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夏歌①東京五輪音頭 [noisy life]

盆踊り3.jpg

今年は4年に一度のオリンピックイヤー。
オープニング直前ということで新聞・テレビなどの報道も盛り上がってまいりました。(さほどでもないかな)。ロンドンっていうのが微妙。

時差は8時間で、日本が先行だそうなので、たとえば陸上競技の決勝が現地の午後6時に行われるとしたら、日本では午前10時。
平日ならサラリーマンはTV観戦できない。

やっぱり日本人が出場すると盛り上がる。それもメダルの可能性があるとなるとなおさら。
まずは女子のサッカー、そして男女の水泳、陸上ではハンマー投げとヤリ投げの投擲競技。
マラソンはどうかな、レベルは女子のほうが高いけど、入賞できるかどうか。

ほかでは格闘技系。
確実なのが女子レスリングと女子柔道。まぁ、男子もうまくいけばメダル数個。
あと期待をこめてボクシングミドル級の村田。

あとはラッキーボーイ、ラッキーガールが出てくるかもしれない。
前回のフェンシングの太田(今年もでるぞ)のように認知度の低い競技で。たとえばアーチェリーとかライフルとか。

まぁ、買っても負けても拍手拍手で。

で、本題の夏歌。
「東京シリーズ」開催中(勝手にいってる)で、このタイミングなら、もうこの歌しかない。
「東京五輪音頭」三波春夫 昭和38年

もちろん東京でオリンピックが開催されることに合わせてつくられた歌。

東京オリンピックが開催されたのは昭和39(1964)年、いまから48年前。
ほぼ半世紀だもの、えらいむかしに感じるなぁ。それだけ歳をとったということだものなぁ。やんなっちゃうけどしょうがない。

だいぶ記憶が薄れてきたけど、断片的にいろいろなころを覚えています。
そのしばらくまえから、学校の先生が「立ち小便は軽犯罪なんだぞ、だからするんじゃねえぞ」なんて言ってました。まぁ、その後大人も含めて“日本人(男性)の排泄習慣”が改善されたのですから、それはそれで良かったのでしょう。

選手で印象に残っているのは、日本人なら水泳の山中毅、木原美知子、陸上の円谷幸吉、依田郁子、柔道の猪熊功、レスリングの渡辺長武、ボクシングの桜井孝雄……
外国人なら、陸上100メートルのボブ・ヘイズと中距離のビーター・スネル、、マラソンのアベベ・ビキラ、柔道のアントン・ヘーシンク、女子体操のベラ・チャフラフスカとラチニナ、そして重量挙げのジャボチンスキー。
懐かしい面々、半分以上の方々がお亡くなりになって……。そりゃそうだよな、半世紀たったんだから。

今年から導入される女子ボクシングはもちろん、柔道もレスリングもサッカーもすべて女子競技はなかった。そうそうマラソンも男だけだった。
世の中変わった、紅茶にソネット。

そんなことはどうでも。
この東京オリンピック開会式の幕が切って落とされたのが10月10日。
その数か月前の夏、耳タコ状態で聞こえていたのが「東京五輪音頭」。

実は発売されたのが前年、つまり昭和38年の6月ということで、本番の1年間から盆踊りの“メインテーマ”として流れていたのだ。そのことはほとんど覚えていない。

作曲は、日本流行歌の父(母かな)、古賀政男。詞は地方在住の作詞家・宮田隆
なぜ宮田が作詞することになったのかは不明。コンペでもあったのでしょうか。

そして、実はこの“国民的流行歌”、各レコード会社の共作でした。
おそらく多くの人はテイチク盤の三波春夫でしか聴いたことがないのでは。わたしも大きくなって坂本九とパラキン盤(東芝)を聴くまではそう思っていました。

実際は、三橋美智也(キング)、北島三郎&畠山みどり(コロムビア)、橋幸夫(ビクター)など各レコード会社の主力歌手たちがうたっていたのです。
結果はごぞんじのとおり、三波春夫のオリジナル状態、ひとり勝ち。

もちろん、この東京五輪音頭、オリンピックのためにつくられたのですが、あまりのノリのよさからか、その後もしばらく盆踊りの定番ソングとしてつかわれていました。(今でも聞こえてくることがある)

しかし、東京の音頭といえば、戦前から延々と鳴り響いていたロングセラーソングがあります。その名もずばり「東京音頭」です。

東京音頭が誕生したのは昭和8年。その前年につくられた「丸の内音頭」が原型。つくったのは、当時の売れっ子作詞家西條八十「カチューシャの唄」、「東京行進曲」で知られる作曲家中山晋平。

ものの本によりますと、大爆発といいますか、幕末の「ええじゃないか」よろしく各町内で老いも若きも男も女もその年の夏、踊り狂ったと書かれています。

しかし考えてみるとこの「東京音頭」、いわばご当地ソング。はたして、全国の盆踊りで流れていたのでしょうか。大阪や福岡でも櫓をかこんで♪踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ とやっていたのでしょうか。

いずれにせよ「東京音頭」が大ブレイクしたことは間違いないようで、その後「福井音頭」、「別府音頭」、「軽井沢音頭」など各地で“音頭ブーム”が起き、あげくのはては「羅府(ロサンゼルス)音頭」までできるしまつ(っていい方はないか)。

翌9年には「東京音頭」で味をしめたレコード会社が今度は中山晋平、佐伯孝夫のコンビで全国版「さくら音頭」で二匹目のナントカを狙いました。

さすがにそれは……、と思いきやなんとレコードは「東京音頭」以上に売れ、それこそ全国各地の盆踊りで踊られたとか。

しかし、不思議なことに現在、いやもっと古くても、たとえば昭和30年代の盆踊りで「東京音頭」はしつこいほど流れていましたが、「さくら音頭」など聞いたことがありませんでした。

なぜ、昭和9年の夏をあれほど席巻した「さくら音頭」は消えてしまったのでしょうか。
その直後からはじまる戦時体制による自粛ムードが影響したのか。はたまた「さくら」というタイトルが、夏向きではなかったり、地域のイヴェントである盆踊りには、あまりにも大風呂敷すぎて長続きしなかったのか。

さくらは散っても「東京音頭」はいまだ夏満開状態です。
きょ年も流れていましたし、ことしも流れることでしょう。

ロンドンオリンピックは今月の25日からはじまります。
盆踊りもそのへんからあちこちではじまるのではないでしょうか。

そして来月の12日、スポーツの祭典は閉会式をむかえます。
盆踊りは、8月の下旬まで続けられることでしょう。
そしてどこかで必ず、今は亡き三波春夫のあのハリのある声を聴くことができるでしょう。
♪ハァ~ あの日ローマで……
って歌詞もいまとなっては懐かしい。


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春の歌●花鳥風月〈後篇〉 [noisy life]

北国の春.jpg

今回は花鳥風月の後半? 「風」「月」

まずはじめは「風」。
春の風といえば「そよ風」があります。
桜吹雪などは、風と花びらが織りなす芸術です。まさに花鳥風月の世界。

しかし、「春の風」も「そよ風」もすでにこのブログではやってしまっておりまして。
仕方がないので今回は「南風」で。

「南風」が吹く歌はそこそこあります。

すぐ口に出てくるのが
♪あゝ今年も 南の風に 誘われて来たよ
という歌いだしの「あなただけを」(あおい輝彦)

ほかでは、
♪あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ 「青い珊瑚礁」(松田聖子)
とか、
♪南風受けながら 生まれたままの姿で 「街角トワイライト」(シャネルズ)
なんてのもありました。

また、
♪どこへ行くのかあの船の なびく煙も南風 「情熱のルンバ」(高峰三枝子)
とか、
♪はなれ小島に 南の風が 吹けば春来る 花の香便り 「喜びも悲しみも幾歳月」(若山彰)
なんて昭和20年代、30年代の歌謡曲クラシックもありました。

しかし、これらの「南風」は、なんとなく暖かすぎる。どちらかというと初夏もしくは夏盛りといった印象。

で、もっとも春にふさわしい「南風」といえば、
♪白樺 青空 南風 「北国の春」(千昌夫)

昭和52年の望郷歌で、「星影のワルツ」とともにベストセラーソング。
どちらも曲は千昌夫の恩師・遠藤実
亡くなりましたが、ほんとに旋律で昭和・日本人の金銭を、いや琴線をくすぐるのがうまかった。

「北国の春」の作詞は遠藤実の弟子のいではく
いではくが遠藤実と組んだもうひとつのビッグ・ヒットといえば杉良太郎「すきま風」。春じゃないけど。どちらもいきなりブレイクというよりは、時間をかけて世間に浸透した歌。

そういえば「いで―遠藤」コンビでは「北国の春」の4年後に小柳ルミ子がうたった「春風」という曲もありました。

そして花鳥風月のさいご、「月」。

「月」は「太陽」とともに流行歌の定番キーワードでして、それだけうたわれることも多い。
ところが、太陽が文字どおり「陽」で月が「陰」ということから、暗いというか物哀しい歌がおおく、およそ春のイメージからはかけ離れている。

そうしたことからただ「月」といえば俳句では秋の季語。
したがって春は「朧月」かストレートに「春の月」。

しかし「朧月」は何年か前の「春の歌」でこれまた“消化済み”(もうネタ切れだ)。
となると「春の月」。これが意外とない。

そのフレーズを求めて流行歌を掘り下げていくこと幾星霜なんて。やっとみつけました。
それも80有余年の流行歌の歴史の底の底で。

日本初のレコード歌手といえば佐藤千夜子
その千夜子が昭和4年に大ヒットさせたのが
♪昔恋しい銀座の柳 粋な年増をだれが知ろ
のうたいだしで知られる(ほとんど知られてないか)「東京行進曲」

「春の月」が出てくる歌はそのB面にあった。
それが「紅屋の娘」
♪紅屋で娘の云うことにゃ さの云うことにゃ
 春のお月さま薄曇り とさいさい薄曇り

しかしこのレコードをリアルタイムで聴いた人など、ほとんどいないだろう。
「これが月がでてくる春の歌だ!」というにはいささか気が引ける。
やっぱり少しはどこかで聴いたことのある歌のほうがいい。

それならば、
♪月がとっても青いから 遠回りして帰ろ 「月がとって青いから」(菅原都々子)
のほうが。
すずかけの並木路を好きな彼と腕を組んで歩いた思い出。
1分1秒でも彼といたいから、わざわざ遠回りしてゆっくり家路をたどる。
冬じゃ寒くてのんびり歩いてなんかいられない。
まぁ、夏かもしれないけど、青い月というのがなんとなく春のような。旋律も春らしい、いかにも。

でなかったらこんなのも。
♪りんご畑のお月さん今晩は 噂を聞いたら教えておくれよな 「お月さん今晩は」藤島桓夫
都会へ行ってしまったあの娘に思いをはせる男の歌。そりゃ追いかけて自分も都会へ行きたいけど、リンゴ園のあと取りの身としては許されない。

だから誰もいない夜のリンゴ畑で彼女のことを偲んでみる。
未練ですね。可哀そうですねえ。

この歌は世に出たのが昭和32年、その2年後にはやはり東京へ出ていった恋人が忘れられない「僕は泣いちっち」(守屋浩)がヒットしました。

その前なら、都へ行くのは男、女は陰で泣く。と相場は決まっていました。
それがこの頃から逆転現象が起き始めてきたのでしょうか。

そんなことはどうでも、とにかく夜のリンゴ畑に佇めるのはあたたかくなってから。
“あの娘”は中学を卒業してから東京の工場へ働きにいった(勝手な妄想)。ならばやっぱり時は春じゃないでしょうか。

とまぁ、いささかこじつけめいてしましましたが。
上のふたつの歌も好きな歌ですが、さらなる愛聴歌で春の月を思わせるのが初恋&失恋ソングの「乙女のワルツ」(伊藤咲子)
♪月が上がる小道を 泣いて帰った

そのあとに♪白く咲いてる 野の花を と続くようにやっぱり春よ春。
でも、うたっているのが「ひまわり娘」なので夏っていう線も。
しかし、ワルツが似合うのは太陽より月、夏よりも春、じゃないでしょうか……。


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春の歌●花鳥風月〈前篇〉 [noisy life]

伊東きよ子.jpg

相変わらずの出遅れですが、今年も四季をめでながら春の歌を紹介していきたいと思います。それにしても昨日汗ばむくらい暖かだったのに、今日はなんて肌寒いことか。

今回は「花鳥風月」。パチンコ台ではありません。
われわれの風雅な心を刺激してくれるニッポンの自然や生きものたち。

その四文字熟語を四分割してしまおうという乱暴な話。さらにそれを2つずつに分けて前後篇にするという風情のなさ。まさに、このブログにふさわしい。

まずは「花」。
春の花といえばもちろん「桜」、ですがぁ。
もはや、盛りは杉並木。遅きに失した感があります。

ほかの春の花といえば……。
最近公園でみかけたのは、木蓮に花海棠、乙女椿に早めの躑躅などなど。

歌にありそうなのは「椿」だけど、そうなるとなにか演歌限定みたいに。

で、少し早いかもしれないけれど、先取りという意味で「りんごの花」なんぞいかがでしょう。
♪赤いリンゴに くちびるよせて……
♪りんごの木の下で 明日また逢いましょ

なんていう「りんご」ではなく、「りんごの花」。
花びらは五弁で、色は白やうす桃。5月以降に咲くようです。

♪リンゴの花びらが 風に散ったよな
「リンゴ追分」(美空ひばり)でしょうか、代表的な歌は。

ほかには昭和30年代後半から40年代にかけて「林檎の花咲く町」(高石かつ枝)とか「りんごの花が咲いていた」(佐々木新一)なんて歌もありました。

しかし今回とりあげたいのは「りんごの花咲く頃」(伊東きよ子)

一時はかのニュー・クリスティ・ミンストレルズにも在籍したという伊東きよ子。代表曲は「花とおじさん」ハマクラさんの名曲ですね。

引退してどうしているんでしょうか。ナツメロ番組でも見かけませんし。ナツメロ番組に出ないということは逆にいえば、今が満ち足りているってことかも。
いや、出てる人が満ち足りてないっていうわけではないのですけど。

ソングライティングはすぎやまこういち橋本淳のGSゴールデンコンビ。
「モナリザの微笑み」などタイガースの一連の曲や、ヴィレッジシーンガーズ「亜麻色の髪の乙女」などヒット曲あまた。

先日亡くなった安岡力也さんがいたシャープホークス「遠い渚」もこのコンビ。

伊東きよ子は他では、そのすぎやまこういちが寺山修司と組んだ「涙のびんづめ」とか荒木一郎が作った「あなたと暮らしたい」など、いい歌がありました。

続いては「鳥」。

春の鳥といえば「春告鳥」、すなわちウグイスのこと。
さだまさしにはズバリ「春告鳥」がありますし、山口百恵には「しなやかに歌って」や「春爛漫」の入っているアルバム「春告鳥」が。

でも、今回とりあげるのは「惜春鳥」(若山彰)
「またか」という声が聞こえてきそうなぐらい何度もとりあげていますが、ひるまず今回も。

この拙ブロも、はじめてからなんだかんだと丸6年が過ぎました。
長くやっているということは、それだけ過去ログが堆積するということでもありまして、つもりつもって700有余。
おかげさんで、今週早々にアクセス数も大台にのる勢いです。ありがたいことだと思いますし、励みにしております。

その700あまりの記事のうち最もアクセス数が多いのが4年前の「春の歌」でアップした「惜春鳥」。ダントツに多くて、2位の倍以上という飛びぬけ方。
ほぼ、毎日のように閲覧されている方々がいらっしゃって、あらためてこの歌のファンが多いことに驚きます。

昭和34年に封切られた松竹映画「惜春鳥」(木下惠介監督)の主題歌。
監督自身が詞を書き、曲は弟で音楽担当の木下忠司
映画は会津若松を舞台にした若者群像。芸者に扮した有馬稲子が粋で綺麗でした。あたりまえですが、哀しきストーリーと合うんだまた、この歌が。

歌っているのはやはり木下監督の「喜びも悲しみも幾歳月」の同名主題歌をうたった若山彰。
「惜春鳥」はいくつかのヴァージョンがあるようで、個人的にはタンバリンを使ったロシア民謡風のアレンジが気に入っています。

若山彰以外では声楽家の藍川由美が木下忠司作品のカバーアルバムの中でうたっています。当然ですがクラシカルな歌唱で、それはそれでよろしいようで。

木下惠介監督は平成10年に亡くなられましたが、弟の忠司氏はいまだ健在で、ちょうど1年ほど前、清里に住んでいらっしゃると新聞が写真つきで報じていました。1916年生れだそうです。

ところで日本を象徴する花といえば桜に菊。
別に法律で制定されているわけではないようですが、春と秋を代表する花で、妥当でしょう。

では鳥、つまり国鳥は。
まぁご存じの方もいると思いますがこれがキジなんです。
理由は昔ばなし「桃太郎」に出てくるから。なんてことはありませんが、古文献に出てくるような古い鳥ではあるのです。

しかし、花の桜や菊にくらべて、いささか親しみがないというか、まず見かけない。
個人的にもキジはいまひとつピンとこない。
まぁ、好きな鳥といえば……、孤高のハヤブサとか美しいツルとか、昔よく松の木に群れていたシラサギだとか……。
でも、いちばん好きなのはやっぱりニワトリかな、それもよく焼けたヤツね。


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冬歌②北風 [noisy life]

日暮れの小径.jpg

♪えくぼの可愛い娘だったが
 北風が連れていちゃた

 いまではあの娘を呼んだとて
 冷たい北風吹くばかり

 ノースウインド ノースウインド
 あの娘はどこだろ
 ノスウインド どこだよ
 教えておくれよ
(「北風」詞:レイモンド服部、曲:ロッド・モリス、歌:北原謙二、昭和39年)

年もずずっと押し迫ってまいりましたが、2011年の「冬の歌」は第二回にして最終回の「北風」

「北風」の歌もそこそこあります。
すぐ口についてでてくるのが
♪北風ぴーぷー 吹いている
「たきび」とか、おなじわらべうたで
♪北風 小僧の 寒太郎 の「北風小僧の寒太郎」

ナツメロだと、うたい出しが
♪北風吹きぬく の「寒い朝」(吉永小百合、マヒナスターズ)
なんかも。

ほかにもラジオ歌謡の「北風三郎」(伊藤久男)若原一郎「北風小僧」なんか。

めずらしいとことでは荒木一郎がつくって岸本加代子がうたった「北風よ」が。
同じアイドル系では荻野目洋子「北風のキャロル」浅田美代子「北風の日曜日」なんてのも。

J-POPなら槙原敬之「北風(君にとどきますように)」があるし、ミスチル「口笛」にも ♪……不揃いの影が 北風に揺れながら……
とでてきます。

ふたたび遡って70年代、80年代をみると、

「陽はまた昇る」谷村新司
「秋冬」高田みづえ
「矢切の渡し」細川たかし
「コートにすみれを」みなみらんぼう
「子連れ狼」橋幸夫
「まるで正直者のように」友部正人

とあるわあるわ「北風」が。吹きまくり。

しかし今回の「北風」は洋楽カヴァー。
とはいえ、もはやナツメロ歌謡曲といってもおかしくない「北風」North Wind。

1953年にテキサス・ビル・ストレングスTexas Bill Strengthがうたったカントリーソング。
カントリーにはめずらしいマイナーチューンで、アメリカではさっぱりでしたが、その4年後、日本に輸入されるやヒットソングに。

日本での当時のカントリーブーム(ロカビリー前夜)に乗った感もありましたが、はじめにレコーディンぐしたのはカントリー・アイドルだった小坂一也
その後、ジミー時田、黒田美治をはじめ多くのカントリーシンガーがカヴァーすることに。

その4年後、すでにカントリーブームどころか、ロカビリーブームも退潮していたころ、なぜかこの「北風」が再ヒット。

うたったのは北原謙二。遅れてきたロカビリアンでした。

大阪は浪商野球部出身というから異色シンガー。
同級生がのちの安打製造機・張本勲やヤクザから画家に転身した山本集。先輩には巨人に入りV9に貢献した坂崎一彦、後輩には怪童といわれた東映のエース・尾崎行雄という錚々たるメンバーに囲まれてのハイスクールリフ。

そんな荒くれ仲間のなかでも喧嘩っ早さは野球部一で、“チビケン”と呼ばれ、誰もが一目置いていたというから、見た目じゃわからない。
しかし、からだが小さかったからか、残念ながら野球では花咲くまで至らず。

高校在学中に父親が急死し、即中退。
と同時に北原青年の向かった先はネオン街。
ヤクザとしてデビューしなかったのは、歌が好きだったから。その歌唱力を見込まれて当時流行りのジャズ喫茶のシンガーに。

その後東京へ行き、ジャズ喫茶「テネシー」の専属としてうたっているところをコロムビアレコードのディレクターにスカウト。
デビューは昭和36年で、童謡歌謡の「日暮れの小径」
ちなみに同期には、「湖愁」松島アキラ「悲しき街角」飯田久彦、やはり「テネシー」でうたっていて「でさのよツイスト」でデビューしたスリー・ファンキーズなどが。

「日暮れの小径」も小ヒットしましたが、彼のブレイクのきっかけとなったのは翌37年、NHKの「今日のうた」としてとりあげられた「若いふたり」
映画化もされたこのドドンパで、一躍トップシンガーに。

そしてその翌年の38年には、ブームとなった青春歌謡にのって、「若い明日」「ひとりぼっちのガキ大将」がヒット。

「北風」はその翌年、東京オリンピックの開催年のヒット曲。
鼻にかかったようなノンビブラートの独特の歌唱がカントリーには合っていたようで。

そして翌40年には立川談志が好きだった「ふるさとのはなしをしよう」がヒット。作曲は浪花のモーツァルト。それとエレキブームに便乗したリズム歌謡「若い太陽」も。が、あきらかにピークは過ぎ、人気バロメータは下降線。

これだけヒット曲があれば、新しい曲などなくても地方回りで歌手活動は続けていける。

しかし病魔には勝てない。
平成3年に脳出血で倒れ、その後リハビリから歌手活動を再開させたが、13年に病気だ再発し亡くなっている。

亡くなる前には半身マヒながらテレビなどの歌謡番組に出ていましたが、見ていてどこか痛々しかった。

北原謙二のことを考えると、中学の同級生の顔が思い浮かびます。
♪君には君の~
ってよく口ずさんでいました。

2歳下の妹のことを話題にすると、いつも真赤になって怒るのです。

こんなこともありました。彼の家へ遊びに行くと、ちょうど買物にやらされて返って来たときで、母親から買ってきた便所の落し紙が違うと怒られていました。
安い灰色の紙を言いつけられたのに、高価な漂白された白い紙を買ってきたからです。

彼の言い訳。
「だって、店に○○さんがいたんだもん。恥ずかしくって……」
○○さんとは、彼がお気に入りの同級生の女の子。

彼もわたしも北原謙二のようにプロ野球の選手を夢見ていた頃の話です。

つまらない話をしてしまいました。

お口直しに、「北風」にちなんで、めずらしいマイナーチューンのカントリーソングをいくつか。

「コーライジャ」Kaw-Liga
木彫りのインディアン人形の悲恋をうたったハンクの一曲。北原謙二の「北風」のB面。

「ジョニーが凱旋するとき」When Johnny Comes Marching Home
カントリーと呼ぶにはいささか幅がありすぎますが、有名な南北戦争は南軍の歌。これに似ているのが「空飛ぶ幽霊騎士」Ghostriders in the sky 。こちらはカントリーで「北風」よりはポピュラー。

「ナイト・ウォーク」Night Walk
カントリー・ジェントルメンのインスト。オリジナルがないので日本のバンド版。久々に聴きました。

「続・荒野の用心棒」Django Theme Song
これはカントリーではないですね。フランコ・ネロが主演したマカロニウエスタンの主題歌。まぁ西部劇だからカンベンしてください。

風邪ひきました。「キターッ、カゼ」ってか? つまらん。


気持ちがたるんでいたからです。
たるむにはたるむだけの理由がありまして。それもいつかブログに書いてみたいとおもっています。
とにかく津波、原子炉融解などの社会的にも、個人的にも大変な一年が終わろうとしています。

みなさん、風邪にはくれぐれもご注意を。


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秋の歌③赤い月 [noisy life]

ベトナムの赤い月.jpg

 あゝあああ 見ておくれ
 ベトナムの ベトナムつつむ 月影赤い
 戦火の炎を 天まで焦がす
 風薫る 南十字の 星のもと
 あの娘の歌は いつ聞ける いつ聞ける
(「ベトナムの赤い月」詞:中山正男、曲:遠藤実、歌:三船和子、昭和40年)

青い月があれば赤い月だってある。
赤い月のほうがイメージとしてはリアルかも。

で、やっぱり戦前からうたわれていました。

前回の「青い月」の戦前はディック・ミネの「上海ブルース」でしたが、「赤い月」もなんと上海。

♪紅の月さえ瞼ににじむ 夢の四馬路(すまろ)が 懐かしや

東海林太郎がうたってヒットした「上海の街角で」
で、つくられたのは「上海ブルース」と同じ昭和13年。

この頃というのは日中戦争の最中で、昭和12年の12月にはのちに問題となる南京入城、つまり日本軍による南京占拠が行われ、以後ますます大陸に侵攻していくことに。

話が暴走しそうなので、南京入城に関して詳細はパスしますが、音楽に関係あることをひとつだけ。

日本軍の入城とほぼ同時に、作家やジャーナリストなどで構成された従軍記者たちも南京に入り、その模様を日本の新聞や雑誌に寄稿しました。

そんななかに詩人であり作詞家だった西條八十もいて、「燦たり南京入城式」という一文を雑誌に寄稿している。その中に「支那兵の死体の山」を目撃したと記している。

とにかくそんなわけで? 大都市・上海もまるで日本の占領地のような雰囲気となり、上海を舞台とした歌がいくつもつくられます。

昭和13年に限っただけでも、既出の2曲以外に
「上海航路」(松平晃)
「霧の上海」(松島詩子)
「ガーデンブリッジの月」(松島詩子)
「上海陥落万々歳」(東海林太郎)
「上海だより」(上原敏)
「上海特別陸戦隊」(東海林太郎)
「霧の四馬路」美ち奴
といった具合。

はたして上海で見られた月は青かったのか、赤かったのか。

それは多分、戦火から遠く離れていれば青かっただろうし、戦火が迫っていれば赤かったのではないでしょうか。

そして戦後、終戦から20年を経て、そんな歌があらわれます。

三船和子「ベトナムの赤い月」

昭和40年9月の発売といいますから、ベトナム戦争反対の市民組織べ平連(代表・小田実)結成に遅れること5カ月。

「フランシーヌの場合」(新谷のり子)、「さとうきび畑」(森山良子)、「教訓Ⅰ」(加川良)など長期化するベトナム戦争にNOのメッセージをこめた、いわゆる反戦フォークがうたわれるのが昭和44年あたりからなので、この「ベトナムの赤い月」がいかに時代を「先取り」していたかがわかります。

上にのせた詞は3番のものですが、2番では、
♪ベトナム救う 僧侶の悲願 戦やめよと 身を焼く祈り

と、当時日本でもショッキングな事件として報道された、ベトナム僧侶たちの反戦反米を訴えた焼身自殺についてもふれられていたり。

「ベトナムの赤い月」の作詞は中山正男、作曲は遠藤実
では、いかにしてこの歌は生まれたのでしょうか。

実は、昭和40年、当時の太平住宅の代表・中山幸市が「ミノルフォン・レコード」(現在の徳間ジャパン)を設立。その重役兼作曲家として招聘されたのが、懇意にしていた遠藤実で、この「ベトナムの赤い月」がその第一号のレコード。
遠藤の門下生だった三船和子にとってもデビュー曲。

B面はやはり中山正男作詞の「世界連邦太平音頭」で今井正の映画「キクとイサム」で知られた川田キク(高橋エミ子)がうたっている。

作詞の中山正男は北海道出身の作家で、戦中は雑誌「陸軍画報」を発行する傍ら執筆活動を行っていたガチガチの軍国主義者で、戦後は公職追放にあっている。代表作は映画化もされた「馬喰一代」。

昭和40年当時は「新理研映画」という映画製作会社の代表で、同社は当時ドキュメンタリー映画「動乱のベトナム」を制作していて、ミノルフォンの顧問でもあったことから、流行歌「ベトナムの赤い月」は生まれたようだ。

その後、ミノルフォンからは、山本リンダ千昌夫といったスター歌手が出てくるのだが、中山幸市は設立から3年後に、中山正男は4年後に亡くなっている。

「赤い月」はなにも戦場にばかり出るのではない。
ダッシュでそのほかの「赤い月」を。

「赤い月の下で」中島そのみ 昭和31年
♪今夜は赤い月が出た アパッチ族の出陣だ
キンキンヴォイスのそのみ嬢お得意の和製カントリーソング。これはなぜかインディアンが主役。作詞・作曲は小坂一也とともに“座付作家”の服部レイモンド。
「西部のM型娘」もそうだが、ゲーリー・クーパー、ジョン・ウェインとなぜかアメリカの西部劇俳優の名前が出てくる。

「たそがれの赤い月」ジュディ・オング 昭和42年
♪たそがれ染める 真赤な月を 見つめてひとり 歌う
時代的にもGSの影響が見られる歌謡曲。作曲が「アンコ椿は恋の花」や「さざんかの宿」の市川昭介というのがスゴイ。市川はほかにも橋本淳と組んだGSナンバーがある。
「魅せられて」で女になる前の? ジュディ・オング。ポニーテイルが可愛かった。

「夢見る少女じゃいられない」相川七瀬 平成7年
♪噂話や流行りのギャグなんてもういいよ 赤い月が心照らしてる
ツッパリ娘(そうは見えないけど)のデビュー曲。デビュー当時のベイビーヴォイスが歳とともにいくらか“太って”ロッカーらしくなってきました。←空から目線。「六本木心中」はなかなかだったものね。
でも、相川七瀬、牧瀬理穂、中澤裕子の顔、誰がだれだか……。

「赤い月」さだまさし 平成15年
♪今もあなたが好きですと 言伝(ことづて)をせよ赤い月
お得意の叙情歌であり、惜別の歌。
半文語体で赤い月や赤い星に想いを伝えてほしいとうたっている。月は場所や時間を隔てても不変なものの象徴で、血のたぎるような熱い想いで赤く染まっている。

いちど水がはいってしまいましたが、はじめからの予定でしたので、秋の歌を季節にせかされながらもうひとつやってみました。かなりとっちらかりましたが。
これで今年の秋もなんとか乗り切りました。
ソロソロ冬の準備にとりかからねば。


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秋の歌②青い月 [noisy life]

青い月夜.jpg

♪霧にまかれた あなたの窓辺
 ともる灯が とてもいとしい
 長いドレスを 愛してくれた
 やさしいあなたは 空のはて
 
 青い青い月夜の くちづけを
 残してあなたは ひとりで眠る
 瞳をとじて 心をとじて
(「青い月夜」詞:橋本淳、曲:井上忠夫、歌:奥村チヨ、昭和43年)

鎖(じょう)明けて 月さし入れよ 浮御堂  芭蕉

秋の代表的な季語といえば月。

もう過ぎてしまいましたが仲秋の名月といわれるほど、空気が澄み切った秋の月がもっとも美しいといわれています。

春は花見で、秋は月見。
和室の花瓶にススキが活けてあり、その脇の三方には団子がいくつも乗っている。そして縁側から見える彼方の夜空には満月が……、なんて絵柄を以前はよく見かけましたが、いまはどうなんでしょう。
というか、花見はあっても月見なんて一度もしたことないって人が多いのでは。そういうわたしも。

その月はまた歌の世界では欠かせない小道具(大道具かな)。
ただ、「月」だけでは漠然として広がりすぎるので、今回は色味のついた月にしてみました。

歌の世界で多いと思われる月の色は青。

なんでですかね。正直青い月なんて一度も見たことないけど。
ただ、実際に稀ではありますが、月が青く見えることがあるとか。なんでも大気中のチリの影響とかで。そういえば空の青もそうでした。

にもかかわらず「青い月」がうたわれるのは、「青」そのものが失意や憂鬱、あるいは淋しさ、悲しみなど、いささかネガティヴなイメージをもつ色で、そうした感情がよくうたわれる流行歌にはもってこいだからなんじゃないでしょうか。

江戸時代、あるいは明治大正の頃から月が青かったかどうかは知りませんが、昭和、それも戦前から月は青かった。

♪ガーデンブリッジ 誰と見る青い月 「上海ブルース」ディック・ミネ

昭和13年のヒット曲です。
何にもいわずに別れた二人。あの人は今何処。という未練節。

そして戦後、もっとも人びとが口ずさんだのが、昭和30年の、
♪月がとっても青いから 遠回りして帰ろう 「月がとっても青いから」菅原都々子

なんで月が青いと遠回りしたくなるのか、よくわかりませんが、子供ながらにわたしも大人のマネをして口ずさんでおりました。

作曲の陸奥明は戦前からの人で、ヒット曲には三波春夫の“長谷川伸もの”「雪の渡り鳥」和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」があります。

ほかに「憧れのハワイ航路」を彷彿させる春日八郎「青い月夜だ」や、大津美子「青い月夜の並木路」など、いかにも歌謡曲らしい歌もありましたが、昭和30年代も後半になり、カヴァーポップス全盛期になるとどっと「青い月」が登場します。

♪青い月の光を浴びながら 私は砂の中に 「砂に消えた涙」(ザ・ピーナッツ)
♪ティンタレーダディルンナ 青いお月さま 「月影のナポリ」(森山加代子)
♪青い月や 星空さえ なぜか胸を せつなくする 「すてきな16才」(弘田三枝子)
♪響く陽気なサンブンバ 青い月の光浴び 「月影のキューバ」(ザ・ピーナッツ)

こうなるともう「青い月」はトレンド。
ちなみに訳詞(作詞かも)は、上から漣健児、岩谷時子、漣健児、音羽たかし

やがて“ガールポップス”の隆盛も終わり、日本のポップスはグループサウンズの時代へ。
そんななかでも純和製ガールポップスのヒット曲は生まれ、それらはのちに“ひとりGS”(誰がつけたかダサイ呼び名、ガールが抜けてるし)などと呼ばれます。

そんななかでうたわれた「青い月」が奥村チヨ「青い月夜」

奥村チヨは元々隠れたCMソングの女王でしたが、昭和40年に「ごめんね、ジロー」が初ヒット。42年にはベンチャーズ「北国の青い空」をヒットさせ、その翌年がこの「青い月夜」。

作詞・作曲は上にあるように橋本淳井上忠夫
「ブルーシャトー」のコンビで、ブルーコメッツのヒット曲の大半はこのコンビによってつくられています。ブルーシャトーもそうですが、ほかにも「青い瞳」、「青い渚」の“ブルーソング”が。

その後もポツンポツンと「青い月」はうたわれているようですが、もう1曲取り上げてみたいのが、吉屋潤のつくった「離別(イ・ビョル)」
♪青い月を見上げ ひとり過ごす夜は
初めて聴いた李成愛か、吉屋の元妻、パティ・キムで聴きたかったのですが、どちらもYOU-TUBEにはなし。

とりわけパティ・キム版は、以前NHKの何かの番組で見ましたが、まさにリアルな実生活とファンタジーが交差して、ドキュメンタリーの迫力がありました。

やっぱり「青い月」には悲恋や別離が合うようで。

最後にとってつけたように洋楽の「青い月」を1曲。

ポピュラーなのはエラ・フィッツジェラルドメル・トーメなどでおなじみのスタンダードの「ブルームーン」Blue Moonか、ビル・モンローのブルーグラスをポップスにアレンジしたエルヴィス「ケンタッキーの青い月」Blue Moon of Kentucky ですが、ここではカントリーの「ブルームーンがまた輝けば」When My Blue Moon Turns to Gold Again を。

青い月にお目にかかれば、別れた彼女もまた帰ってくる。
というフラれ男の楽観ソング。

でも、アメリカでも「青い月」はなかなか見られないらしく、[BLUE MOON] イコール「めったに起こりえないこと」という意味があるらしい。
つまり、彼女が復帰する確率は限りなくゼロに近いというわけ。

エルヴィスもたっていますが、今回は作者でもあるウィリー・ウォオーカージーン・サリヴァンWILLIE WALKER & GENE SULLIVAN のオリジナルで。と思っていたらいきなりシャットアウト。

ならばポップなスタットラー・ブラザーズStatler Brothersで。

でも一度見てみたいなぁ、青い月とやらを死ぬまでに。


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秋の歌①人恋しくて [noisy life]


人恋しくて.jpg

♪風は昼間 暖かいけれど
 夜はまだまだ 肌寒くなって
 なんとなく人恋しい 一人ぼっち
 窓の下行く 恋人同士は
 肩を寄せて 楽しそう
 暮れそで 暮れない 黄昏どきは
 暮れそで 暮れない 黄昏どきは
 街の灯り 数えましょうか

(「人恋しくて」作詞:中里綴、作曲:田山雅充、歌:南沙織、昭和50年)

秋真っ只中ですね。
「いい気候になりました」って何人からか挨拶されました。
晴れた日でも、陽なたを歩くのがすこしも苦にならない。
駅まで歩いても汗かくこともない。ほんとにいい季節です。

仕事もいちだんらくしたので、寒くなる前に秋の歌を。

「人恋しくて」
南沙織の歌です。
「暮れそで 暮れない 黄昏どきは」というフレーズが印象的です。

世にでたのは昭和50年といいますから、1975年。
36年前。とほうもなく遠い昔です。そんなに経ってしまったのかという思いがあります。

いちおう秋の歌としてとりあげましたが、いささか自信が……。
というのは、上に載せた3番の歌詞がすこしひっかかる。

「夜はまだまだ肌寒く」ということは、これからすこしずつ暖かくなっていく、というふうにとれます。だとすると、今は春ということに。

また「暮れそで暮れない黄昏どき」というのも、日が長くなっているのですから秋というよりは春。

でも、「人恋しくて」というテーマでありタイトルは、いかにも秋っぽい。
それに俳句の季語に照らし合わせると「肌寒」が秋の季語なので、やっぱり秋。

決定的なのはこの曲の発売が8月ということ。
まさか夏に春の歌は出しませんから。

とにかくいい歌です。

作曲の田山雅充はごぞんじのとおり「春うらら」をヒットさせたフォークシンガー。
この「人恋しくて」は、彼がデュオを組んでいたときにレコード化したアルバムの1曲で、その後セルフカヴァーしています。
また、彼が緑魔子「やさしいにぽん人」の作曲者(共作)であることは、マニアなら周知のことかも。

作詞の中里綴は、金井克子、由美かおる、奈美悦子らと同じく西野バレエ団の出身で、歌手、女優として活躍した江美早苗のペンネーム。
田山とは名コンビで、「春うらら」の補作詞もしている。
沢田聖子、中森明菜、堀ちえみなど多くのシンガーに詞を提供していましたが、平成元年、元夫に刺殺されるという衝撃的な最後をとげています。36歳という若さでした。

しかし、当時三人娘といわれたのが、この南沙織と、天地真理、そして小柳ルミ子
初代が中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりですから、二代目?
三代目が山口百恵、桜田淳子、森昌子でした。

酒の席でよく盛り上がるのが「自分は誰派?」ってやつ。
まぁ、ジェネレーションがそれぞれずれていますけど。

悲しいかなわたしは、初代から三代目まですべてカヴァーしてしまいます。
で、恥ずかしげもなく己のごひいきを発表しまするに、
園まり、山口百恵、南沙織……ということに。

それで何がわかるのかって? 酒の席じゃないんだし、何にもわかりゃあしません。
強いていえば「月並み」ってことですか。

秋の夜長、シンシアのベスト3を聴いてみます。
まずはもちろん「人恋しくて」
あとの2曲は、その2年前のやはり秋に流行った「色づく街」、そして同じ年の春にでた「傷つく世代」
どちらも有馬三恵子、筒美京平でした。

♪暮れそで 暮れない……
ちがうんだよなぁ、今の季節あっという間に暮れちゃうんだよなぁ。

……もしかしたら、ホントは「呉れそで呉れない」なのかも。
何を呉れないのかって?
そりゃ決まってるじゃない。愛の言葉よ。……秋ですねぇ。


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夏歌②サマー・ホリデイ [noisy life]

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We’re all going on a summer holiday
No more working for a week or two
Fun and laughter on a summer holiday
No more worries for me or you
For a week or two

We’re going where the sun shines brightly
We’re going where the sea is blue
We’re seen it in the movies
Now let’s see if it is true
…………
([SUMMER HOLIDAY] written by WELCHE and BENNETTE, vocal by CLIFF RICHARD, 1963)

昭和38年の春、中学生になったわたしは本格的に洋楽を聴きだした。
家族や友達に洋楽好きがいたわけではなく、何のキッカケかは覚えていませんが、とにかく貯めてあった小遣いをかき集めて小型のトランジスタラジオを買い、朝といい夜といい洋楽のヒットパレードを聴きまくっていたのです。

おそらく、それまで好きだった日本のシンガーによる欧米のカヴァーポップスの影響でしょうね。「中学になったんだから、ここはひとつ本場もんを」と思ったかどうかは覚えていませんが。

ラジオの電池はいまあまり見かけない角型のヤツで、値段も中学生のわたしにはいい値段でした。時々、ラジオを消し忘れて、気がついたら電池がなくなっていたなんて泣きたくなるようなこともしばしば。

そして洋楽事始めの昭和38年、成りたてチューボウの心を震わせた(大げさ)数々のナンバー。ざっとあげてみますと、

エディ・ホッジスの「恋の売り込み」、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」、ジャンニ・モランディの「サンライト・ツイスト」、カスケーズの「悲しき雨音」、ヴェルヴェッツの「愛しのラナ」、エルヴィスの「悲しき悪魔」、アン・マーグレットの「バイ・バイ・バーディー」などなど。

「ミスター・ベースマン」、「サンライト・ツイスト」、「愛しのラナ」はシングル・レコードを買いました。全部買いたかったけど、とても小遣いでは……。

そんななかで「スゲェ!」とインパクト大だったのが、クリフ・リチャードCliff Richard。
とにかく多くのシンガーが“一発屋”だったのに対して、クリフはベストテンの常連。

聴き始めた春にいきなり「ヤング・ワン」The Young Ones がベストワンだったことも印象的だったのですが、いかにもポップスといった軽くノリの良い曲調が日本人に合ったようで、日本での初のヒット、それも大ヒットとなりました。

そして夏、わたしに「クリフこそ夏男」と思わせるビッグヒット「サマー・ホリデイ」Summer Holiday がラジオから流れていました。その翌々年の夏には「オン・ザ・ビーチ」On The Beachが若者を夏の海へ誘うように聞えていました。

ご存じの方も多いと思いますが、クリフ・リチャードはUKのシンガー。
バックバンドがシャドウズ(当初のバンド名はドリフターズ)だったことでも知られています。
デビューは1958(昭和33)年で、イギリスでももちろんトップシンガーでしたが、日本でも上記の38年以後、数々のヒット曲を連発し、その存在感を示しました。

その後、クリフがなんとなく“忘れられた”存在になってしまったのは、どういうわけかアメリカでブレイクしなかったからでしょうか。
アメリカ人にとって「エルヴィス」は2人いらなかったのかも。またビートルズ、ローリング・ストーンズなどバンド主流の時代というタイミングにも恵まれなかったのかも。

とにかく、昭和38年の「洋楽ニューカマー」にとって、クリフ・リチャードはアイドルのひとりでした。
でも、いま考えるとなぜかノンビリとしていた洋楽シーンでした。

それでは、クリフのヒット曲のいくつかを。
日本でヒットしたものしなかったものを含め、当時わたしが好きだった曲を中心に。

「レッツ・メイク・メモリー」Let’s Make a Memory
日本ではベスト5に入るほどの大ヒット曲ですが、本家イギリスではシングル発売されてないとか。よくあるケース。

「ラッキー・リップス」Lucky Lips
これも大ヒットしました。個人的には「ヤング・ワン」と甲乙つけがたいほどのベストナンバー。元はR&Bで、そのせいかアメリカでもそこそこヒットしたとか。

「ダイナマイト」Dynamite
日本では昭和40年夏のヒット。しかしイギリスでは1959(昭和34)年発売。ナンバーワンにはならず、中ヒットといった感じ。

「コングラチュレーションズ」Congratulations
「サマー・ホリデイ」、「ヤング・ワン」と同じくイギリスでナンバーワンヒット。
日本では昭和43年といいますから、後期のヒット。

「踊ろよベイビー」Do You Wanna Dance?
ビーチ・ボーイズやママス&パパスで知られた曲で、クリフヴァージョンが日本でヒットしたという記憶はありませんが、イギリスではチャートを2位まで上げたとか。

「コンスタントリー」Constantly
日本ではそこそこ、イギリスでもそこそこヒットしたバラードの名曲。元はカンツォーネ。

「エヴァー・グリーン・トゥリー」Evergreen Tree
当時はまったく記憶にない曲。のちにベスト盤の中にあった一曲で、めずらしいモダンフォーク調。1960(昭和35)年発売というから、アメリカのモダン・フォーク・ムーヴメントに敏感に反応したことが想像できる。本国でもヒットした形跡はありませんが、めずらしいのでリストアップしときました。

「しあわせの朝」Early in The Morning。
昭和44(1969)年、日本での最後のナンバーワンヒットとなった名曲。
めずらしいマイナーチューンが日本人に大ウケ。
予想どおり、これも本国ではアルバム収録曲でシングルカットされていない。オリジナルは「夜明けのヒッチハイク」のヒットがあるヴァニティ・フェアVanity fare 。

以上、まだまだいい曲はありますが、そろそろ「あくびノオト」が聞えてきそうなので。

ところで、当時、いちばんノンビリかつゆっくりラジオを聴けたのが日曜の朝。
寝床の中で枕元に置いてあるラジオを引き寄せ、耳に近づけて今週のベストテンを聴くのです。前週とどうちがっているか、気に入りのあの曲は何位になっているのか、ほんと、ワクワクものでした。まさに「しあわせの朝」。

顧みれば、あの昭和38年が60年余りの人生の中でいちばんノンビリと居心地がよかったんじゃないかなんて思います。もちろんマイ・ミュージック・ライフも。

ところが、それから1年後には大変なことが起こるのです。
東京オリンピック開催の年で、世の中がザワザワと動き始め、落ち着かなくなっていきます。

そしてミュージック・シーンではどえらい嵐が3つもやってきて、寝床でノンビリなんか聴いていられない慌ただしい「時代」に入っていきます。

その3つの嵐とは、春先に大ヒットしたキングストン・トリオThe Kingston Trioの「花はどこへ行った」Where Have All The Flowers Gone に代表されるモダン・フォーク・ムーヴメント。

2つ目は、2月にやって来たのがポップスのニュータイプ。挨拶代わりの「プリーズ・プリーズ・ミー」Please Please Meと「抱きしめたい」I Wanna Hold Your Hand をランクインさせたビートルズ旋風。

そして3つ目が、ビートルズに遅れること数か月、「急がば回れ」Walk Don’t Run、 「ダイヤモンド・ヘッド」Diamond Head、「10番街の殺人」Slaughter On Tenth Avenue、「キャラバン」Caravanと立て続けにヒットをとばし、日本列島を空前のエレキブームに陥れたべンチャーズThe Ventures 。

いまでこそ“あとだし”でビートルズの影響がその後の日本のポップスシーンに……なんて言ってるけど、当時の印象では、影響の大きさはビートルズよりベンチャーズでした。その深さはともかく。

とにかく昭和39年という年は新幹線開通の年でもあり、日本が超近代化、国際化を宣言した画期的な年でしたが、音楽シーンでもジャンルあるいは形式が多様化していくエポックメーキングな年ではありました。

それはそれで必然であり、いいのですが、そんな大変革が起こる前、つまり「嵐の前の静かな海」がどれほど心地よかったことか。
しかし、昭和39年になっても、わたしの「ラジオ・デイズ」は続いていきました。そしてクリフも嵐3本立てのなかで、しばらくは健闘していったのです。


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夏歌①あの娘と僕 [noisy life]

橋幸夫「あの娘と僕」.jpg

スイム スイム スイム スイムで踊ろう
あの娘もこの娘もピチ娘
♪拗ねて渚に 来たものの 炎のような波頭
 追って 来てくれ 来てほしい
 感じがでないよ 一人では
 青い この海 君のもの
 スイム スイム スイム スイムで踊ろう
 渚は恋の パラダイス
(「あの娘と僕」詞:佐伯孝夫、曲:吉田正、歌:橋幸夫、昭和40年)

今年もやらねば(義務的)「夏歌」。
今年は夏にふさわしい、あるいは夏を強くイメージさせる歌い手さんを。

平成23年、現代の夏を代表するアーチストといったら誰になるのでしょうか。

しばらくまえだったら、サザンオールスターズチューブといったいわゆる湘南サウンドがいのいちばんに思い浮かびましたが。

まさか湘南ブランドで、湘南乃風じゃないよね。まさかいまだにサザンやチューブでもあるまいし。

ところで、シンガーあるいはグループが夏向きというか“夏御用達”といわれたのはいつからでしょうか。つまり、流行歌の夏男(女でもいいですが)、あるいは夏バンドの第一号は?

常識的にはサザンやチューブの先輩にあたり、湘南サウンドの創始者といってもいい加山雄三ではないでしょうか。
大ヒット曲「君といつまでも」のひとつまえのシングル「恋は紅いバラ」が発売されたのが昭和40年の6月。

デビュー曲ではありませんが、映画「海の若大将」の挿入歌で、三連のバーラード。まさに夏歌。
この曲からバックを寺内タケシとブルージーンズが担当(のちにランチャーズになるが)。このこと、つまりエレキを前面に出したことで「夏歌」つまり「湘南サウンド」が誕生したといってもいいかも。
ということは、「夏歌」の原点ベンチャーズに行き当たるのですが、今回は「和物」ということで。

で、翌年には「蒼い星くず」、「お嫁においで」、「夜空を仰いで」とヒット曲を連発。映画「若大将シリーズ」やプライベートでの海やヨット好きということも相俟って、「加山雄三イコール夏」というイメージが固まっていったように思います。

そもそも「夏」のイメージといえば、山もありますがやはり「海」なのです。
青い空白い雲、そして真赤な太陽。
青い海に白い砂花、そして真赤な太陽。
これが流行歌の夏のイメージなのです。

ということはビーチつまり、むかし風にいえば「海水浴」があってはじめて、海が夏の「季語」になったわけです。

しかし「海水浴」が一般に普及定着したのはそれほど旧いことではありません。
夏の休日、家族や友人と海水浴へ行くという習慣がではじめたのは、庶民が経済的にも精神的にも余裕がではじめた昭和30年代の半ばごろから。
マスコミはそれを「レジャーブーム」などとあおり、庶民も流行に遅れまいとこぞって海へ殺到したのです。

ということは、加山雄三のまえ、すなわち昭和30年代に、そうした「夏」のイメージを打ち出したシンガーがいてもおかしくはない。

わたしの個人的な印象では、「夏の歌やんけ」(東京育ちです)と感じた流行歌は昭和36年から38年にかけてのガールポップス。
36年は田代みどり「ビキニスタイルのお嬢さん」「パイナップル・プリンセス」、そしてツイストが流行った昭和37年に大ヒットした「ヴァケーション」(弘田三枝子ほか)、翌38年には「太陽の下の18才」(木の実ナナほか)というように。

もっとさかのぼれば、昭和32年には浜村美智子「バナナ・ボート」を、翌33年にはエセル中田「カイマナヒラ」をヒットさせ「夏歌」で流行歌を盛り上げました。

しかしこれらはいずれも洋楽のカヴァーポップス。
純国産の「夏歌」をうたうシンガー、つまり「夏男」あるいは「夏女」はいなかったのでしょうか。

それが実は(ずいぶんモッタイブッタな)いたのです。

昭和30年代に入って、ロカビリーがきっかけとなり、若者に急速に支持されはじめたアメリカンポップス。
その魅力はなんといっても、聴いてるだけでからだがうごいてしまうビートとリズム。その象徴ともいえるのが、昭和37年、爆発的に流行したツイスト。
ブギウギのリズムに乗って、まさにからだをひねるというダンス。

以後、スカだのシャロックだのパチャンガ、スクスクなどなど、新しいリズムやステップが続々と登場。そのほとんどは線香花火のようにアッという間に消えてしまいましたが。

しかしこのことで、「若者はリズムを求めている」ということを大人(音楽関係者)は理解します。
そして歌謡曲の世界でも、若者を意識した「リズム歌謡」なるものが生まれてきます。

その旗頭になったのが、そのとき歌謡界を席巻していた「青春歌謡」の面々。
なかでも御三家といわれた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦
たとえば舟木一夫なら「渚のお嬢さん」とか「夏子の季節」、「太陽にヤァ!」
西郷輝彦なら「星娘」、「星のフラメンコ」に「恋のGT」

しかしなんといっても橋幸夫。

昭和39年の「恋をするなら」に始まって、以下のように「リズム歌謡」連発。それもその多くは夏をイメージしたもの。

「ゼッケン№1スタートだ」昭和39
当時若者の間で注目されはじめてきたカーレースを先取りしたもの。残念ながらまだフォーミュラとかF1という言葉はなかった。

「CHE CHE CHE(涙にさよならを)」昭和39
「チェッ チェッ チェッ」と舌打ちを欧文のタイトルにしてしまうという佐伯マジック。むかしビートたけしがギャグにつかっていた。いいセンスしている。

「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」昭和40
これは、たしかラテン系リズムにオリジナルの振付けをした「スイム」という踊り(その後流行った記憶ない)をお披露目した歌。
それはともかく、このYOU-TUBEはスゴイ。亡くなった人も存命者もほんとにスゴメン。紅白ならでは。

「僕らはみんな恋人さ」昭和40
だいだいは橋幸夫の“座付作者”である吉田正佐伯孝夫の黄金コンビが作った歌だが、これはいずみたく岩谷時子という「夜明けのうた」のコンビ。
たしかにメロディーラインはいずみたくのにおい。それとYOU-TUBEのさくらさんのモンキーダンスいいネ。

「恋のインターチェンジ」昭和40
これも黄金コンビではなく、曲はクラリネット奏者の藤家虹二、詞はなんと作家であり実業家でもあった邱永漢
日本初のハイウェイ、名神高速が開通したのが昭和38年。「インターチェンジ」という言葉もまだ新しかった。

「恋と涙の太陽(アメリアッチ)」昭和41
アメリアッチとはアメリカのロックにメキシコのマリアッチ(演奏形態)をミックスして?つくりあげた吉田正のオリジナル。三田明(恋のアメリアッチ)もうたっていた。
イントロなんか、当時流行ったティファナ・ブラスHARB ALPERT & TIJUANA BRASSの「蜜の味」A TASTE OF HONEY を「いただいて」いる。

「恋のメキシカン・ロック」昭和42
これも吉田正のアメリアッチ。「恋と涙の太陽」から1年経って、「アメリアッチ」があまりにも浸透しないので、もっとわかりやすいメキシカン・ロックに変えたのかな。

以上のように、昭和30年代後半から40年代はじめにかけて、加山雄三を差し置いた「夏男」がいたことがわかっていただけましたでしょうか。

それにしても、これらのヒット曲のほとんどを作詞したのが佐伯孝夫。
明治37年生まれといいますから、この頃は還暦越え。
さすが詞(ことば)の魔術師といえばいえますが、それにしても当時のティーネイジャーたちが60過ぎたオッサンの詞にキャーキャーいっていたと思うと……。
いや、それが流行歌なんです。流行歌だったんです。

ところで「夏男」橋幸夫、いまも健在です。相変わらずリズムに乗りまくっています。
盆踊りフォークダンスで。


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春の歌●春の陽 [noisy life]

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♪遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた
 穏やかな 春の陽射しが ゆれる 小さな駅舎
 別離より 悲しみより 憧憬はつよく
 淋しさと 背中あわせの ひとりきりの 旅立ち

 動き始めた 汽車の窓辺を
 流れてゆく 景色だけを じっと見ていた
 サクラ吹雪の サライの空は
 哀しいほど 青く澄んで 胸がふるえた
(「サライ」詞:谷村新司、曲:弾厚作、歌:加山雄三・谷村新司、平成4年)

春が行きすぎないうちにと焦って書いてます。

今年の春の歌の第2回は1回の「春の日」に続いて音的には同じですが「春の陽」。

春のやわらかい陽ざしですね。
春の光でもいい。「春光」なんていう俳句の季語もありますし。
冬の間に縮こまったからだと心のシワをのばしてくれるポカポカ光線。

冒頭に詞をのせた「サライ」の中では、旅立ちを祝福するようにやさしい春の陽がふりそそいでいます。
おだやかな光に桜吹雪、まさしく日本の春ではありませんか。
谷村新司の詞と加山雄三の曲がマッチした名作ですね。24時間テレビ“出身”だそうですが、みたことはありません。

旅立ちというからには、なにかを卒業して新しい世界へ歩を進めるということ。出発も大きなイベントですが、卒業もまたひとつのイベント。

そんな卒業の日にも「春の陽」はふりそそぎます。
♪緑の木々のすき間から 春の陽射しこぼれた 「卒業」菊池桃子

最近では茉奈佳奈がカヴァーしてるようです。

昔、職場に菊池桃子のフリークがいまして、年下でしたが(あたり前やろ)、あまりのヒートアップぶりにウンザリして、「ああゆう顔ってのはな、若いときは可愛いいけど、年とったらフツーのオバさんになっちゃうんだぜ」って水をさしてやりました。女神をけなされた当人むっとしていました。

最近テレビのコマーシャルかなにかで菊池桃子さん見ましたが、キレイでしたね。
……なんだかこの件(くだり)に似たこと、最近書いたような……。
デジャブでしょうか、いいえ誰でも。

卒業ではもう1曲、こんな歌も。

♪見返れば校舎も 春の陽ざしをあびているわ 「グラジュエーション」倉田まり子

以前も書きましたが、当時、倉田まり子と石川ひとみの区別がつきませんでした。いまYOU-TUBEをみると、はっきり区別がつくのに。当時はさほど関心がなかったってことなんでしょう。

気の毒だとは思いますが、倉田まり子というとどうしても「投資ジャーナル」事件を思い出してしまいます。当時身近にもその件でのヤバ男がひとりおりましたから。

そのほかこの頃(昭和50年代)では、「い・け・な・いルージュマジック」(忌野清志郎、坂本龍一)や演歌の「夫婦坂」(都はるみ)に「春の陽」が出てきます。

もう少し古いところの40年代では、
♪やさしい春の 陽ざしの中で 私はあなたの 胸で夢見てる 「若草の髪かざり」(チェリッシュ)

ハッピー・ウェディング・ソングですね。
チェリッシュでは「恋の風車」でも、
♪表通りを行く二人に 春のひかり
とうたわれています。

ついでにいうと「白いギター」では
♪花を摘む 草原に 秋の陽ざしが まぶしくて
と出てきます。
とにかく、季節に関係なく「陽ざし」の好きなチェリッシュでした。

40年代ということでは、こんなのもありました。
♪空には明るい 春の光が 「薔薇の鎖」西城秀樹

前回もいいましたが、今年はそんな春の光がなんとなく鈍く感じたり。
電車の窓から見える春の光を浴びたスカイツリーもなぜか墓標に見えたり(重症だ)。

でも、「春は陽気に」っていうほど人間は単純じゃないわけで。春だからこそ憂鬱になってしまう人だっているでしょう、今年にかぎらず。

憂鬱な春、もの想う春、そんな歌をうたい続けていたのが森田童子。

♪春のこもれ陽の中で きみのやさしさに うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
「ぼくたちの失敗」

振りかえってみても苦い、それでいて懐かしい友と過ごした春の一日。
こんなに昏い春をキレイなメロディーにのせてうたう森田童子。あらためてその特異な存在に感心してしまいます。

「陽ざし」は出てきませんが、「ぼくたちの失敗」以外にも森田童子の「昏い春」を感じさせる歌がいくつかあります。

♪春は まぼろし 二人は 暗い夢の中 「蒼き夜は」

♪春よ 春に 春は 春の 春は遠く 「春爛漫」

♪春になったら 就職するかなァ 「孤立無援の唄」

こういう歌を聴いているとよけい滅入ってきて、ますます何もする気が起きなくなる。

かたづけなくてはならない私事ははかどらないし、仕事のエンジンのかかりもすこぶる悪くて。

ならば、とことん怠惰を極めて、没落していった平家の御大将みたいになってやろうかなんて。怠惰の清盛みたいな……。

つまんないことを言っている場合ではありませんでした。

ついにレベル7に達した原発事故。

人間がこさえたモンスターの暴走をまるで止められない。怪物は延々とその“毒”を吐き続けている。そいつを大人しくさせるまでには数年を要するっていってます。

いつだったか、テレビで「放射能が大気中や海中に漏れても薄まるから大丈夫」みたいなことをいってた関係者の顔が思い浮かびます。怒るどころかそのポジティヴさに笑えてきちゃう。

昔観た映画「魚が出てきた日」などを思い出したりして、また余計に憂鬱になったり。

正直、テレビで“連呼”している「大丈夫」「がんばれ」「信じてる」というフレーズが空々しく、疎ましくさえ感じたり。いったい誰が発信してるのでしょうか。

というか戦争のシッポが残っている世代としては、「欲しがりません勝つまでは」とか「撃ちてし止まん」みたいな“挙国一致”の“スローガン”が思い浮かんで、なにか“厭な感じ”になります。

福島は東京からそんなに遠くない。200キロも離れてないんじゃないかな。
現地ではもはやゴーストタウンが出現していますが、そのうち東京もそうならないとはかぎらない。

運よく死の街になるのをまぬがれても、10年後、20年後のある年、急激に東京都民の平均寿命が下がるなんてことが……。

悲観論者は春の一日、そんなことを妄想してしまうのです。
そういえば、加藤和彦がうたった「不思議な日」
♪花達は咲き 野原を染めた ふしぎな 春の日

というフレーズがあります。
たしかこの歌は作詞の松山猛が映画「渚にて」に触発されてつくったとか。
「渚にて」は第三次世界大戦、つまり核戦争で人類の半分が死滅してしまった直後の世界を描いた作品でした。テーマソングの「ワルチング・マチルダ」Waltzing Matildaもヒットしました。

まさにいまは、2012年の「ふしぎな 春の日」。


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