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●ラテンミュージック 後編 [noisy life]

trio los panchos01.jpg

トリオ・ロス・パンチョスの出身国・メキシコ。
近くはないけど、遠くもないという微妙な国のような気がします。

観光的にも、マチュピチュとかガラパゴス、イースター島のような世界的観光スポットがありませんし。近年話題になっているのはカンクンビーチくらいでしょうか。

日本との付き合いは明治の半ばには通商条約が結ばれているというから、中南米では古い。
日本が本格的に“鎖国解除”した第二次世界大戦後になると、文化・スポーツの交流が活発になっていきますが、ロス・パンチョスの存在がジワジワ浸透していったのが、20年代後半。30年代に入って、ラテンブームが起きたことは前回述べましたが、個人的にはスポーツでのメキシカンの活躍が印象に残っています。

昭和30年代の花形スポーツといえば、相撲、野球、ボクシング。これが三大(プロ)スポーツ。それに新興のプロレスを加えて“スポーツ四天王”。

相撲は当時まだ“鎖国状態”だったので、メキシカンが“日本上陸”したのはプロレス、ボクシング、野球。

なかでも、もっともはやく来襲を受けたのがプロレス。
記憶ではジェス・オルテガとエンリキ・トーレスがいた。実態はチカーノだったのですが、“メキシコ出身”と称されていた。
オルテガは力技の肥満レスラー、トーレスは筋肉質の技巧派とスタイルは異なるものの、二人とも顔つきはあきらかにシャープ兄弟のような白人ではなくラテン系でした。力道山がいたころの話。

“本物”のメキシカンが来日するのは昭和40年代後半から50年代にかけてで、覆面レスラー、ミル・マスカラスが華麗なるメキシコプロレス(ルチャリブレ)のブームを起こしました。わたしの知り合いは覆面の販売で大儲け(いや小儲けぐらいかな)してました。

ボクシングではなんといってもバンタム級のジョー・メデル。
昭和36年に初来日して、日本の強豪をことごとく粉砕し、とりわけ日本のエース、関光徳とファイティング原田をロープに追い込まれながらカウンターでKOしたことから“ロープ際の魔術師”の異名をとった。
それでも、同時代にエデル・ジョフレというブラジルのいまだに語り継がれるスーパーチャンピオンがいたため、世界の頂点には届かなかった。
ただ、日本での人気はジョフレ以上で、「あしたのジョー」の外国選手のモデルにもなっていたのではないでしょうか。

メキシコはボクシング王国で、カント、サルディバル、オリバレス、チャベス、サラテ……と世界チャンプのなかのチャンプが何人もいました。

野球もボクシング、サッカーほどではないが、アメリカが近いのでにプロがある。
3Aクラスということで、日本では話題にもならない。メジャーへ行った最高の出世頭はドジャーズで剛腕をふるったフェルナンド・バレンズエラでしょうか。
彼もメキシカンリーグ出身。野茂がメジャーデビューするひと昔前のこと。

日本では知名度の薄いメキシカンリーグですが、昭和40年代(記憶も薄い)だったと思いますが、シーズンオフに来日して日本の単独チーム(たいがいは巨人)や混成チームと10数戦たたかったことがありました。

当時、野球のシーズンオフというとほぼ2年に1度の割合で、メジャー球団が来日し、本場のプレイ(当然ケガをしないよう7、8割の力で)を見せてくれていた。なので、その年は「えーっ、メキシカンリーグかよ」ってガッカリした記憶があります。
資料がないので不確かですが、それでも日本軍はトントンか、負け越しという印象があるのですが。約半世紀前のレベルじゃしょうがないか。

まぁ、昭和30年代、日本とメキシコはそこそこスポーツでの交流があったという話を、薄れゆく髪ではなくて記憶を、脳内古ガレージから引っ張り出して記してみました。

それでは、前回の続きで、トリオ・ロス・パンチョスの面々から“教えてもらった”ラテンの名曲を3つ。

●ベサメ・ムーチョ
日本ではトリオ・ロス・パンチョスのうたったこの歌でラテンブームが始まった。
ときは昭和28年のこと。西暦でいえば1953年。

ところがこの歌はメキシコの女性ソングライター、コンスエロ・ベラスケスが1941年に発表したもので、その数年後にはアメリカでもヒットしている。
それどころか、日本でもロス・パンチョスに火がつく3年前の昭和25年に黒木曜子がレコーディングしている。
ビッグヒットとはならなかったが、そこそこラジオでは流されていたようで、憶測するならば、黒木曜子の先鞭があったからこそ、ロス・パンチョスの大ヒットが生まれたのかもしれない。もしかしてだけど、もしかしてだけど。

もはや知られていることではありますが、「ベサメ・ムーチョ」は「もっとキスして」という意味で「あなたを失うのがこわい だからもっと抱きしめて、キスして」とそれはもう情熱的。

YOU-TUBEでいろいろ探してみましたが、なかなかベストなものが。
以前、ダニー・アイエロがヒップホッパーとコラボしたものをこのブログで使用しましたが、あれは結構気に入っていました。
今回探していて、同じ俳優でジーナ・ロロブリジータ版があったのには驚いた。現在はおそらく80才に近いと思われますが、動画は60代のころの姿。
歌がうまくて、音がよければ使いたかったのですが残念ながら……。
で、やはり音重視ということで、プエルトリカンのホセ・フェリシアーノに。

●キエン・セラ
これぞトリオ・ロス・パンチョスのヒットによって、世界的に広まった名曲。
1953年にメキシコの作曲家パブロ・ベルトラン・ルイスによってつくられました。

その数年後にはアメリカで「スウェイ」というタイトルでディーン・マーティンやローズマリー・クルーニーがヒットさせ、ラテンのスタンダードとして定着していくように。
最近(でもないかな)ではマイケル・ブーブレがカヴァーしたり、映画のアメリカ版「シャル・ウィ・ダンス」でつかわれたり。

日本でも愛唱されている曲で、アイ・ジョージ、坂本スミ子はもとより、水原弘、ザ・ピーナッツ、渡辺マリ、小林旭などがうたっています。小野リサのアルバムにも。

YOU-TUBEは「フレンチ・ラティーノ」というユニットのチャチャチャで。
編曲がGOOD。

●ある恋の物語
これもワールドワイドなラテンの名曲。
1955年というから昭和は30年、♪あ~かく咲くはな あおいいはあな~ と「この世の花」で島倉千代子がデビューした年。
その年、パナマのカルロス・アルマランがつくり(権利を買っただけで、作者は別という説もあるそうだ)、それがのちにメキシコに渡り、ロス・パンチョスの歌唱によって大ヒットとなったという名曲。

内容は愛する恋人を亡くした男の嘆き節。
あなたは私の生きがいだった、あなたを愛することだけがわたしの生きている証だった。
それなのになぜ神はこれほどわたしを苦しめるのか……

至極の愛をうたったラヴソングとして、日本ばかりでなく世界的にも愛聴愛唱されている歌。

YOU-TUBEはザーズというこちらもフランスのシンガー。
まぁ、フランスもラテン系ですからね。
それにしても素晴らしいですね。歌唱も表現力も。それに加えてアコースティックのギターとベースのみの演奏がクール。YOU-TUBEめぐりをしているとときどきこうしたスゴイ動画にゆきあたることがあります。

「昔は良かった」をやたら連発するのはどうかという気もしますが、昭和30年代はほんとにラテン音楽が輝いていた。いえ、輝いていたのはラテンばかりではなく、シャンソンだって、カントリーだって、ハワイアンだって眩いばかりの光彩を放っていましたが。

そのひとつの光景をNHK紅白歌合戦でみることができます。

「ある恋の物語」が誕生してから4年後の1959年、昭和でいえば34年。その年の大晦日に行われた紅白歌合戦で中原美紗緒が「ある恋の物語」をうたっています。
さらに藤沢嵐子が「ベサメ・ムーチョ」を、宝とも子、有明ユリ、藤崎世津子の3人娘が「シェリト・リンド」を、というように、この選曲をみても、この年いかにラテン音楽が巷に流れていたかを物語っています。

さらに翌35年の紅白でもなんと、紅組の有明ユリ、沢たまき、小割まさ江、高美アリサの4人が、ふたたび「ある恋の物語」をうたっています。
もうひとつ付け加えれば、この年、アイ・ジョージが「ラ・マラゲーニア」で紅白初出場。

まぁ、あの頃のようにはいきませんが、ラテンのエッセンスはいまの音楽にも受け継がれているようでして、現代の流行歌やポップシーンにときどき登場しますよね。

えー、思いつくところでいうと、……「黒猫のタンゴ」に、……「くすりルンバ」に、「だんご三兄弟」に……、ってこれじゃちょっと淋しいか。

トリオ・ロス・パンチョスということになれば、どうしても「おまけ」をやらねばなりません。メンバーのチューチョ・ナバロがつくったオリジナル。もしかして日本人(昔のですけど)がいちばん好きなトリオ・ロス・パンチョスの曲ではないかという一曲を最後に。


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●ラテンミュージック 前篇 [noisy life]

trio los panchos02.jpg

ワールドカップが終わってだいぶ経ちましたが、その後余韻もなにもあったものじゃなく、ひき潮のようにフットボール熱が冷めてしまいました。
そりゃそうだよね、日本のあの惨敗じゃね。
期待が大きすぎたんだよね。マスコミが煽りすぎたというか。

でもここへきて柿谷の移籍初ゴールが話題になったり、新監督アギーレが来日したりと、9月の国際マッチに向けて盛り上がりの気配も。

で、今回は新監督の就任を祝して、メキシコに関する歌を。おおざっぱにいえば麗しのラテンミュージックを。

メキシコ音楽といえば小学校で習った? 「シェリト・リンド」とか「ラ・クカラチャ」が一般的ですが、ポップスなら「ラ・バンバ」。
これもメキシコ民謡をポップスにアレンジしたもので、50年代にリッチー・ヴァレンスによってビッグヒットとなりました。
80年代には彼の自伝映画のなかで「ラ・バンバ」をうたったロス・ロボスのニューヴァージョンもヒット。

このリッチー・ヴァレンスとロス・ロボスの面々、いずれもアメリカ人ですがチカーノと呼ばれるメキシコ系。

そういえば、60年代に「天使のハンマー」で全米ヒットチャートに名を連ね、フォークからカントリー、そしてラテンと幅広く活躍したトリニ・ロペスもメキシコ系(母親が)でした。

しかし、日本人にもっとも馴染みのある(あったというべきか)メキシコ音楽といえば、トリオ・ロス・パンチョスではないでしょうか。

昭和20年代後半にロス・パンチョスのレコードが日本で売れだし、30年代初頭にマンボブームとあいまってラテンブームが到来すると来日。その人気はその後毎年のようにコンサートで来日したことでもあきらか。

とりわけロス・パンチョスのボレーロと呼ばれる哀愁をたたえた楽曲の数かずは、日本でいくつものラテン・トリオやバンドの誕生のキッカケとなったばかりでなく、同時代の歌謡曲にも影響を与え、吉田正や鈴木道明をはじめとする作曲家によってつくられるムード歌謡のベースになったのではないでしょうか。

長い枕はひとり寝にはムダなので、さっそく本題へ。
トリオ・ロス・パンチョスによってうたわれた名曲を三つばかり。

まずは、シェリト・リンドとともに、世界的に知られたメキシコ産の歌。
●ク・ク・ル・クク・パロマ
シェリト・リンドはどちらかといえば愛の賛歌ですが、「ク・ク・ル・クク・パロマ」は恋にやぶれ、傷心のまま死んだ男が、鳩に生まれ変わり、いまだに元カノを想って鳴いているという悲しき恋の物語。
ク・ク・ル・ククというのは鳩の鳴き声。メキシコには「ラ・パロマ」という鳩に遠く離れた恋人への思いをたくす、という歌もあり、人間のクールな友・鳩へのシンパシーは相当なもののようです。
なかなかピンとくる画像がなかったのですが、まあ知名度ということでこのデュエットに。

つぎは、ロス・パンチョスもうたっていましたが、日本ではナット・キングコールでいちやく知られるようになり、ラテンブームの火付け役になった歌。
●キサス・キサス・キサス
キューバ産の歌で、僕がこんなに想っているのになんであの娘は……、というトーチソング。「キサス」は「たぶん」という意味で、どんなに口説いても彼女は「たぶん たぶん たぶん」と言うばかりで、ちっとも煮え切らない、と男の不満がうたわれている。
「たぶん」なら6割がたOKじゃないかと思うんだけど……。
日本の歌で
♪はやく一緒になろうといえば でもでもでもと言うばかり
なんて歌があったけど、こっちなら4割ぐらいかな。

YOU-TUBEはなぜかこれまたデュエット。どちらもラテン系だから情熱的。でもジェニファーの「たぶん」は9割のようですけど。ちょっとボリュームをあげたほうがいいかも。


3番目はメキシコの民謡がベースになっているといわれる歌で、トリオ・ロス・パンチョスによって内外に広められた歌。
●ラ・マラゲーニア
「マラゲーニア」は、メキシコのマラガ地方の娘という意味。
ラテン音楽イコール情熱的という印象そのままのラブ・ソング。
なんて美しい目なのだろう、なんて可愛いんだろう、なんて魅惑的なんだろう、とひたすら讃えまくる。それでも叶わないのが恋なんでしょうね。
♪マラゲ~ という長いブレスのところが聴かせどころで、日本でもアイ・ジョージが素晴らしい声量で観客を魅了しておりましたっけ。
その部分で観客が拍手をするのがイヤだという人もいますが、まぁ「お約束」ですから。
タランティーノの「キルビル2」に使われていたとか。観てませんが。

いいなぁ、やっぱりラテンは。
聴いていると血が騒ぐよね、ラテン系の。
というより、仕事はガテン系だし、見た目はモテン系で、おまけに人間は古典系の純モンゴロイドだもんね。

でも好きなんだよなラテンが。なぜか日本人は。
次回は後編で、やっぱりラテンのフェヴァリットソングを3つばかし。
では。


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●フレンチ・ポップス② [noisy life]

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やっぱりフランスも負けてしまいました。
決してわたしが応援したからではなく、相手がドイツだもんしょうがない。

それにしても面白い。
ベスト16、ベスト8、ベスト4と勝ち残っていくのは当然強豪ぞろい。
どの試合も見入ってしまう。
こういうのを釘づけというんでしょうね。

その個人技をみるにつけ、これじゃ日本はかなわないや、と思うことしきり。
プロ野球がメジャーを超えられないように、10年、20年経っても歯がたたないような絶望的な気分になります。
内田がインタビューで、日本にスーパープレイヤーが何人か出てこなければ勝負にならない、というようなことを言っていましたが、わかる気がします。

この先はどこの国を応援するでもなく、ただひたすらスーパープレイ、スーパーシュートを期待して見ることにしましょう。

フランスは負けたけど、フランスの歌は続きます。

前回は女性シンガーだったので、今回は男。

日本でもっとも名の知れた、フランスの男性シンガーといえば……。
そうか、いまの若い人はほとんど知らないかもしれない。
「かつて日本で」と言い直さなければならないかな。

アダモだろうか、イヴ・モンタンだろうか。
イヴ・モンタンは60年代から70年代にかけては、歌手というより俳優として活躍していたような気もしますし、シャンソンではなくポップスという言い方をすれば、やはりアダモではないでしょうか。

シンガーソングライター・アダモの歌は、日本人シンガーにもカヴァーされました。なかでもその数の多さと、そのほとんどを“自分の歌”にしてしまったという意味では越路吹雪のカヴァーが最も印象に残っています。

「雪が降る」からはじまって「ろくでなし」まで、アダモのヒット曲は数多ありますが、
今回は「夢の中に君がいる」を。

越路吹雪のカヴァー曲の訳詞はもちろん岩谷時子。
♪ごめんなさい 少女のころ思い出していたの
 …………
 あなたこそ 私の最後の恋人

という歌詞は、男歌を女歌にしただけで、ほぼアダモの詞のエッセンス日本語にうつしかえています。
そういえば、越路吹雪が亡くなった後、そのエッセーや日記などを岩谷時子がまとめた本のタイトルも「夢の中に君がいる」でした。

続いての男性シンガーは、これもドラマチックな歌唱で日本のファンも多いシャルル・アズナブール。

アズナブールとなると、「フレンチポップスじゃなくて、シャンソンだろう」という声も聞こえてきますが、その歌声が70年代にも聞こえていましたし、エディット・ピアフ、ティノ・ロッシ、リュシエンヌ・ポワイエなどのシャンソン歌手と比べるとあきらかに“時代”の隔たりがあるような気もしますし。

アズナブールも知られた曲がいくつもあります。
愛のために死す、ラ・ボエーム、コメディアン、アヴェ・マリア、帰り来ぬ青春などなど。
当時いちばんよく聴いたのは「イザベル」と「ラ・マンマ」。

どちらも女性への愛をうたったものですが、前者は恋人への、後者は母親への。

迷いましたが、まだ血の気が残っているので恋人を選択しました。
恋の虜になってしまった男の、恋人・イザベルへの尽きせぬ思いをうたったもの。
恋人の名を呼び続ける情熱的な歌詞とバロック風のストリングスによる演奏がとても印象的で、ラストのメロディアスな歌唱は、何度聴いても感動的です。

最後のひとりは、以前(かなり前です)一度このブログでやったことのあるミシェル・フューガンの「美しい物語」

1972年のいかにもフレンチポップスらしい歌で、ヴァカンスでの恋と別れをうたっています。1978年には日本のサーカスが「ミスター・サマータイム」という不倫をテーマにした歌でカヴァーし、ヒットさせました。

もちろんわたしが知ったのは「ミスター・サマータイム」が先。
この歌を聴くとなぜか、矢沢永吉の「時間よとまれ」が続いて聴こえてきます。
おなじ年の夏に流行った歌からでしょうね。

最後にまたまたワールドカップの話ですが、コスタリカはほんとに健闘しました。
オランダ戦は、ボクシングでいえばワンサイドでボコボコにされた試合。

それでもガードを固めてひたすらKO負けだけはされまいと耐えている姿が凄かった。
あれでPK戦に勝てば奇跡の“逆転KO”だったのですが、現実はそれほどドラマチックではありませんでした。

最新のFIFAランキングが28位だといいますから、ベスト8は殊勲でしょう。
今大会を盛り上げた最高のダークホースでした。

日本敗退後のテレビの視聴率はどの程度なのか気になります。
グループリーグの日本戦は30%だとか40%だとか新聞に書いてありましたが、日本が消えてからはおそらく10分の1程度まで落ち込んでしまっているのでしょうね。
それでも面白いものは面白い。

ただ、毎日のようにやっているワールドカップの特番はどうなのかな。
高額な放映権料を払っているのだから、日本が敗退しても放映をやめるわけにはいかないという事情はわかるけれど、あの時間帯で低視聴率番組を続けなければならないのは空しい。

そんなことを言いながらも、ダイジェストがあるのでついつい見てしまうのですが。
あと少し、準決勝、決勝を残すだけ。でも正直クタクタ。


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●フレンチ・ポップス①イエイエ [noisy life]

シルビー・ヴァルタン.jpg

ついにといいますか、やっぱね、といいますか、日本敗退でした。

正直モハメド・アリがジョージ・フォアマンをKOしたあの“キンシャサの奇跡”のサッカー版を期待していないことはなかったのですが。

まあ、冷静に考えれば予想どおりといいますか、FIFAランクどおりの順位でした。

でも、選手たちは気の毒になるほど落ち込んでいましたが全般的には格上の国相手に健闘したといえるのではないでしょうか。
とりわけひとり退場で優位にたったとはいえ、ギリシア戦はカウンターもとられずによく引分けにもちこんだと思います。

個人的には本田と内田の動きのよさが印象に残りました。反対に精彩を欠いた選手もいましたが……。それはいいでしょう。自身がいちばんわかっているはずですから。まあ期待が大きかった、ということもありますし。

いちばんガッカリしたのは、一部のテレビ解説者。日本に対する身びいきにもほどがある。
テレビ側からの要求があったとしても、あの予想はひどい。
とりわけポルトガル戦。主力選手温存は予想されましたが、それでも3―1だの2―0だので日本が勝つとは。海外事情をしらないファンは本気にしてしまう。ほとんどの試合でそうした予想なのですから、ファンをバカにしていると思われても仕方がない。

元サッカー選手としてのプライドはないのでしょうか。
こんな“節穴予想”をしていたのでは、彼らの今後のサッカー解説者あるいはサッカージャーナリストとしてのキャリアにとってもマイナス。

クールダウン。

日本の敗退も残念でしたが、わがイタリアまで敗退。なんたることをサンタルチア(古い!)。

イタリアのワールドカップが終わったので、イタリアンポップスも幕として、やはり60年代から70年代にかけて洋楽ファンを楽しませてくれたフレンチ・ポップスへ行くことに。

当時もっとも日本の音楽ファンに支持されたフランスのシンガーといえば誰でしょうか。
異論はあるかもしれませんが、わたしの周囲ではシルビー・バルタン(シルヴィ・ヴァルタン)だったような。

可愛いというより、さすがファッションの国のアイドルという感じで、カッコよかった。女優のミレーユ・ダルクともどもスレンダーなアイドルでした。
歌はもちろん「アイドルを探せ」

原題は「ダンスパーティでいちばん綺麗な私」というような意味。
それがなんでこのような邦題になったのか。アイドルという言葉がこの頃からいわれはじめたような気がします。

そんな新しい言葉をつかってタイトル、および詞をつくったのは安井かずみ。カヴァーしたのはザ・ピーナッツと中尾ミエ。レコード会社はキングとビクターと違っていましたが、歌詞はどちらもおなじみの
♪恋のよろこびに かがやいている
という安井作品。
ちなみに原題の詞はシャルル・アズナブール。

ところでいまではフレンチ・ポップスといいますが、当時(1960年代半ば)はたしてそうした言い方をしたのかどうだか。記憶があいまいです。
戦後、とりわけ1950年代には一大シャンソン・ブームが起こった。このシャソンという言い方も、多分日本では戦後からで、戦前はジャズに一括りされていたのではないでしょうか。それはともかく。

60年代のカバーポップス全盛期にはやっぱりまだシャンソンと言っていたのではないでしょうか。

そういえばこんなポップスもありました。
「夢見るシャンソン人形」フランス・ギャル

これは日本でもヒットしました。
つくったのはマルチ・アーチストのセルジュ・ゲンズブールで、原題は「ぬけがらの蝋人形」。歌詞もゲンズブールらしい、いささか棘のあるもののようです。

中尾ミエ、伊東ゆかり、ミッチー・サハラ、越路吹雪、弘田三枝子など多くの日本人シンガーにカヴァーされました。最近ではクミコもうたっています。

ゲンズブールはシンガーソングライターで自分でも歌いましたが、日本では作詞作曲者としての方がいい作品を残しています。
1967年のヒット曲でフランソワ・アルディがうたった「さよならを教えて」もそう。

最後のシンガーは可愛いというより大人の女の雰囲気が魅力的だったそのフランソワ・アルディ。まあいまではあまりつかわれませんけど、“粋なおんな”でした。

最後の曲は彼女の「さよならを教えて」ではなく、同じ年にうたった「もう森へなんか行かない」

この歌はもともと男性シンガーソングライター、ギイ・ボンタンペリがうたったもので、歌詞の彼を彼女に変えてフランソワ・アルディがうたいました。

さすがシャンソン、いやフレンチ・ポップスで、その詞も(ネットで訳詞をみたのですが)、
「わたしの青春が駆け足で去って行く」とか「きこりが二十歳のわたしを刈り取る」とかとても詩的です。

日本でブレイクしたのはそれから約10年後に、テレビドラマのテーマソングになったことによってでした。
そんなわけですから、当時カヴァーした日本人シンガーはいません(多分)。
いまはクミコが自身で作詞(かなり原詩にそって)して歌っています。
そのまま“男歌”としているのが日本的。またこの暗さはどこか森田童子を連想(とくに冒頭)してしまいました。

ところで、ワールドカップはまだ続いていますし、これからが佳境です。
準決勝、決勝とハイレベルでドラマチックなゲームが見られることを期待しております。
もちろん応援するのはわが青春のフランス、ということに(節操なし)。
まだしばらく仏蘭西流行歌をやりたいのですが、応援したとたんに負けたりして。


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●イタリアン・ポップス②ガールズ [noisy life]

若草の恋.jpg 

いやあ、観てしまいますねワールドカップ。
真夜中ではないので、さして寝不足にもなりません。
やっぱり世界レベルの試合はおもしろい。

日本はギリシャと引分けて、なんとか余命をつなぎました。
相手が1人レッドカード退場で、もしかしてと思ったけど……。

でも考えようで、日本にはツキがあったんじゃないでしょうか。
あれで退場にならなかったら1点入れられてアウトだったかも、って考えればね。

奇跡なんてそう何度も起こらない。
やはりミラクルを期待するのはコロンビア戦ですね。
もし勝ってさらに決勝進出が決まったとなれば、まさに日本サッカー史上最大の奇跡で、ギリシャ戦は絵にかいたような前哨戦になりますから。

なんて、昨今のサッカー解説者みたいな願望にとらわれておりますが、スペイン、イングランドの敗退という番狂わせが続いていおります。“神風”が吹かないとも限らない。

イングランドを破ったわがイタリアは明日の午前1時にコスタリカ戦で、勝てば決勝進出。
ということで前祝?をかね、イタリアン・ポップスの第二弾を。

今回はガールポップということで、60年代に聴いた3曲を。

まずはこの時代の最高のバラードではないかと勝手に思っているジリオラ・チンクエッティの「夢見る想い」

♪ノ・ノ・レタ ノ・ノ・レタ

という歌いだしが印象的でした。

当時、友達にジリオラの超ファンがいて、彼の家へ行ったとき、その部屋の鴨居の上に彼女のシングルジャケットがずらっと並べられていてびっくりしました。
彼みたいのがホンモノのファンなんだなって。

彼が好きだったのが「ナポリは恋人」。ほかにも「雨」とか、「愛は限りなく」などヒット曲がありますが、やっぱり「夢見る想い」を聴いたときに当時が甦ります。

歌の内容は「恋をするにはまだ早いわ。まだ子供なの。だから大人になるまで待っていてね」というオクテの女の子の気持ちをうたったもの。ヘレン・シャピロの「子供ぢゃないの」って歌もありましたが。女の娘もいろいろで。

日本では伊東ゆかりがうたっていました。サンレモの常連で、カンツォーネといえば彼女でしたからね。

つぎは、これも日本では伊東ゆかりがカヴァーしていた歌。
ウィルマ・ゴイックの「花のささやき」

これはアイドルポップスの王道であるトーチソング。
恋する彼に、もっと周りをよく見て、あなたに恋する小さな花に気づいて、なんて歌で、作者のひとりは「ラ・ノビア」「アルディラ」「君に涙とほほえみを」「ほほにかかる涙」などのヒットメーカー、モグール。

サビがなんとも印象的で、耳にのこる歌です。

ラストは前回のYOU-TUBEにも登場した女優のカトリーヌ・スパークがうたった「若草の恋」

父親が「嘆きのテレーズ」などで知られるフランスの脚本家。
彼女もフランス人なのですが、なぜかイタリア映画の女優に。
大女優にはならなかったけど、アイドルとして何本もの映画に主演していました。可愛かったよね。

この「若草の恋」、原題は「友だち」。

歌詞は「好きな彼ができて、みんな(女友だち)との約束を破っちゃったけど、フラれちゃったから、また仲良くしてね」なんていう女の娘のドライな気持ちをうたったもの。
♪あの日あの子を あの街角で
っていう日本の訳詞? のほうがリリカルですね。

そのカヴァー曲をうたったのが木の実ナナ
「うぬぼれワルツ」や「居酒屋」もいいけど、たまにはこの曲や前回の「サンライト・ツイスト」なんかのポップスも聴いてみたいもんです。

はなしもどりまして、今日のテレビのトップニュースは、ワールドカップに湧く日本の様子一色。
あれだけ見てると、まるで日本全国サッカーフィーヴァーみたいに思っちゃうけど、そんなことはないでしょう。日本は広いのですから。

実は、今日用事があって渋谷へ行ったのですが、昼近かったということもあって、スクランブル交差点は普段どおり。おまわりさんもどこへやら。

とはいえセンター街にはブルーのユニフォームを着た若い男女があちこちに。
ENDOH、HASEBEなど贔屓の選手のネーム入りのものや、なかには頬に日の丸をペイントしたままの若者もいたりして。
みなさん、応援疲れなんて様子もなく、いつもどおりの若さハツラツで。

応援もまた“あそび”であり“ファッション”なのですね。

最後の(いやまだわからない)のコロンビア戦は25日。午前5時というのがちょっと早いかなとも思いますが、起きられない時間ではない。

まあ、日本が予選敗退してもワールドカップはまだ続くわけで、というより決勝リーグ、準決勝、決勝こそがほんとのサッカーの醍醐味が味わえるわけで、楽しみはまだまだ続きます。それになによりもわがイタリア(ホントかね?)の戦いが気になるわけでして。


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●イタリアン・ポップス①ツイスト [noisy life]

太陽の下の18才.jpg

いよいよワールドカップがはじまった。
いきなり日本は負けた。

結果は予想どおりで、さほどショックもなし。
実は、今日は用事があって、本田がシュートを決めた直後に外出したので、もしかしたら予想を裏切ってくれるかもしれないと、ささやかな期待があったり。
だから、外出中は極力試合の結果を聞かないようにして(録画してました)、午後2時過ぎに帰ってまいりました。

結果はご存じのとおり。

勝つための準備をしてきたのは日本だけじゃない、ということでしょう。

しかし、日本のワールドカップ報道はいささか過熱気味ではないでしょうか。
日本にそんなにサッカーファンっていたっけ?

マスコミに煽られて俄かファンになった人がかなりいるにしても。

これで、次のギリシア戦に負けて予選敗退になったらどうなるんだろう。
どうなるってそんなこと明白で、「えっ? そんなことあったけ」状態になるはず。
それで終わればいいですが、煽るだけ煽って、空振りに終わったマスコミが、そのうっぷん晴らしで「戦犯探し」なんかやったりして。

なんて、ずいぶん悲観的なことを考えていますが、まだギリシアに負けたわけじゃない。
スポーツに番狂わせはつきもの。日本が勝ち、さらにコロンビアにまで奇跡の勝利をおさめ、決勝トーナメント進出なんてことにも。
なんて、テレビ解説者(元選手)のような期待をしておきましょう。

グループDのイタリアは、イングランドに2―1で勝って、予選突破の可能性が大きくなりました。

別にイタリアを応援しているわけではありませんが、今回、イタリアンポップスを聴こうと思ってますので、いちおうふれておきました。

イタリアといえばカンツォーネ(だった)でしょうが、1960年代前半、日本でヒット曲が花火のように連発されたのは、もはやイタリアンポップスという感じでした。

先行したのはオリジナルではなく、日本人シンガーによるカヴァーでしたが。

耳になじんだイタリアンポップスも数々ありますが、第一弾としましては、ノリの良いツイストを3曲プラスワンで。

まずは、「サンライト・ツイスト」(ジャンニ・モランディ)。
当時全盛で、日本への輸入本数も多かったイタリア映画「太陽の下の18才」の挿入歌。

このシングルレコードはいちばんはじめではありませんが、比較的早く買った洋楽。
いまでもレコードはあります。

日本でも木の実ナナや伊藤アイ子が歌い、ヒットしました。作曲がエンリオ・モリコーネっていうのがスゴイ。

2曲目は「24000のキス」(アドリアーノ・チェレンターノ)。
これも日本ではカヴァー曲がヒット。
藤木孝がうたっていましたが、歌詞のなかに1秒に1度キスをすると1日で24000回になるというふうにうたっていましたが、当時の友達が「計算が違うよ、1秒に1回なら8万6400回だよ」と突っ込みを入れてきたので、「いや、メシの時間や睡眠時間を差し引いたらそのぐらいになるんじゃねえの」とバカな答えをしたおんを覚えています。

藤木孝ほどパッと出てパッと消えた花火のようなシンガーもいません。
当時は大人の事情など知る由もない子どもでしたから、なぜ急にテレビに出なくなってしまったのか不思議でしかたがなかった。

それででも彼の「ツイスト№1」(ペパーミント・ツイスト)やポール・アンカのカヴァー、「アダムとイブ」なんかはよく聴いていました。
とても野心的な印象で、篠田正浩の映画「涙を獅子のたてがみに」の主演にも抜擢されていました。

イタリア版はチェレンターノのほかにリトル・トニーのヴァージョンもありますが、やはり作者の自演のほうが迫力が上。

最後はミーナがうたった「月影のナポリ」

当時のカヴァーポップスはほとんど競作で、この歌もザ・ピーナッツと森山加代子がうたいましたが、わずかに森山加代子ヴァージョンのほうが売り上げで上回ったとか。彼女はこの1曲でスターシンガーに。
個人的には、♪ティンタレラディ ルンナ お屋根のてっぺんで 
というピーナッツのほうが好きだったのですが。
実は♪ティンタレタディ ルンナ 蒼いお月様 という森山ヴァージョンもピーナッヴァージョンも作詞は岩谷時子(ピーナッツ版はペンネームで)。

ミーナのこの歌は映画の主題歌や挿入曲ではない(と思います)のですが、たしか「鞄を持った女」の中でつかわれていました。
若くして夫を亡くしたクラウディア・カルディナ―レが年下のジャック・ペランの愛を断ち切るラスト近くのシーンで、トランジスタラジオから流れていたという記憶があります。

ミーナといえばもう1曲ツイストナンバーのヒット曲がありました。
「太陽はひとりぼっち」で、フランス・イタリア合作の同名映画の主題歌。
ほぼ同時期にやはり仏伊合作の「太陽がいっぱい」が人気で、その主題歌もヒットチャートにのるぐらい流行っていました。

この2作品はいずれも当時のイケメン№1、アラン・ドロンが主演していましたが映画「太陽はひとりぼっち」のほうは愛の不毛を描いた内容が難解すぎ不発に。監督がアントニオーニなので一般受けするわけがない。
ただし、ミーナがうたった主題歌は日本では大ヒット。もちろんその“主役”はミーナではなく園まりでしたが。

ワールドカップの話ですが、サッカーにまるで興味のない人間もいます。
最近逢った知人もワールドカップに興味なし。それどころかサッカーが大嫌いだとか。

その知り合い、スポーツ音痴というわけでもなくMLBは好きで、仕事でアメリカへ出張する際にはスケジュールを調整して必ず球場へ足を運ぶそう。

なんで嫌いなの?と訊ねると。
サポーターと選手の関係がいやだね。サポーターは傲慢だし、選手は彼らに対して言いたいことも我慢してるようで、卑屈にみえる」
「それに、交代で退場する選手が、観客の方に向かって拍手をする姿、あれってどういう意味なのか全然わからない」
と、よく訊いてくれたといわんばかりに熱弁を。

わたしは会社勤めのころには、サッカー部に入っていたぐらい“好物”ではあるのですが、“サッカー嫌い”がいても少しもおかしくはないことは理解できます。
まぁ、件の知人のように嫌いではなくても、サッカーに興味なしという人はかなりいるのではないでしょうか。

それがテレビを筆頭とするメディアがワールドカップを連呼するもので、時まさにワールドカップ一色のようなイメージがつくられていますが、決してそうではないはず。
ですからマスコミ諸氏はくれぐれも「日本中が注目の……」などという誇大発言は差し控えていただきたい。
イタリアンポップスと関係なくなっちゃった。


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●ロシアンソング③ [noisy life]

梶芽衣子③.jpg

数日前、電車の中で初体験。

生まれてはじめて席を譲ってもらったのだ。
はからずも、乗車してシルバーシートの前に立ってしまったのが失敗、いや譲ってくれた人のことを考えたら、幸いだったと思わなくてはいけないのですが。

前に座っていた男性が視線を落としたまま低い声で何か言って立ち上がった。
言葉は聞き取れなかったが、席を譲られたのだということは瞬時にわかった。

わたしは思わず、「いいです、いいです」と返事をしながら、そうか、俺はすでに還暦を過ぎているのだった、という思いが重なり、つぎに、相手の好意に背いてはいけない、と思いなおして、腰をかけた。
そうした意識がまるで火花が散るように瞬時に行われたのでした。

それはともかく、最近のわたしの頭の中は、いまだ、ロシアン3人娘がうたう「天使のいたずら」が、
♪パッパ パッパラッパ パッパ…………
と脳内蓄音機で再生されてエンドレスに鳴り響いているのです。

ではさっそく。
ロシアンソング、とりわけ日本人にとって(昔のかも)いちばんなじみがあるロシア民謡は、共産圏発の音楽だが、、皮肉にも日本敗戦後の民主主義によってもたらされた。

それはまたたく間に広がった、うたごえ運動、さらには歌声喫茶の“主役”として若者たちに歌われることに。そしてその叙情的で甘いメロディーの数々にどれほどの当時の若者が幸せな気持ちになれたことか。

また、一緒になって同じ歌をうたうという「合唱」の不思議な連帯感は、「私が主役」の現代のカラオケとはまるで異なる歌唱空間だったのではないでしょうか。

そんな共にうたったロシア民謡のなかでも、とりわけ人気があったのが、黒い瞳、カチューシャ、トロイカ。

わたしも、子供のころロシア民謡の洗礼をうけたのも、ほぼ同時といっていい時期に、この3曲によってでした。

およそ歌などとは縁のない父親が唯一うたって教えてくれたのが「トロイカ」
前回も書きましたが、音楽の先生が「コロブチカ」と一緒にアコーディオンで弾いてくれたのが「カチューシャ」。そして、学芸会で上級生たちが演じた劇中でうたわれていたのが「黒い瞳」というように。

どれも好きなうたですが、ロシアンソングの最終回としては、前回の「山のロザリア」で、♪黒い瞳 ロザリア とうたわれていたのを引き継いで「黒い瞳」を。
それもジャズで3曲。

まずはスイングで。
このミュージックのルーツがロマであるということで、ロマの血をひくジャンゴのギターが最適。

スイングとくれば次はダンモで。それもギターのあとはピアノがいい(単なる好みの問題ですが)。
で、ウィントン・ケリーの華麗なタッチで。

最後は迷いました。
ギター、ピアノとくればやっぱり聴きたいのはラッパ。
それも賑やかしいヤツ。となればデキシーランド。

むかし、ウィントン・ケリーの「黒い瞳」を聴いていたとき同時に聴いていたのが、サッチモの「黒い瞳」。これがデキシー。おまけにサッチモのヴォーカル入り。
これもなかなかイカスのですが、もう1曲、イージーリスニングのLPに入っていた名もないバンド(もはやレコードはなく、覚束ない記憶ではベルリン・ダンス楽団とかなんとか)がやっていた100%のデキシーランドが忘れられません。

残念ながらYOU-TUBEにそのヴァージョンはなかったので、似た感じのベルグラード・デキシーランド楽団の1曲を。

ところで、冒頭の車中の話ですが、席を譲ってくれたのは50代とおぼしき男性で(それも悲しい)、わたしのほうが先に降りることになったので、改めて彼にお礼の言葉を述べて下車した。

落ち込むほどの気分ではなかったけれど、いよいよ来るべきものが来たなという苦笑いが出るような思いだった。

これからは、こういうことが頻繁に起こるのだろうな、と思うとやっぱり淋しいものです。


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●ロシアンソング② [noisy life]

天使の落書き.jpg

忘れないうちにロシアンソングの第二弾を。

CMで見たというか聴いたかの[Those were the days]、日本のタイトルでは「悲しき天使」。

カチューシャに続いてまた疑問ですが、なんで「悲しき天使」なのでしょうか。
原題からひねり出せば「あの日あの頃」とか「友といたころ」でもいいと思うのですけど、やっぱりポップじゃないかも。

「悲しき」は当時の和製ポップスの常套句。
悲しき17才に悲しき60才。悲しき街角には悲しき足音があり、やがて悲しき雨音も聞こえて。悲しき片思いは悲しき願いだし、悲しき少年兵がいれば悲しきインディアンもいて、果ては悲しきカンガルーまでも。もういいか。

とにかく1967年にメリー・ホプキンによって世界的ビッグヒットとなった名曲ですね。
どれだけのミュージシャンがカヴァーしたかという、その数の多さが名曲のひとつのバロメーターになるわけでして、そういう意味でもこの「悲しき天使」のカヴァーは多い。

驚いたのは、以前紹介しましたがカントリーのドリー・パートンまで歌っていたこと。

ビング・クロスビーやエンゲルベルト・フィンパーティンクも歌っているし、ポール・モーリアやフランク・プールセルのオーケストラもいいです。

日本人のカヴァーも多く、当時は広川あけみや森山良子がよく聴こえていた。
時代がGSブームともかぶったこともあって、スイング・ウエストがカヴァーしていました。のちには南沙織もアルバムに入れていたしね。

でも、個人的には小川知子。ファンだったこともあって、よく聴いていました。残念ながらYOU-TUBEにはありませんでしたが。

当時はまったくの英国のジーン・ラスキンのオリジナルだと思われていたのが、その後元歌はロシア民謡だといわれるようになり、またしばらくして、民謡ではなく20世紀初頭にロシアでつくられた流行歌だとして決着。

いずれにしてもロシアンソングであることには変わりなく、曲調に「黒い瞳」や前回ピックアップした「少女ナディア」同様、ロマの香りがただよっています。

上にあげたどのヴァージョンも好きなのですが、今回は(も)賑々しくユーロビートの「悲しき天使」を。

「悲しき」がかつてカヴァーポップスを含めた日本の流行歌のタイトルのキイワードだったことは前述しましたが、その片割れの「天使」のほうも当時よく使われました。

「悲しき天使」と同じ昭和40年代でいうと、
数年前再ヒットした「天使のスキャット」(由紀さおり)がそうですし、「天使の誘惑」(黛ジュン)、天使になれない(和田アキ子)、さすらいの天使(いしだあゆみ)、渚の天使(弘田三枝子)などが。
天使のトレンドは50年代になっても続き、松田聖子に「天使のウインク」、「私だけの天使」がありますし、桜田淳子には「天使も夢見る」、「天使の初恋」が。

そしてロシアンソング2曲め。
「悲しき天使」がヒットした翌年、日本でヒットしたのがダニエル・ビダルのうたったフレンチポップス「天使のらくがき」

彼女のデビュー曲で原題は「あなたの好きなもののように」。
どこが天使やねん、のツッコミが聞こえそうですが、しいていうならダニエル・ビダルが天使だったんじゃないですか。

この「天使のらくがき」もロシアンソング。戦後つくられたロシアンポップスで、原題は「隣人」だとか。
ロシア民謡を中心にロシアンソングを日本に広めた功労者の“ひとり”であり、逆輸入となるロシア公演の数も多かったダークダックスも「隣の恋人」というタイトルでうたっています。

今回はロシアのシンガーで本場の“天使のらくがき”を。

相変わらずのダラダラぶりで長くなっておりますので、さっさと最後の曲へ。

「悲しき天使」、「天使のらくがき」ときたのだから、最後の曲も「天使」で締めたかったのですが、そうはいかないところが苦しい。

でも、それは美しい娘さんの歌で、男にとってはある意味「天使」。

昭和36年に和製アンドリュー・シスターズといわれた(かな)スリー・グレイセスがヒットさせた「山のロザリア」

日本でいちばんはじめにうたったのは織井茂子で「牧場のロザリア」というタイトルで。またスリー・グレイセスのあとに井上ひろしもカヴァーしています。
もちろん、ロシアンソングには欠かせないダーク・ダックスやボニー・ジャックスなど、いろいろなシンガーがレコーディングしています。

そうなんです、この曲もロシアンソングなのです。ただ、いつごろ作られたのかは不明。原曲はアレクサンドロフスキという舞踏曲だそうですが、作者も不明なのでフォークソングといってもいいのかもしれません。

YOU-TUBEで原曲を探してみましたが、なかなかなくて、ワルツでなんとなく雰囲気がにているな、と思ったのがこの曲
どうでしょうか、違うかな。

日本の「山のロザリア」とはだいぶ違いますね。「山のロザリア」はやっぱり歌謡曲のアレンジです。なかなかですよね。

ちなみにアレンジャーは小杉仁三で、どうやらクラウンレコードの専属だったようで、「星のフラメンコ」をはじめ西郷輝彦の一連のヒット曲や、小林旭の「恋の山手線」、渡哲也の「東京流れ者」、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」などを手掛けています。

もうひとつ付け加えれば、作詞は亡くなりましたが、「東京のバスガール」や「高校三年生」の丘灯至夫。

なんとなく、画竜点睛に欠けるような気分なので、次回極めつけのロシアンソングをいま一度。


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●ロシアンソング① [noisy life]

哀愁のカレリア02.jpg

昔の人間ですので、テレビをみていても、CMになるとチャンネルを変えてしまうのですが、ときたま面白いコマーシャルがあると見入ってしまうこともあります。

たとえば、ちょっと古くなりますが、……宮崎あおい(名前が出てこず、今調べました)が出演しているカウリスマキ風のシラケ鳥が飛びそうなCMだとか、石原さとみの「間接キス」のヤツとか。
ただ、どちらも何のCMなのかはいまだにわかりませんが。

最近見とれてしまったのが、しばらく前からやっていましたけど、お竜さんが出てくるCM。お竜さんといっても50歳以下の人はほとんどわからなと思いますが、往年の藤純子(ふじじゅんこ)さん。いまは藤司純子(ふじすみこ)ですか。寺島しのぶのお母さん、菊五郎の奥さんですね。
お父さんは、もう亡くなってしまいましたが、俊藤浩滋といって東映ヤクザ映画の辣腕プロデューサーで、ってもういいですかね、この話は。

とにかくそのCMが気になったのは、もちろんお竜さんが出ていたということもありましたが、バックに流れていた懐かしいミュージック。
見た人はしっているでしょうけど、それがThose were the days 。1968年のメリー・ホプキンのビッグヒット曲ですね。

これはもともとロシアの古い歌で、メリー・ホプキンの世界的ヒットで、ロシアでも再評価されたとか。

そのノスタルジックなBGMを聴いていて聴きたくなったのがロシアの歌。
ロシアの歌といえば、われわれの年代でいえばロシア民謡。

戦後、あれほどの勢いで日本を席巻した観のあったロシア民謡。
いまはどうなっているのでしょうか。
テレビでもほとんど聴こえてこないし、学校の教科書には載っているのでしょうか。

考えてみれば、ロシア民謡だけじゃない。
シャンソンだって、カントリーだって、カンツォーネだって、ラテンだって流行歌、ポップスの第一線からは完全に退いてしまっていますからね。

そんなわけで、しばらくは(たまにしか出てこないけど)「あの頃」輝いていた歌を久しぶりに聴いてみるのもいいかと。
まずは、ラシアンソングを。

はじめは、
二つのギター

ロシアでも名の知れたフォークソングですが、もともとはロマ(ジプシー)の歌だったとか。
わたしがはじめて聴いたのは、昭和でいえば40年代の前半。時はまさにエレキブーム。
そんななかで買ったレコードがフィーネーズの「哀愁のカレリア」。
そのB面だったのがこの「二つのギター」。
子どもながらに「イントロがやすっぽいなぁ」と思いつつも、そのメロディーラインはA面よりも気に入ってました。

フィーネーズは「マンチュリアン・ビート」のサウンズと同じフィンランドのバンドで、その実態はスウェーデンのザ・スプートニクスだという説もありましたが、その真偽のほどは。

いずれにせよ、スウェーデンには「ストップ・ザ・ミュージック」のレーン&リー・キングスなんてバンドもありましたし、当時の日本のエレキブームを盛り上げたのはベンチャーズだけではなく、北欧バンドも存在したということで。

この二つのギター、日本ではたしか寺内タケシが演っていたし、ヴォーカルでは小山ルミが歌っていました。


つぎは、これ。
少女ナディア(ロシアン・トゥ・ステップ)

これはずっとあとで知ったロシアのトラディショナルソング。
多くの民謡がそうであるように、この曲も本来踊りのために作られたものなのでしょうね。

ロシア風のバラライカの演奏もいいですが、YOU-TUBEにあるようなバイオリンにアコーディオンという組み合わせもいいですね。とりわけ個人的にアコーディオンはロシア民謡の印象がつよい。

なぜかというと、初めて「これがロシア民謡だよ」と教えてくれたのが小学校の音楽の先生で、昼休みには校庭で女子を集めて、自ら奏でるアコーディオンでフォークダンスを楽しんでいました。わたしは教室の窓から見ていただけでしたが。
その曲がこれ。

コロブチカ
イスラエルのマイム・マイムと並んで当時のフォークダンスの双璧だったのではないでしょうか。
ただ、当時はコロブチカなんて洒落た言い方ではなく邦訳の「行商人」っていってました。

不思議と演奏ばかりで歌は、それから20年以上を経て、ダークダックスで聴くまではなかったな。

しばらく前にボンドの演奏で耳にしたという人もいるでしょうが、もうほとんど忘れられた音。
と思っていたら、最近の若者には耳なじみがあるのだとか。
なんでも、テトリスのBGMにつかわれているのだとか。

ところで、ロシア民謡といえば「カチューシャ」が代表曲のひとつですけど、そもそもカチューシャっていうのはロシアの女性の名前ですよね。
で、あの女性の前髪につけるのもカチューシャ。AKBの歌にもありますね。
あれはなぜカチューシャというのかな。

わたしが小学生のころもカチューシャをしている子がいて、たしか「カチューシャ」って言ってました。
日本だけの名称だって聞きましたけど、いつだれが命名したの気になるな。

いましばらくラシアンソングを聴いてみたい気分なので、次回も。


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春の歌●春一番 [noisy life]

the_country_gentlemen_early_period.jpg

ようやく春一番が吹きよりました。

それにしても強烈な春の入り口でしたね。飛ばされそうになっていたオバサンもいたり。

今年はことさら寒い冬でしたから、やっと来たか、来てくれたかという春一番。
春の到来がこれほどウレシかったのも近年なかったものね。

今回はごたくを並べていないで、さっさと音楽を。

この春のウキウキ気分にふさわしい音楽といえば、…………やっぱりブルーグラスかなぁ。

何年か前の春にも「春風はブルーグラスにのって」ってことで、やったはずなんですが、軽快なフィドル、乾いたバンジョー、トレモロが心地よいマンドリンの音色につつまれると「春だねぇ」、「春だよぉ」って思うのです。

まずは、春にふさわしい歌。
「春また来たりなば」When the Springtime comes again

アニーちゃん、おいらは行かにゃなんねえども、また春が来て木々が緑に色づくころけえってくるからよ、きっと待っててくれよな

っていう別れの歌。
カーター・ファミリーで広く知られるようになりましたが、大元はスティーヴン・フォスターの「やさしいアニー」Gentle Annie だとも。
また別名「リトル・アニー」Little Annie としても知られています。

演奏はデヴィッド・グリスマン(マンドリン)、ピーター・ローワン(ギター、ヴォーカル)、ヴァッサー・クレメンツ(フィドル)らのスーパーバンド、オールド&イン・ザ・グレイ。

2曲目も「別れの曲」。
「川のほとりで」Down where the river bends

こちらは、かつて別れた恋人と遠く離れてしまった故郷に思いをはせるという歌。
まぁ「望郷歌」といってもいいですね。

生まれ育った土地を離れた者が、人を思い故郷(くに)を思うというのは万国共通なのではないでしょうか。

交通網の発達でたしかに“故郷感”は希薄になってしまいましたが、アメリカは始終戦争をしているので、戦地に赴いた兵士たちにとっては、その望郷感といったら、日本人には想像がつかないほど強烈なのでしょうね。

その故郷を象徴するものとして、カントリーやブルーグラスではしばしば「木」がでてきます。
「春また来たりなば」では無名の木がうたわれていますし、この歌でも古いカエデの木が出てきます。

70年代に来日コンサートを行い、静かなブルーグラスブームを起こしたカントリー・ジェントルメンの演奏です。

最後も「木」がでてきます。
「柳の下に埋めておくれ」Bury me beneath the willow

ただし、こちらは「望郷歌」ではなく、「わたしが死んだら柳の木の下に埋めてください」という悲しきラヴソング。

イギリスの民謡をベースにしたトラディショナルソングで、古くはカーター・ファミリーの歌が知られています。

若いブルーグラッサーの演奏で。

今日の3曲はいずれも「別れの歌」。
カントリーに限らず、流行歌には「別れの歌」や「失恋ソング」がいかに多いことか。
人生そんなにうまくはいかないよ、ということなのでしょうね。実際そうだもの。
3回に1回、いや個人的には10回に1回かな。うまくいくことなんて。
だから、その1回がウレシイんだよね。

そういえば今日の春一番で、家の近くの公園の早咲きの桜が無情にも散らされておりました。

月にむら雲、花に春一番のたとえもあるぞ。
サヨナラダケガ人生ダ。なんて。
ちょっと違ったかな。


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