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●歌謡曲が聴こえる④有楽町で逢いましょう [books]

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フランク永井が亡くなってから、もう10年余りが経ちます。

彼もまたオールド歌謡曲ファンにとっては忘れられないシンガーでしょう。

片岡義男の著書「歌謡曲が聴こえる」にもフランク永井について、10数頁にわたって書かれています。

それは、平成27年の日本において、絶滅が危惧されている煙草の話がヴァースになって、レコードジャケットのフランク永井は煙草を手にしていたというプロローグに入っていくというかたちで。

そして片岡義男がまずとりあげた曲が、国産初のフィルター付き煙草・ホープが発売された昭和32年と同じ年に世に出た、と著書のなかで書かれている「有楽町で逢いましょう」。
著者はフランク永井の最初にして最大のヒット曲かもしれないとも書いています。異議なし。

ではフランク永井の3曲を。

まずは片岡義男がはじめにあげた「有楽町で逢いましょう」

この歌のできたいいきさつは知る人ぞ知るで、「歌謡曲が聴こえる」にもその一部が書かれているし、ウィキペディアにも載っているので割愛。
有楽町という銀座の入り口は、もともと東京では大都会の代名詞のひとつでしたが、この歌が流行ったことで、それこそ東京へなぞ行ったことのない地方の人びともその存在を知ることになりました。

個人的にも印象に残る曲で、小学校へあがったばかりのわたしが、「なんで同じ歌ばかりが聴こえてくるんだろう」と最初におもったのがこの「有楽町で逢いましょう」。それほどラジオや、出はじめのテレビから流れていた歌謡曲だったのでしょう。

作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正。ともにビクターレコードの専属で、当然フランク永井もビクター専属の歌手。当時はそういう時代でした。

曲調はいわゆる和製ブルースで、ビル、、ティールーム、ホーム、デパート、シネマ、ロードショーとカタカナ言葉を駆使した詞は〝憧れの都会〟をイメージさせましたし、なによりも「あなたとわたしの合言葉 有楽町で逢いましょう」という詞が新しいラブソングとして歌謡曲ファンの気持ちに強く浸透しました。

それまで主流だった戦前から戦後にかけての、古賀政男や西條八十に代表される歌謡曲とは一線を画す新しい歌謡曲が誕生したのです。
そうした歌謡曲は都会調歌謡曲、さらにはムード歌謡と呼ばれました。

流行歌は時代によってつくられ、また変えられていくものですが、昭和32年、敗戦・焼跡から復興した日本と日本人によってつくられた曲だともいえます。

片岡義男は「歌謡曲が聴こえる」の中で、「有楽町で逢いましょう」以外に好きな曲として、「夜霧の第二国道」、「羽田発7時50分」、「霧子のタンゴ」、「東京しぐれ」、「大阪ぐらし」、「こいさんのラブコール」をあげています。

その中から2曲目は「こいさんのラブコール」を。

「有楽町で逢いましょう」の翌年、昭和33年にリリースされた曲。
これも和製ブルースですが、作曲はビクターの大野正夫。フランク永井では「大阪ぐらし」もそうですし、ほかでは吉永小百合にもいくつか楽曲を提供しています。かの「奈良の春日野」もそう。
詞は石浜恒夫。芥川賞候補にもなった作家で、「大阪ぐらし」も石浜の作品。ほかでは三浦洸一の「流転」、アイ・ジョージの「硝子のジョニー」などを書いています。

個人的にはなんとも大阪弁が新鮮でした。その後すぐテレビで放映された「番頭はんと丁稚どん」と重なって強く印象に残っています。

最後の1曲はわたしのフェヴァリットソングを。

二村定一のカヴァー「君恋し」、幻のステーションをうたった「西銀座駅前」、ラテンブームにのってつくられた「東京カチート」、作詞家・宮川哲夫の傑作「公園の手品師」など好きな歌はいくつもありますが、思い出がはりついた一曲は「好き好き好き」

やはり佐伯―吉田コンビの曲で、当時としてはかなり強烈なタイトルでした。

当時小学校の低学年だったわたしでしたが、放課後は〝赤土〟と呼ばれた広場での野球が最上の遊び。毎日、上は中学生から下はわたしのような小学生までが入り混じっての激闘が繰り広げられていました。不思議な時代でした。

ある春の日、そんな〝球友〟のひとりである中学3年生の兄貴が自転車でやって来て、うしろの荷台に乗れといいます。映画に連れて行ってくれるというのです。ふだんからやさしくしてくれる兄貴なので、返事代わりに荷台に飛び乗りました。

二人乗りで風を切っているなか、聴こえてきたのはハンドルを握る兄貴の鼻歌。
♪好き 好き好き 霧の都 東京

ひとしきり歌うと、兄貴は前を向いたまま誰にいうともなく楽しそうに話をしはじめます。耳をそばだてると、なんでもどこそこへ就職が決まったとか、さらに定時制高校の試験にも受かったとか。
そのときのわたしには、それがそんなにうれしいことなのか実感することはできませんでしたが、年を経るとともにあの兄貴のうかれた声を理解できるようになりました。
それとともに兄貴が〝教えてくれた〟「好き好き好き」がその幸せな記憶とセットで聴こえてくるようになりました。

ほんとうに多くの歌謡曲ファンに生活の潤いを与えてくれたフランク永井ですが、決して幸福とはいえなかった晩年が返す返すも残念です。
彼の多くのヒット曲はいまだに多くの歌手によってカヴァーされますが、語り草になっているあのソフトでツヤのある低音で聴いたファーストインプレッションを超える「有楽町で逢いましょう」や「好き好き好き」をいまだ聴いたことがありません。

♪フランク永井は低音の魅力 神戸一郎も低音の魅力 水原弘も低音の魅力……

3人とももはやいませんが、彼らの歌謡曲はわたしの脳内蓄音機でいつだって再生することができます。


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MOMO

makimakiさんいつもありがとうございます。

桜花賞、皐月賞、連勝馬券は空振りでしたが、複勝でなんとか溜飲を下げております。
by MOMO (2015-04-22 15:42) 

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