フォレスト・ガンプ」の母親なんて、よくぞあの“天才”を産み、育てたなって思えるハマリ役でした。

で、話を戻して「のっぽのサリー」。そのサリーとジョンとメリーがどんな関係なのかよく分からないけど、何度もリピートする「今夜は楽しもうぜ」というフレーズだけで十分ノレちゃうというロケンロール。

ロケンロールの古典としてはベスト5に入る名曲です、わたしとしては。

それにしても偉大ですね、このリトル・リチャードとチャック・ベリーは。
この二人がいなかったら、おそらくビートルズもストーンズも……、かもね。

「サリーの歌」はポップスはもちろん、カントリーにもいくつかあるようで。

そんな中から2曲。
1曲目はハンク・コクランHank Cochranやバック・オウエンスBuck Owens、あるいはトリニ・ロペスTrini Lopez がうたっていた「サリーはいい娘」Sally was a good old girl 。

サリーは博愛主義だから、どんな男にも優しく接してくれる。だから男はだれでもサリーを愛している。だけど、女の娘はみなサリーを軽蔑してる。

そんな日本にもいそうな女の娘、それがサリー。

かの「悲しきカンガルー」や「悲しき60歳」のようなノヴェルティ・ソング。
ただ、こちらの結末は「悲しき」ではなくて、大金持ちと結ばれてメデタシメデタシなのですが。
そうそう「悲しき」の2曲は坂本九もうたっていた。彼のオリジナルでいうと「明日があるさ」や「九ちゃんのズンタタッタ」もノヴェルティ・ソングだった。

こういう歌、最近あまり聞きません。なんでかな、オモロイのに。

カントリーのもう1曲はトラディショナルソング。
おまけにインストといういたって地味な曲「サリー・グッディン」Sally Goodin 。

カントリーミュージックのルーツであるアパラチアン、あるいはマウンテン・ミュージックの頃からえんえんと演奏されてきた名曲。
フィドラーやバンジャー(いわないか)なら一度は演りたくなる1曲。

先日亡くなったアール・スクラッグスEarl Scruggs を偲んでもう一度。

と、ここで終るつもりだったのですが、実は大事なサリー、ではなくてサラを忘れていたので、最後に蛇足風にとりあげておこうと思います。

そのサラとは、サラ・カーターSara Carter 。
カントリーファン以外は、それ誰? でしょうね、当然です。

彼女はマウンテン・ミュージックのバイブルともいえ、その後のカントリーやブルーグラス、あるいはフォークソングに多大な影響を与えたカーター・ファミリーThe Carter familyのメンバー。

カーター・ファミリーはA・P・カーター、それにAPの奥さんのサラ、そしてAPの弟の奥さんのメイベルの3人構成。
サラは主にオートハープとヴォーカルを担当。
カーター・ファミリーの特徴のひとつでもあるオートハープは、日本では五つの赤い風船の西岡たかしがつかっていました。

このブログでもたびたび出てきたカーター・ファミリーでして、愛すべき曲は数々ありますが、いままで取り上げなかった(多分)曲を最後に二つほど。

まずは、海に出た船乗りを待ち続ける恋人の歌。
「藍色の海に出た船乗り」Sailor on the deep blue sea
結局、彼の遭難を知り、海へ身を投げてしまうという悲しいストーリー。旋律はどこか「リトル・アニー」に似ている。

もう1曲はこのブログのタイトルにもしているフェヴァリットソング。
「ピクチャー・オン・ザ・ウォール」Picture on the wall

壁にかけられているのは今は亡き母親の写真
わたしも、最近母親を亡くしまして、その写真を飾っております。飾ってあるのはなぜかキッチンで、そこで食事をするたびに親不孝の数々を詫びております。

なんていささか大げさですが、母親の写真は、仏間よりも主戦場だったキッチンがふさわしかろうと思っただけで。
その写真をながめると「ゴキブリが出るからやだよ」と言ってるようでも。


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その名は●サラ [the name]

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Lullaby of birdland
That's what I always hear, when you sigh
Never in my wordland could there ways to reveal
in a phrase, how I feel
Have you ever heard two turtledoves
Bill and coo when they love
that's the kind of magic music
We make with our lips when we kiss
………………
([LULLABY OF BIRDLAND]lylics by George David Weiss , music by George Shearing,vocal by Sarah Vaughan,1954)

ことしはご存じのようにオリンピックイヤー。
日本でもそろそろ騒がしくなりはじめています。

金メダル至上主義はナショナリズムにつながるから? という考えもありますが、やはり日本人が金メダルを首から下げ、満面の笑みで喜びの言葉を発するシーンはぜひ見てみたい。

しかし今回のロンドンではたしてどれだけの歓喜の場面が期待できるのか。
女子の柔道にレスリング、体操の内村航平そしてサッカーのなでしこジャパンくらいしか思い浮かばない。あとは期待をこめてボクシングミドル級の村田諒太とか。

それよりも大いに期待できるのがウインタースポーツの面々。
残念ながら次の冬季オリンピックは2年後。
今年はシーズンが終わってしまいましたが、もし今年五輪があればいくつもの感激的シーンがみられたのではないでしょうか。

人気のフィギュアスケートには女子の浅田真央、男子は高橋大輔がいるし、スピードスケートなら短距離で男子の加藤条治に長島圭一郎、女子なら高木美帆も期待できる。

モーグルの上村愛子も復調してますし。

ノルディック・複合でも久々に強いアスリートが出てきた。
今季ワールドカップで4勝した渡部暁斗。

またジャンプでもまた強い日本がみられそう。
伊東大貴がやはりワールドカップで今季4勝をマークしました。

さらに、その伊東より驚かされるのが女子の高梨沙羅
中学3年生、15歳というのだからスゴイ。
ワールドカップは1勝でしたが、まさにシルバーメダルコレクター。年齢からいってもナンバーワンになるのは時間の問題じゃないでしょうか。無事にすごせれば、2年後のオリンピックでの金メダルの可能性はかなり高いのでは。

体格は小柄で、ジャンプでは長身のほうが有利といわれていますが、それでいてあの成績。飛距離は問題なく、課題はテレマークとか飛形という技術面だといわれていますが、年齢、キャリアを考えれば、レベルアップしていくのは間違いない。

こういう天才アスリートが何年、いや何十年に一度は出てきますね。
先日のニュースで学校での彼女の様子が映されていましたが、学友の話によると学業の成績も優秀だとか。

で、その高梨沙羅を抑えてワールドカップでひとり勝ちしていたのがアメリカのサラ・ヘンドリクソン。よく話題になっている“サラ・サラ対決”。

ということで、今回は「サラ」さんを。

「サラ」といえばわれわれの年代ではやはりサラ・ボーンSarah Vaughan 。
そのサラで、まっ先に思い浮かぶ歌が、クリフォード・ブラウンClifford Brownとの共演で知られる「バードランドの子守唄」Lullaby of Birdland 。
「あなたがため息をつくとき、いつも聞こえてくるバードランドの子守唄……」と始まるラヴソングは1952年、ジョージ・シェアリングの作。かの「愛か別れか」Love me or leave me を下敷きにつくったとか。

バードランドは当時、マンハッタンにあったジャズクラブで、いちど閉店したが現在は再びオープンしているそうだ。その店名のBirdとはもちろんチャーリー・パーカーCharlie Parker にちなんだもの。

名曲の常で、エラ・フィッツジェラルド、クリス・コナー、メル・トーメ、ドリス・デイをはじめいろいろなシンガーによってうたわれているが、やはりサラ・ボーンお得意のスキャットで入る1曲がいい。

せっかくなのでサラをもう1曲。
ひところ、日本のジャズヴォーカルファンがもっとも好きな曲といわれた「ミスティ」Misty ほかいろいろ名曲があって迷いますが、これまた彼女のスキャットを十分楽しめる「オール・オブ・ミー」All of Me を。

もうひとり、サラ・ブライトマンSARAH BRIGHTMAN 。

今の人にはこちらのサラさんのほうが知られているのでしょう。
NHKの紅白に出たことで日本での知名度もいっきに上がった感があります。
わたしもアルバム[DIVE]は買ってしまいました。
クラシカルでクリスタルな高音が魅力です。ノイジーなサラ・ボーンとは対照的です。

そのCDのなかからキャプテン・ニモ[CAPTAIN NEMO]を。
もう1曲はCDにははいっていませんが、アヴェ・マリア[AVE MARIA] を。

少し余裕があるので、「サラ」の歌をもう2曲。

まずはボブ・ディランBob Dylanの「サラ」Sara
1976年に発表されたアルバム「欲望」Desire のなかの1曲。
当時のディランの奥さん、サラのことをうたったもので、
サラよ、汚れなき天使よ、生涯の恋人よ
サラよ、美しき宝石よ、ミステリアスなパートナーよ
と絶賛しています。

なんでも、当時奥さんとの間に溝ができ、それを修復しようとしていた時期だとか。
その努力のかいもなく、結局は別れてしまうのですが。歌にそんな力があるものか。

もう1曲はインスト。
Cobaことアコーディオニスト・小林靖宏の1991年のデビューアルバム「シチリアの月の下で」の中の1曲「Sara」。(ワンセンテンスでこれだけ“の”が入ると気持ちいい)
聴き終わったあと、なんとなくカラオケに行きたくなって、そこで
♪水割りをくださ~い
ってうたいたくなってしまう1曲。

ところではじめにふれた、ノルディックのジャンプについて。
1972年の札幌五輪70m級ジャンプ(今はノーマルヒルっていう。当時の90m級はラージヒル)で笠谷、金野、青地の金銀銅独占はスゴかった。
それ以来ジャンプ競技が好きになったという人も少なくないのでは。わたしもそう。

あの頃と今となにが違うって、飛んでいるときのかたちが全然違う。
以前はみんなスキー板をそろえていたのが、いまはみんなV字型に開いている。

これはV字型にしたほうが風の抵抗を受ける面が広くなり、その分浮揚時間が長くなって距離が延びるのだとか。

この飛形を考え出したのはボークレブというスウェーデンの選手。
ところが、ジャンプ競技というのは飛距離プラス飛形つまり飛び出しの形、空中時の姿勢、ランディングの形を加味して採点されるので、当初はスキー板がバラバラとみなされ、大きく減点されていたそうだ。

それが数年後には、あれはバランスを崩しているのではなく、より遠くへ飛ぶための理想的な飛形なのだ、ということが認められ、いまではほとんどの選手がクラシカルな形をやめV字型に転向することになった。

ジャンプのV字型というのはまさにスポーツ競技における“革命”ともいえるもので、ボークレブ選手は陸上走り高跳びで、いまや当たり前になっている“背面跳び”を考案したフォスベリー選手に匹敵する功労者といえるのでは。

とかなんとか理屈をいってますが、ジャンプ競技のスゴイところは、われわれシロウトには絶対にできない“絶叫プレイ”だからでしょう。

バンジージャンプだったら、万が一を除けば、どんなにオソロシくたってどこか1本確実な命綱に守られているという“了解事項”がありますが、何かの罰ゲームでノーマルヒルを跳べっていわれても断固拒否しますものね。確実に死にますから。

それをたかだか15歳の少女がいともかんたんに100mも飛んでしまうのですから。
まるで鳥ですね。それも沙羅ちゃんは小さいから小鳥だ。それにあの余裕。真剣勝負というよりは遊んでいるよう。そう、沙羅ちゃんは小鳥遊なのです。


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その名は●安井かずみ [the name]

安井かずみ.jpg

♪ 明日の悲しみを 知らない 
  あなた おしゃべりな真珠
  微笑み 悲しみ 夢を見る 
  あたし おしゃべりな真珠
  
  ひとりひとりが 愛をみつけて
  星を数えたとき 大人になる
  ああ はじめて 生きることがわかる 
  あたし ひとつぶの真珠
(「おしゃべりな真珠」詞:安井かずみ、曲:いずみたく、歌:伊東ゆかり、昭和40年)

今日3月17日はZUZUこと安井かずみの命日。
亡くなったのは平成6年(1994)。
もう20年近く経ってしまいました。
彼女は永遠の55歳。
わたしは、それをはるか越えてしまいました。やだやだ。

若かりし頃、安井かずみの姿を雑誌か何かで見たとき、当時ファンだったフェイ・ダナウェイに似てるなって思ったことがありました。
のちに、彼女のエッセイを読んでいたら、「フェイ・ダナウェイほどキレイじゃなくても……」などという文章に出くわしたことがありました。
もしかしたら、あのハリウッド女優を意識していたのかもしれません。

それはともかく、彼女の詞はほとんどがラヴソング。
そしてそのポリシーは、「夢見る少女」(ときには少年)のつぶやき。それは頑なで、潔癖で、孤独で、というリアルな内省的少女。このへんが、それまで「乙女」というキーワードで、少女の心情を描いてきた西條八十を筆頭とする男の「女装作詞家」と違うところでしょうか。もちろん流行歌はリアリズムを追及しているのではありませんけど。

彼女はまたエッセイストでもあり、その内容は流行詞とは裏腹に、実体験に基づいた現実的な女性の処世術が多かった。作詞は流行歌用に構築された別世界の「ZUZUワールド」だったのでしょう。それを徹底させていた。

阿久悠松本隆のようなキラキラあるいはギラギラした野心的な詞(ことば)ではなく、普段の言葉を組合わせて、叙情的かつ独創的な「ZUZUワールド」をつくりあげていました。

生涯書いた詞は4000ともいわれ、ヒット曲も少なくない。
そんななかからいつもの独偏で10曲を選び、昭和の流行歌をつくってきた女性作詞家を偲びたいと思います。

その名はフジヤマ アントニオ古賀 昭和36
デビュー作の「GIブルース」(坂本九)が昭和35年なので、ほんとに初期の作品。
当初はほとんどが訳詞で「みナみカズみ」のペンネームを使用。
曲は、当時人気で何度も来日コンサートをしていたトリオ・ロス・パンチョスのメンバー、チューチョ・ナバロによる。

小さい悪魔 斎藤チヤ子 昭和36
カバー曲をもう1曲。斎藤チヤ子では断然「失恋の海」(オリジナルはドン・ギブソン)だけど、残念ながらYOU-TUBEにないので。(失恋の海追加です)
でも、この「小さい悪魔」のほうがヒットしたので耳なじみがあるかも。オリジナルはニール・セダカ

おしゃべりな真珠 伊東ゆかり 昭和40
安井かずみがレコード大賞の作詞賞をとった記念すべき楽曲。当時26歳。
本人レコード大賞のなんたるかを知らぬ間の受賞。この頃はまだアルバイト感覚で。
作曲いずみたくとのコンビが貴重。初々しい「夢見る少女」がいずみたくメロディーとピッタリの名作。
伊東ゆかりではほかに、「恋のしずく」、「朝の口づけ」、「青空のゆくえ」などがあるが、この曲がいちばん。

明日になれば ザ・ピーナッツ 昭和41
宮川泰の傑作。宮川とははじめてのオリジナル女の子だもん」中尾ミエ・NHKみんなのうた)からのコンビで、最も親しまれているのは「若いってすばらしい」(槇みちる)。ほかに「何も云わないで」(園まり)、「ひとつぶの真珠」(弘田三枝子)も宮川との共作。
ザ・ピーナッツのカヴァーでは「レモンのキッス」がいい。

青空のある限り 加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ 昭和42
グループサウンズの1曲。ほかでもタイガース「シー・シー・シー」はあるが、GSは意外と少ない。
1度目の結婚をした頃で、その間、作詞活動を休業していたため。

雪が降る アダモ 昭和44
離婚してフランスに滞在中、ZUZUをなぐさめようと友人のアダモが作った歌に彼女が詞をつけた。
カヴァー曲の中ではもっともヒットし、もっとも親しまれている曲。
このあたりから、彼女自身がいう「多作」になっていく。自身も書いているように、プロ意識に目覚めはじめた頃。

折鶴 千葉紘子 昭和47
ひさびさのオリジナルヒットが45年の「経験」(辺見マリ)。そして翌年、「ディスカヴァー・ジャパン」ブームに乗った「わたしの城下町」(小柳ルミ子)を代表とする和風作品を連続ヒット。
そのなかでいちばん彼女らしい少女の心情をうたったのが「折鶴」。小柳ルミ子もうたっているが、やはり千葉絋子。

あなたへの愛 沢田研二 昭和48
タイガースから引き続き、昭和44年に沢田研二の初アルバム「JULIE」の全曲を作詞。
48年には日本歌謡大賞受賞の「危険なふたり」そして49年の「追憶」とヒット曲を連発。
曲はともに加瀬邦彦で、「危険なふたり」のあとに書いたこの「あなたへの愛」も加瀬作品。

この年はほかに、「草原の輝き」(アグネス・チャン)、「ちぎれた愛」(西城秀樹)、「甘い十字架」(布施明)などのヒット曲で充実していた。

ある日の午後 森山良子 昭和49
めずらしい森山良子への提供作品。
安井かずみお得意の若い女性の「揺れる想い」が描かれている。
印象的な曲はブレッド&バター岩沢幸矢
安井かずみはレコーディングの前に、歌手とミーティングをするのが常だったそうだが、森山良子とどんな話し合いをしたのか、興味津津。

よろしく哀愁 郷ひろみ 昭和49
「ある日の午後」と同じ年の発売で、33歳、最も充実していた時代かも。
「よろしく哀愁」は「夢見る少女」の裏返しの「夢見る少年」ソング。
作曲は筒美京平で、安井―筒美のゴールデンコンビは意外と少ない。
ヒット曲ではほかに「赤い風船」(浅田美代子)ぐらい。

もちろん昭和50年代に入っても彼女の作詞ワークは続いていきます。
52年には2度目の結婚で加藤和彦というベストパートナーを得ます。

そして、はじめにも書いたとおり幸福な17年間を経て、55歳という若さで病に斃れます。
また、ごぞんじのとおり、加藤和彦も3年前に自殺で生涯を閉じています。
もし、安井かずみが生きていたら、加藤和彦も死なずにすんだのでは……などと、ふと考えてしまいます。


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その名は●ひとみ [the name]

姉妹1955.jpg

♪ひとみちゃん ひとみちゃん
 君のひとみが ぬれてると
 星の光も 悲しそう
 君のひとみが 輝くと
 小川の流れも 嬉しそう
 丘のりんごの 木の下で
 君のひとみに 恋をした
(「ひとみちゃん」詞:水島哲、曲:米田信一、歌:神戸一郎、昭和34年)

テレビで観たい映画があると、つい録画してしまいます。観ないくせに。
そのうちに内蔵のハードディスクもいっぱいになり、あわててダビングしたり。

先日、仕事が一段落したのでようやく観る気に。
とりあえずいちばん最近にダビングしたものを。
それが昭和30年に制作された家城巳代治監督の「姉妹」。もちろんモノクロ。

これは以前原作を読んだことがあり、家城監督がどう料理したのか興味もあったので。

で、観た感想はというと、エピソードの多少の入れ替わりはあったものの、かなり原作に忠実に作られていました。
だからといって原作のダイジェストというわけではなく、それはそれで映画として完成されたものでした。どちらかといえば映画のほうがおもしろかったかも。

原作はもはや忘れられた感がありますが、畔柳二美(くろやなぎふみ)という女性の作家で、昭和29年代に書かれた彼女にとっての代表作。
五人姉弟の次女だった彼女と長女との交流を描いた自伝的作品でもあります。

昭和30年代前半、原田康子、有吉佐和子、曽野綾子、瀬戸内晴美らによってつくられた女流作家ブームに先がけて書かれた小説で、毎日出版文化賞の受賞作。

で、映画ですが原作者である次女役が中原ひとみ、長女役が野添ひとみと、意図したのかどうかは分かりませんが、ダブルひとみ。

映画のほうが小説よりもおもしろかったと思ったのは、この二人のみごとな演技があったからかもしれません。
とりわけ、次女の中原ひとみが溌溂としていて印象的でした。

考えや行動がボーイッシュで、直情型で正義感が強いという女学生。姉に言わせると「あなたは泳げないのに川に飛び込んでしまうような人」というパーソナリティ。

野添ひとみ(残念ながら亡くなりましたが)は昔からファンでしたが、中原ひとみがこれほど上手だとは。ハマリ役だったのかもしれませんが、見直しました。

そんなわけで、どうしてもブログで「ひとみ」をやってみようと。

中原ひとみがレコードを出したかどうかはしりませんが、野添ひとみは歌手デビューしています。こちらもあまりうたうことが好きではなかったのか、数少なく、知っているのは昭和29年の「月のしずく」「君に誓いし」

どちらも作曲は東京だよおっ母さん」万城目正、詞は前者が藤浦洸、後者が西條八十。後者は青木光一とのデュオだそうで、YOU-TUBEではじめて聴きました。

これだけでは淋しいのでそのほかの「ひとみ」さんの歌も。

やっぱり「ひとみ」といえば、愛知県出身の石川さんです。
「姉妹」の中原、野添もそうでしたが、石川ひとみもまた、瞳が印象的。

彼女たち「ひとみちゃんず」はオギャと生まれたてから瞳がつぶらだったために「ひとみ」と命名されたのじゃないでしょうか。違うかな。

石川ひとみはこのブログには何度も出てきてまして、その都度歌は代表曲の「まちぶせ」
あまりストーカーみたいなことばかりやらせておくのもナンナので、たまには違った曲を。
たまにはカヴァーもいいのではと思い、まずは同じアイドルの名曲を。
そして、もう1曲は歌がうまくなくてもカヴァーしやすいフォークソングから、やはりその名曲を。

カバーといえば、そのカヴァーでメジャーになった「ひとみさん」がいました。
広島県出身の島谷ひとみ

彼女の最大のヒット曲はご存じのとおりすぎやまこういちの名作「亜麻色の髪の乙女」
ご同輩なら知ってのとおり、オリジナルはGS、ヴィレッジ・シンガーズ

これで味をしめたのか、男性シンガーあるいはグループをカヴァーしたアルバムを2枚出しています。その中からやはりニューミュージックの名曲を。

ほかでは、J-POPの矢井田瞳や、元モーニング娘。の吉澤ひとみが。
ついでに若原一郎の娘さんが女優若原瞳

また苗字ならば最近タイガースとしてテレビに出たらしい(見ておりませんが)、ピーこと瞳みのるがいます。

いにしえには、瞳麗子なんて、コケティッシュな 女優もいましたし、そんなんでいいんなら、喜劇役者の人見みのる、アスリート界では“鉄女”人見絹江もおりました。

話がとっちらかりそうなので戻しまして、“ダブルひとみ”の出ていた映画「姉妹」は、多々良純、望月優子、河野秋武、殿山泰司などのなつかしき人々を見ることもできました。

ところでこの映画、原作と最もことなる点はその時代背景。
原作が昭和初期前後なのに対して映画はほぼ同年代、つまり昭和20年代の後半。

姉妹の実家がある、山中の発電所のある村に馬車屋があって、その若妻が鼻歌を口ずさみます。
その歌が原作では大正初期に流行った松井須磨子「カチューシャの唄」
一方映画では神楽坂はん子「ゲイシャワルツ」。これは昭和27年のヒット曲。
映画では、ほかにも時代を思わせる職場のうたごえ運動の場面があって、トロイカやカチューシャなどのロシア民謡が聞えていました。

ラストシーン嫁いでいく姉を妹が見送るシーン。
映画では、お嫁さんはオープンボンネットのバスに乗って去っていきますが、原作では雪深い山の村から馬橇に乗って嫁いでいきます。

今年はじめての映画、いやDVD鑑賞でした。いい映画でした。

さいごにもうひとつ、冒頭に載せた歌詞はいまは亡き神戸一郎「ひとみちゃん」
「りんごちゃん」なんてのもありました。こちらはマイナーチューンで。
なお、作曲の米田信一は、これまた亡くなりましたが、かの遠藤実の別名。


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