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KBA48 [day by day]

競馬.jpg

♪ねらった大穴 見事にはずれ
 頭カッときて 最終レース
 気がつきゃボーナスぁ スッカラカンのカラカラ
 馬で金もうけ した奴ぁないよ
 分かっちゃいるけど やめられない
 ………………
(「スーダラ節」詞:青島幸男、曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇とクレージー・キャッツ、昭和36年)

某日、駅から自宅への帰路で、

♪…………
♪ガンガンなってるMUSIC……

……いけねぇ、ヘンな歌うたってしまった。

歌のタイトルどおり、あんだけラジオや有線で聴かされりゃ、鼻歌も出ようってもんよ。
誰も聞いてなかっただろうな……。

なんてことが。
スゴイですね、AKB48

恥ずかしくって書かないけど、わたしだって何人かの名前はいえる。

んじゃ、ここでAKB48について語り、曲をYOU-TUBEにリンクさせるのかというと、そうではない。だいいちそう詳しくは知りませんし。

実は、はじめてAKB48という名を新聞で見たとき、思わず「AKB」を「KBA」と見間違えてしまして。なぜなら「KBA」は以前よくつかっていたもので。

では「KBA」とはなんぞや。
「AKB」のエリアは秋葉原ですが、「KBA」は関東では府中、大井、中山、船橋などといえば賢明な(いや逆かな)方は推察できるとおり、競馬のこと。

大昔かなり競馬にのめりこんでいたことがありまして、その周辺で糊口をしのいでいたこともあったり。そのときメモにしろ原稿にしろ「競馬」はすべて簡略に「KBA」と記しておりました。

それから仕事からも離れ、熱も冷め(微熱はありますが)て現在に至っておりますが、そんなことから折しもフィーバーとなった「AKB48」を読み間違えてしまったというわけ。

で、今回はAKB48ファンには申し訳ないですが、「KBA」の話。

馬の歌なら戦前の軍歌の「愛馬進軍歌」やわらべ歌で、♪おうまのおやこは でなじみの「おうま」や♪ぬれた仔馬のたてがみに の「めんこい仔馬」、戦後なら流行歌の「達者でナ」(三橋美智也)や「あの丘越えて」(美空ひばり)がすぐ思い浮かびますが、今日は競馬の歌。

JRAのTVコマーシャルでもみられるように、日本で競馬が始まったのが約150年前。幕末というから驚き。

ということは、戦前にも……と思って調べてみたらありました。
もっとあったのかもしれませんが、判明したのは以下の2曲。

「競馬小唄」 詞:西條八十、曲:松平信博、歌:小唄勝太郎 
「競馬の唄」 詞:西條八十、曲:橋本国彦、歌:四家文子

「馬の娘」いや、「島の娘」の大ヒットでしられる勝太郎は、当時競走馬を何頭か所有していた馬主だったとか。
いまでも、いますよね芸能人で馬主が。最近(でもないか)でGIを獲ったのが歌手の前川清。たしかコイウタという牝馬でした。

それと上の2曲、作詞はいずれも西條八十
かなりの競馬好きだったのかな、と想像できますが、西條八十が馬主だったとか、馬券を買っていたなんて話、あまり聞かない。
まぁ、将棋をまったく知らなくても「王将」(村田英雄)という大ヒット曲を書くのですから、問題ないでしょう。
どっちにしろ2曲とも聴いたことなんてありません。

で、戦後。
最もヒットした競馬の歌、というより競走馬の歌といえば、「さらばハイセイコー」(増沢末夫)でしょうか。
実際の馬が流行歌になってしまうというのもスゴイが、その主戦ジョッキーがうたってしまうというのもスゴイ。

かの三冠馬、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、オルフェーブルらがいかに強くても歌になったという話は聞かない(なっているかもしれないけど、一般には届いていない)。

たんに強いだけでは歌にならない。多くの人が耳を傾けてはくれない。
そこにはドラマがなくては。
ハイセイコーにはそれがありました。

ハイセイコーは中央競馬生え抜きの競走馬ではなく、公営競馬出身で、中央に転厩してきた馬。
公営競馬は中央に比べるとその能力はワンランクもツーランクも劣るという馬たちによるレース。中には“草競馬”なんていう人もいるぐらい。

そういう馬のなかにも時折、ものすごい成長力をみせる馬がいます。ハイセイコーもそうで、そうした馬たちは中央へ移籍し、最強の馬場で勝負することになります。のちのオグリキャップもそうでした。

そこで、ハイセイコーのように中央馬を尻目にGⅠホースになってしまうのですから、競馬ファンだけでなく一般人までが応援したくなったり。
なにせ日本人は“成り上がりストーリー”が好きですから。
とりわけ、馬券負け組の競馬ファンはなおさら。

曲のヒットの要因のひとつには、猪俣公章の軍歌調のメロディーにもありました。当時の日本人、軍歌好きだったものね。

この「さらばハイセイコー」を凌ぐ(多分)売り上げを記録したのがソルティー・シュガー「走れコウタロー」

これはまったくの架空の馬・コウタローがダービーで勝って穴をあけるというコミックソングで曲はカントリー調。日本ではなぜかカントリー調というとコミックソングやドタバタ劇のBGMにつかわれていた、いや、いる。

馬名がバンドメンバーの山本コウタローからとったことはあまりにも有名。
20数年後、アニメ「みどりのマキバオー」に馬名を変えてつかわれていた。

ほかでは、競馬場がでてくる歌としてユーミン作の「中央フリーウェイ」忌野清志郎「競馬場で会いましょう」、作詞の青島幸男がギャンブラーの真理をみごとについた「スーダラ節」(ハナ肇とクレージー・キャッツ)があります。

また、曲は聴いたことがありませんが、大月みやこがうたう「競馬人生」というのがあるそうです。

馬いはなしに すぐ乗せられて
いつも怪我する お人好し
あなた見てると ジョッキージョッキーするわ
だからわたしが この手綱
強く引いたり ゆるめたり

という詞は現役のダービージョッキーだった小島太(現在は調教師)。

ところでKBA48の「KBA」が競馬だということはわかってもらえたと思いますが、では「48」はなんなのか。

これを「フォーティエイト」と読んではいけません「よんはち」もしくは「よんぱち」と読みます。

そうです競馬の出目、買い目なのです。だから「KBA48」。

「4」は大昔、有馬記念を4のゾロ目で獲って以来の、わたしのラッキーナンバー。
「8」は枠連しかなかった当時、統計的にも連対確率の高かった枠番。
迷ったときの「4―8」ということでよく買っていました。結果はともかく。

競馬予想のポイントは人それぞれです。
過去の実績、当日の仕上がり・気配、展開、ジョッキーなどなど。
わたしも以前は競馬新聞と首っ引きで何時間もかけて赤ペンを走らせていました。
しかし、某馬券師が語っていたように、いきつくところは出目。

何をやっても的中しないのであれば、賽の目に賭けたくなるのは人情。
賽の目といっても、ただの運否天賦ではない。
サイコロが転がって出る目を読むのです。
それはその日が何月何日か、からはじまって、当日の目の出方、前レースの出目などなどで買い目を決めるのです。

まぁ、いわゆるケントク買いなのですが、そんなに馬鹿にしたものでもありません。
出目、すなわち数字には「数霊」といって独特の動きや流れがあるらしい。

えっ? ならば、その「数霊」とやらで儲かっているのか、って?

……………………。


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三つの歌●絶望 [day by day]

黒の舟唄.jpg

♪忘れられないけど 忘れようあなたを
 めぐり逢うときが ふたり遅すぎた
 愛の炎は消し 暗い絶望だけ
 胸に抱きしめて 僕は生きてゆく
 だけど もしも ここにあなたが
 いたなら 駆け寄り すぐに抱くだろ
 あなたを 連れ去り 逃げていきたい
(「許されない愛」詞:山上路夫、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和47年)

食事のあと、テレビもつまらないので音楽を聴きながらブログを書いてます。

60年代のカヴァーポップス。いまミコちゃんの「子供ぢゃないの」が終って、ミッチー・サハラ「夢見るシャンソン人形」が流れてきました。あらためてきくとミッチー・サハラ、歌が上手ですね。フランス語もきれいだし。

ではおっぱじめます。

希望を抱くのが人間ならば、絶望するのもまた人間。
ならば、「希望」の次は「絶望」で。
まあ、よくいえばバランス感覚、ふつうにいえば思いつきということ。

しかし「絶望」、かなりキツイ言葉です、なにせ望みを絶ってしまうのですから。決定的です。字面もななんとなく、書きたくないし、見たくもない単語です。

だからマス・メディアでもあまり頻繁にはつかわない。

たとえば、山の遭難で数週間が経過したとしても新聞の一般紙やテレビの報道では「絶望」とは書かないし、コメントしない。
常識的に考えれば「絶望」であっても、1%の可能性があれば、やはり使わない。その家族への配慮もあるでしょうし。

「絶望」という言葉をいとも簡単につかうのは、スポーツ新聞や週刊誌。
はたして山の遭難で「絶望」という言葉をつかうかどうかはわかりませんが、スポーツ、芸能のエンタメ系ニュースではしばしば見るし、耳にする。

それでも、たとえば
「××投手 左アキレス腱断裂 今季の出場絶望的」
などのように絶望ではなく「絶望的」と「的」をつけてインパクトを抑えたり。
さらに遠慮がちになると「絶望的か」なんて小さな「か」をつけたり。

それほど「絶望」という言葉には悪魔的な“文字霊”が宿っている。

だから流行歌では、あまり使われない。
かといって全然ないわけじゃない。だけど、「希望」に比べるとはるかに少ない。

すぐに思い浮かぶのはゴールデン・カップス「絶望の人生」
これは[I got a mind to give up living]というブルースをカヴァーしたもの。
マモル・マヌーがヴォーカルをとっています。

そして、前向きになんか生きたくはない、過去と向かい合ってメソメソしたいんだと、先頭を走る者のシンドさをうたった岡林信康「絶望的前衛」

さらに絶叫的絶望的絶唱音頭は、サンボマスター「絶望と欲望と男の子と女の子」

もひとつあげるなら暗く消えてしまいたかった灰スクールの頃をうたった奥田美和子「絶望の果て」「二人」というアルバムの中の曲で、その中の「青空の果て」も詞がやや異なるけど旋律は同じ絶望ソング。この2曲を含め全13曲のすべてを柳美里が作詞している。そりゃ、暗くもなろうさ。絶望もしようさ。

と以上ピックアップした4曲は、ポピュラリティーがないとか、いまいちピンとこないなどの理由で、「三つの歌」としては選外。
というより、他にとりあげたい歌があったということ。では。

絶望グッドバイ(藤井隆)
平成14年というから昭和歌謡ではないけれど、なにしろ作者が松本隆筒美京平だから昭和の香りが芬々。ちなみにこのコンビのヒット曲はあまたあって、「東京ララバイ」<中原理恵)、「セクシャル・バイオレット№1」(桑名正博)、「スニーカーぶるーす」(近藤真彦)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)などなど。

で、この「絶望グッドバイ」は彼女との別れに絶望する彼という設定。
その悲しみがあまり伝わってこないのは、ダンサブルなアレンジが原因かも。
松本隆の詞も「僕のズック靴いつも躓く」なんて、どうでもいいことを入れてくるから気になって悲しみが薄れてしまうのかも。
それほど絶望して取り乱しているのだ、といわれればそうとも思えるけど。

だいたい平成の時代に「ズック靴」はないだろう。
そういうところとか、谷川俊太郎や寺山修司の名句をシレッとつかってみたりしているところが個人的には気に入っています。

許されない愛(沢田研二)
やっぱり「絶望感」を出すにはバラードでなけりゃ。
これは不倫にピリオドを打つという流行歌の定番「あきらめ節」。なるほど絶望感は出ています。
その詞はいずみたくグループの山上路夫。暗い旋律はワイルドワンズの加瀬邦彦
そしてなによりも、沢田研二の「泣き節」がその絶望感をより高めています。役者やのぉ。

昭和47年のヒット曲で、その翌年にやはり加瀬邦彦が今度は安井かずみと組んでつくった「危険なふたり」でレコード大賞をとることに。

個人的にはそのふたつの曲の間につくられた、やはり安井・加瀬コンビの「あなたへの愛」が沢田研二のベストソングなのですが、絶望のかけらもないラヴソングなので、いつかまた、ということで。

ところで、奥田美和子の歌ではないですが絶望の果てとは。
そうです自ら命を絶ってしまうこと。つまり最も大きな絶望。
去年もそうだったようですが、毎年3万人もの自殺者がでているとか。

その自殺が出てくる、あるいはほのめかす歌もいくつかあります。
たとえば、「このまま死んでしまいたい」とうたう「アカシヤの雨がやむとき」(西田佐知子)
自殺者がふえているという新聞記事を“引用”した「傘がない」(井上陽水)
そして、まさにこれから自殺しようとしている女性を主人公にした「帰らざる日々」(アリス)
さらには貧しさと世間に絶望しての道行き、「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)など。

しかし、ここでの三つ目の歌は、また別の意味で世を儚んでいる歌を。

マリリンモンロー・ノーリターン(野坂昭如)
「この世はもうじきお終いだ」と、末法思想のお題目のようにはじまる昭和46年の歌。
歌手・野坂昭如絶頂の頃。ほかにも「バージン・ブルース」とか「終末のタンゴ」、「黒の舟唄」、「花ざかりの森」などいい歌がいくつもありました。

これらの歌はすべて桜井順の作詞作曲(作詞は“能吉利人”のペンネームで)。野坂と桜井は三木鶏郎グループ「冗談工房」の仲間。

それにしても、この歌のヒントになっているのがマリリン・モンローが主演し主題歌をうたった「帰らざる河」であることはもちろん、この歌そのものももはや忘れられているのではないでしょうか。
野坂さん、脳梗塞に倒れながらも、いまだ健筆をふるっているとか。

しかし、あらためて考えると、希望があるから絶望するんだな。
希望が大きければ大きいほど、絶望も深くなる。
だとすれば、希望なんかもたなければ、絶望することもない。
だけど、やっぱり希望がないと生きていけない。おもしろくない。

そう考えると、「希望」を抱くにしても、ささやかで小さいもののほうがいいのかも。
せいぜい中ぐらいで、決して大きな希望などいだかない方がいい。「ちっちぇい奴だ」などと、他人からどんなに詰られても。
これを「希望中小」といったりする。

いつまでたってもシリアスになりきれないわたしです、許してやってください。

いま、流れているのは斎藤チヤ子「失恋の海」。なにしろ80数曲、5時間弱ランダム設定のMDなので、まだ当分聴いていられます。では。


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三つの歌●希望 [day by day]

若者たち.jpg

♪生きていくことって 泣けてくるよね
 灯の家路に 迷う人には
 夢をけずられても  明日を夢見る
 恋に捨てられても 憎んじゃだめさ
 空を見上げて 涙ためて歩こう
 願いが叶う 星がみつかるように
 
 俺は希望商人 希望商人 幸せのひとかけらを
 喜劇の街へ 悲劇の街へ 売り歩くのさ
(「希望商人」詞:大津あきら、曲&歌:佐藤隆、昭和61年)

今日は寒かった。冷たい風も吹いて。ああいうのをチリ・ウインドっていうんでしょうね。

チリ・ウインドだからって、南米はチリの方から吹いてくる風でも、塵(ちり)を巻き上げて吹いてくる風でもありません。わかってますか。そうですか。

ではさっそく今日の“お題”を。
前回、最後に控えめな予告をした? とおり「希望」

昨年の暮れから、年明けにかけてしばしば見たり聞いたりした言葉です。
去年のことがあっての今年のはじめっていうこともあるけど、震災がなくたってなくちゃならない大切なもの、それが希望でしょうか。

われわれのような、マラソンでいえばとうに折返し点をすぎて、35キロ地点にさしかかろうという“たそがれ族”ならまだしも、若い人にはこの「希望」ってヤツがないと、楽しく生きてはいけない。

希望の形はひとそれぞれでしょうけど、ソイツがあるから、厭なこと苦しいことも耐え忍ぶことができる、そんなものじゃないでしょうか、希望って。たとえそれが幻であっても(そこまでいっちゃうことないか)。

だから流行歌のなかでも、「希望」はふんだんにちりばめられている。
                                       
希望の歌、希望の街、希望の道、希望の丘、希望の轍、希望の鐘、希望の虹、希望の匂い……。

それは、あの暗い戦争の時代から、現代に至るまで、連綿とうたい続けられているのです。まるでアヘン、いや清涼飲料水のように。

今年はなるべく能書きを短くしよう、そのぶん数をふやそう、というのが課題でして。
さっそく「希望ベスト3」ソングを。

「希望商人」佐藤隆
アルバム「日々の泡」のなかの1曲。
「マイ・クラシック」「カルメン」も好きだけど、この曲がいちばん。
はじめてラジオで聴いたときは「希望少年」なんて空耳をやってしまった。

この「希望商人」もそうだけど「マイ・クラシック」も「カルメン」も作詞は大津あきら
佐藤隆の歌は、松本隆、谷村新司、康珍化、竜真知子、岡田冨美子など作詞家陣百花繚乱だけど、なぜか大津あきらの詞に感応してしまいました。

大津はごぞんじの方も多いでしょうが、つかこうへい劇団の音楽を担当して名を挙げた人。
その後作詞家に転じましたが、21世紀をまたず、50歳をまたず、惜しくも病気で亡くなりました。
最大のヒット曲は中村雅俊「心の色」
徳永英明「風のエオリア」もいいな。

「希望商人」はコンセプトがシャンソンの「幸福を売る男」に似ているけど、それよりはもうすこし陰翳が強くて、「喜劇の街へ、悲劇の街へ……」とか「罪と罰を 拾い歩く」とか、作詞家のセンスがにじみ出ている。

「希望」岸洋子
われわれというか、もう少し広げて現在の50代、60代、70代の歌好きに「希望の歌といえば?」って訊ねたら、おそらく半分以上はこの「希望」をあげるんじゃないでしょうか。
昭和45年、西暦なら1970年。まさに激動の年で、この曲や詞にどこか哀調といいますか、翳りが感じられるのは、そうした時代を反映していたからでしょう。

なにしろこの歌のなかで「希望」はなかなか叶うことがない。
「希望」を探し求める旅はかなりハードで、つかみそうになると去っていってしまう。それでも希望探しの旅は続いていく、もしかしたら命が果てるまで続くのかもしれない、というようなニュアンスさえこの歌から感じとれます。

曲は彼女の初ヒット「夜明けのうた」と同じいずみたく。詞はいずみたくとコンビを組んでいた舞台演出家の藤田敏雄

「小さな日記」フォー・セインツと競作でしたが、ごぞんじのように岸盤が大ヒット。
ちなみに編曲は岸盤が川口真。フォー・セインツ盤はいずみたくの弟子? の渋谷毅
とにかく、いろいろなシンガーにカヴァーされている名曲。

ところで、この「希望」には前段、つまりそこへつながるもうひとつの歌があったことをご存じでしょうか。それが、「希望」三つの歌の最後の歌

「若者たち」ブロードサイド・フォー
「希望」の4年前、つまり昭和41年のヒット曲。
同名のテレビドラマの主題歌でした。山本圭、田中邦衛、佐藤オリエ、橋本功、松山省二の5人兄弟の貧しいけど純で熱いドラマでした。

曲を担当したのは黒澤明の「用心棒」など映画音楽を多くてがけた佐藤勝
流行歌では石原裕次郎「狂った果実」、「若者たち」の続編といわれた(ピンとこなかったけど)「昭和ブルース」(ブルーベル・シンガーズ)、「手紙」(由紀さおり)などを。

で、作詞は「希望」と同じ藤田敏雄。
この「若者たち」では、1番で
♪君の行く道は 果てしなく遠い……
と若者が歩んでいく人生が決してイージーではないことをうたっています。
それでも3番では、
♪君の行く道は 希望へと続く……
というように、それでも歯をくいしばって歩き続ければ希望の地へたどりつけると、流行歌の定番で終っています。

「若者たち」が希望を求めて歩き続けて4年、到達できたのか。
すでに述べたようにヒット曲「希望」では、相変わらず「希望探しの旅」を続けています。
これはブラックユーモアでもなければ、若者たちが「希望」をみつけられないのは、4年前よりさらにハードな季節に入ってしまったからということでもない。

これが真理である、カフカの「城」のように決してたどり着けないもの、それが「希望」なのだ。それでも人間はそれを追い求めていくしかないのだ。
とこの2つの歌で作詞者は言っているような気がします。

藤田敏雄はそのほか、「若者たち」が世に出る前の年に雪村いずみ「約束」や、当時世間を驚かせた吉展ちゃん誘拐事件で逃亡する犯人に対するメッセージソング「返しておくれ今すぐに」(市川染五郎、ザ・ピーナッツ)を作詞しています。

とにかく、若い人が希望をもてる日本であり、世界であってほしいというのは“ゴール”目前のわれわれにとって偽らざる気持でしょう。

では、自分を省みて己の希望は何だったのか、現在はどうなのかって考えると、わたしには暗澹たるものがあります。それでも負け惜しみをいわせてもらえれば、希望探しの果てしのない旅は、いまだ続いているのだ、と。ほんとかよ……。


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三つの歌●着物 [day by day]

竹久夢二001.jpg

昨日は成人式。

いやあ多かったですね女性の晴れ着姿。
今年は男の紋付き袴姿も例年より多かったけど。

きのうの朝、用事でコンビニへ行ったら、途中でこれから成人式へ行くとおぼしき女性の二人連れ(ひとりの晴れ着っていうのはあまり見ない)と遭遇。
「イイネ」なんてニヤついていたら、二人は立ち止り、何か話していたと思うや、ひとりが突然駆け足でいま来た道を戻って行きました。
多分、なにか忘れ物をしたのでしょう。

で、そのときの姿がスゴかった。
着物の裾を膝上あたりまでまくり持って、脱兎のごとく。

二十歳だもの。先日の話の「車中の化粧」と同じで“恥じらい”が身についてないんだね。

でも、その“あられもない姿”は理にかなっている。
友達を少しでも待たせまいと思ったら、全速力モードで行かないと。
それには通常の着物姿ではむり。

映画やテレビの時代劇ではそんなお嬢さん見たことないけど、実際には、たとえば悪漢に追いかけられた娘さんなんか、思い切り裾をまくって逃げたんじゃないかな。
昨日の朝の光景を見ながら、そんなくだらないこと考えました。

そして今日の「着物晴れ姿」はサッカーの年間女子最優秀選手に選ばれた澤穂希。

テレビでメッシとのツーショットを見て、あらためて「スゴイですね」と感嘆。

また、あの淡い感じのブルーの着物が似合ってたこと。多分スタイリストがいるんだろうけど、格調があって、最高のセレモニーにみごとにハマっていました。

しかし、着物っていうのはいいね、とくに男にとっては何とも色っぽい。
でも、たまに着るからいいんだろうね。愛好者もいるんでしょうけど、のべつ着物だったら、それほど目がいくことはないかも。
成人式に限らず、正月とか結婚式やパーティーとか、やっぱり「晴れの日に着るもの」なんでしょうね。

で、(ここからが本題)流行歌の世界で着物といえば、これはもう演歌。なんたってユニフォームみたいになってます。
だから反対に、ドレスや洋服で出てくると「オヤオヤ」(いまどき言う奴いない)なんて思ったり。

戦前の新橋喜代三、市丸、小唄勝太郎、赤坂小梅といった粋な姐さん方からはじまって、戦後でも榎本美佐代、神楽坂はん子、島倉千代子、五月みどり、最近亡くなった花村菊江、そして都はるみと着物シンガーはいました。

でも、ポップス系はもちろん、歌謡曲といわれた流行歌の世界で、着物は主流ということはなかった。むしろ戦後は「日本調」といういわれ方で傍流だったような。

それが昭和40年代に演歌というジャンルができると、着物が完全に主流に。
となると、逆に門倉有希とか森山愛子なんかの洋装派に目がいったりして。

それでは、相変わらずの独偏による「着物の姿の女性」が出てくる歌を三つ。

「恋人をもつならば」神戸一郎
昭和33年のヒット曲。神戸一郎はその前年に「十代の恋よさようなら」でデビューし、その甘いマスクと声で一世を風靡したシンガー。数年前にお亡くなりになりました。
作詞は当時の頂点にいた西條八十
2番がまさに和服姿。歌舞伎「与話情浮名横櫛」のお富さんを思わせる「黒襟姿に洗い髪」。
そんな粋な姐さんがホテルのバルコニーで酸漿を噛みながらリルケの詩集を読んでいるというのだから、これはまさに竹久夢二の世界。

余談ですが、YOU-TUBEの歌詞、聞書きをされたようで、かなり「空耳」が入っております。それがあまりにも頻繁なので、「お借り」しときながら申し訳ないのですが、笑ってしまいました。もしかしたら投稿したのは若い人なのかも。

「女ひとり」デューク・エイセス
永六輔・いずみたくの昭和40年の名曲。
1番が「結城に塩瀬の素描の帯」、2番が「大島つむぎにつづれの帯」、3番が「塩沢かすりに名古屋帯」。和服三態を帯までいれてみごとに“恋に憑かれた”女を表現しています。
なんていってるけど、「大島つむぎ」と「かすり」以外は、それぞれどんな着物なのかイメージできないのですが、とにかく上布であることはなんとなく。

「みだれ髪」美空ひばり
これも名コンビ、星野哲郎船村徹による美空ひばり、昭和最後の傑作。
1番の「赤い蹴出し」と3番の「春は二重に巻いた帯」がはっきりと“和女”をイメージさせます。こちらは“恋に疲れた”女のようで。
ところで美空ひばりという歌手は不思議で、たしかに着物も似合うけれど、ドレス姿でもステージに立つ。着物一辺倒というわけではない。
そこらへんにも、いわゆる演歌とは一線を画した「ひばり流」を感じてしまいます。

以上3曲、あたりまえですが、みんな昭和の歌。
J-POPにあるのかな和装の女性をうたった歌。探せばあるかもしれないけど……。
歌はともかく、たまには着物姿でうたってもらいたいね。

休養しちゃったけど、宇多田ヒカルの着物姿など見てみたいものです。
それで、「はしご酒」なんかをうたっていただいた日にゃ……。
まず無理だろうけど、……洒落でやってくれないかな、いつか。

今年はじめてのブログです。
去年よりもう少し数をふやしたいと「希望」しております。
本年もよろしくお願いいたします。


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その名は●デコちゃん [the name]

浮雲①1955.jpg

あの娘可愛いや カンカン娘
 赤いブラウス サンダルはいて
 誰を待つやら 銀座の街角
 時計ながめて そわそわ にやにや
 これが銀座の カンカン娘
 (これが銀座の カンカン娘)
(「銀座カンカン娘」詞:佐伯孝夫、曲:服部良一、歌:高峰秀子、昭和24年)

デコ。

子どものあだ名です。

男の子だとだいたい、おでこが出っ張ってる子に対してつかわれてました。
多くは「デコ坊」、なんて。
「デコ」って呼び捨てにする場合も。それでも「デコ」はまだましで、乱暴になると「デコ助」なんて。さらにいい加減になると「デコっ八(ぱち)」なんて、意味のない「八」をつけられちゃったり。

その点、女の娘の「デコ」は可愛い。
ほとんどの場合、「ひでこ」の「ひ」がノドに吸い込まれて「でこ」になる。
それも、だいたいはちゃんがちゃんとついて「デコちゃん」になる。

男の子の「デコっ八」が、「デコちゃん」なんて呼ばれることはあまりない。子供のころから、男に対しては世間の風は冷たいと相場が決まっている。
そんな男はうっちゃといて、「デコちゃん」を。

「デコちゃん」といえば、誰が何と言っても高峰秀子
誰も何とも言わないし、若い人にとっては「それ誰?」なのかも。

高峰秀子が亡くなったのが、ちょうど去年の昨日、12月28日。
昨日アップすればグッドタイミングだったんですけど、そのへんがしまりがないというか。

訃報はたしか、年があけてから発表されたんじゃなかったかな。勘違いかな。とにかく亡くなって1年が経ちました。

晩年はエッセイストとして健筆ぶりを披露してくれましたが、やはりわたしにとってもファンにとっても、高峰秀子は稀有な女優。

5歳で映画デビュー。子役は大成しないという言い伝えを覆し、みごとにトップ女優に。
55歳で、まるでサラリーマンが停年退職するように女優を引退。
すごいよね、50年間映画界で、それも第一線ではたらいたんだから。大卒のサラリーマンだったら70歳を優にこえてしまう。

高峰三枝子、山口淑子、山田五十鈴、原節子などなど往年の大女優数々あれど、わたしのなかではピカイチ。

なんて偉そうなことをいってますが、わたしが観た彼女の映画はほとんど“後追い”つまりリアルタイムでは観ていないので……。

それでも好きなのはやっぱり学生時代に観た「成瀬巳喜男作品」。
ダントツが森雅之と演じた「浮雲」。同じ林芙美子の「放浪記」もよかった。ダメ作家の宝田明が妙にリアルで。

女給に扮した「女が階段を上がるとき」もよかったし、義弟・加山雄三とのなさぬ恋がせつなかった「乱れる」などなど。

木下惠介作品ならストリッパーに扮した「カルメン故郷に帰る」からはじまって、「女の園」、「二十四の瞳」、佐田啓二と共演した「喜びも悲しみも幾歳月」や「永遠の人」などなど。

百作品百様といっていいほどの、カメレオンぶりはまさにプロ中のプロの女優。

わたしのような当時の若造をも魅了してしまうその容姿と雰囲気は、彼女より年配の文化人や芸能人、たとえば谷崎潤一郎、梅原龍三郎、東海林太郎らをも熱烈なファンにしてしまうという魔性ぶり。まさに「ジジゴロシ」。ブロマイド売上第一位になったこともあったのではないでしょうか。

でもなんとなくわかるな。
決して美人ではないけれど、どこか対面する相手に安心感を与えるというか、菩薩のような優しさを漂わせているというのか。包容力、いや抱擁力っていうんでしょうか。
よくいう「男好きのする」顔なり、雰囲気でしたね。

で、彼女はもちろん親しい人からもファンからも「デコちゃん」って呼ばれていたのですが、そのデコちゃんの歌を。

高峰秀子の歌唱はそこそこ上手(名女優だもの、歌手役だってこなすさ)でしたが、同性の三枝子さんほどレコーディングはしていませんし、ヒット曲もない。
そんなにうたうことが好きではなかったのかも。

最大のヒット曲といえば、やはり「銀座カンカン娘」
同名映画の主題歌で、作詞作曲は上にあるように佐伯孝夫服部良一
とりわけ曲がいいですね。昭和24年、まだ焼跡の匂いが残る(なことはない)時代に轟いたハッピーソング。

当時の進駐軍のにキャンプで、ペギー葉山がその「銀座カンカン娘」をうたうと「オー! キャン・キャン・ガール」と歓声があがって大ウケだったとか。

作詞はヒットメーカー・佐伯孝夫ですが、服部良一の自伝によると競作というか、ほとんど服部さんの意向が反映されているようで。

それとやはりヒット映画の主題歌「カルメン故郷に帰る」
こちらは作詞が木下映画に欠かせない木下忠司、作曲は映画で音楽を担当した黛敏郎

ほかで音源が残っているのは戦前の「森の水車」「煙草屋の娘」
どちらも清水みのる米山正夫の作詞・作曲。「煙草屋の娘」は外国曲のカヴァーという説明も。「森の水車」は戦後、並木路子が再ヒットさせたよく知られた曲。

そのほかこんな劇中歌も。
そして戦前からよく共演した灰田勝彦とこんなシーン。

もう出ないだろうなぁ、ああいう女優。また、そういう時代だったんでしょうね。
映画の世界が華やかで、女優がとてつもなく輝いていた時代。

タソガレそうなので、気をとりなおして、そのほかのデコちゃんを。

まずはやはり女優の吉田日出子

はじめて観たのは大島渚の「日本春歌考」。
映画はたいして面白くありませんでしたが、デコちゃんだけが輝いて見えました。たしか宮本信子も出ていた記憶が。
劇中で、「満鉄小唄」をうたうんです。それがなんともしばらく耳について。

残念ながらレコーディンがはしていないようで、歌詞は朝鮮人従軍慰安婦のつぶやきというかたちですが、はたして彼女たちの実声を採録したのものか、日本人がおもしろおかしく作ったのかは不明。曲借り物で、本歌は藤原義江がつくりうたった軍歌「討匪行」

その後、テレビドラマでブレイクしますが、元々は舞台女優。
ところで、「日本春歌考」が昭和42年ですが、その前年にテレビの脇役で出ていることを最近YOU-TUBEで知りました。
渥美清とは「男はつらいよ」でもマドンナ役で出ていましたね、何作目だったでしょうか。

高峰秀子にどこか通ずる、ゆるやかというのかたおやかというのか、好きな顔であり、雰囲気です。

で、彼女の最大のヒット作といえば舞台も、映画も、歌も「上海バンスキング」に尽きます。舞台も見ていなし、映画も見ていない。それでもなぜかLPだけは買っておりまして。

そのレコードでは「月光値千金」から「サイド・バイ・サイド」「ダイナ」「素敵な貴方」「スィング・スィング・スィング」「明るい表通り」と、戦前のスインギーなジャズソングが目白押し。

そんなかなで好きなのがかつてディック・ミネがうたいヒットさせた「リンゴの樹の下で」

さすが女優さん、上手下手を超越した味のある雰囲気十分の歌唱で、わたしにとって未生だった戦前へ連れて行ってくれます。

例によって予定オーバー。
2人じゃさみしいので、最後にもうひとりデコちゃんを。

機会があればまたということで、今回は歌だけを。
日本人のファド・シンガー、月田秀子
10年ほど前に知合いからCDをもらいました。

ファドといえばアマリア・ロドリゲスに代表される「暗いはしけ」
もひとつ、CDには入っていませんでしたが、ギリシアの歌だという「汽車は八時に出る」

ところで、いま(正月は休みかな)、東京国立近代美術館で高峰秀子の展示会をやっているようです。最寄駅は東西線木場駅(ちょっと歩くけど木場公園を通るので散歩にいい)。興味のある方はどうぞ。

今年のブログもこれが打ち納め。
なんだか、もろもろもの足りない一年ではありました。
来年はも少しいいことが起こることを期待しつつ、みなさまお元気で、よいお年をお迎えください。


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冬歌②北風 [noisy life]

日暮れの小径.jpg

♪えくぼの可愛い娘だったが
 北風が連れていちゃた

 いまではあの娘を呼んだとて
 冷たい北風吹くばかり

 ノースウインド ノースウインド
 あの娘はどこだろ
 ノスウインド どこだよ
 教えておくれよ
(「北風」詞:レイモンド服部、曲:ロッド・モリス、歌:北原謙二、昭和39年)

年もずずっと押し迫ってまいりましたが、2011年の「冬の歌」は第二回にして最終回の「北風」

「北風」の歌もそこそこあります。
すぐ口についてでてくるのが
♪北風ぴーぷー 吹いている
「たきび」とか、おなじわらべうたで
♪北風 小僧の 寒太郎 の「北風小僧の寒太郎」

ナツメロだと、うたい出しが
♪北風吹きぬく の「寒い朝」(吉永小百合、マヒナスターズ)
なんかも。

ほかにもラジオ歌謡の「北風三郎」(伊藤久男)若原一郎「北風小僧」なんか。

めずらしいとことでは荒木一郎がつくって岸本加代子がうたった「北風よ」が。
同じアイドル系では荻野目洋子「北風のキャロル」浅田美代子「北風の日曜日」なんてのも。

J-POPなら槙原敬之「北風(君にとどきますように)」があるし、ミスチル「口笛」にも ♪……不揃いの影が 北風に揺れながら……
とでてきます。

ふたたび遡って70年代、80年代をみると、

「陽はまた昇る」谷村新司
「秋冬」高田みづえ
「矢切の渡し」細川たかし
「コートにすみれを」みなみらんぼう
「子連れ狼」橋幸夫
「まるで正直者のように」友部正人

とあるわあるわ「北風」が。吹きまくり。

しかし今回の「北風」は洋楽カヴァー。
とはいえ、もはやナツメロ歌謡曲といってもおかしくない「北風」North Wind。

1953年にテキサス・ビル・ストレングスTexas Bill Strengthがうたったカントリーソング。
カントリーにはめずらしいマイナーチューンで、アメリカではさっぱりでしたが、その4年後、日本に輸入されるやヒットソングに。

日本での当時のカントリーブーム(ロカビリー前夜)に乗った感もありましたが、はじめにレコーディンぐしたのはカントリー・アイドルだった小坂一也
その後、ジミー時田、黒田美治をはじめ多くのカントリーシンガーがカヴァーすることに。

その4年後、すでにカントリーブームどころか、ロカビリーブームも退潮していたころ、なぜかこの「北風」が再ヒット。

うたったのは北原謙二。遅れてきたロカビリアンでした。

大阪は浪商野球部出身というから異色シンガー。
同級生がのちの安打製造機・張本勲やヤクザから画家に転身した山本集。先輩には巨人に入りV9に貢献した坂崎一彦、後輩には怪童といわれた東映のエース・尾崎行雄という錚々たるメンバーに囲まれてのハイスクールリフ。

そんな荒くれ仲間のなかでも喧嘩っ早さは野球部一で、“チビケン”と呼ばれ、誰もが一目置いていたというから、見た目じゃわからない。
しかし、からだが小さかったからか、残念ながら野球では花咲くまで至らず。

高校在学中に父親が急死し、即中退。
と同時に北原青年の向かった先はネオン街。
ヤクザとしてデビューしなかったのは、歌が好きだったから。その歌唱力を見込まれて当時流行りのジャズ喫茶のシンガーに。

その後東京へ行き、ジャズ喫茶「テネシー」の専属としてうたっているところをコロムビアレコードのディレクターにスカウト。
デビューは昭和36年で、童謡歌謡の「日暮れの小径」
ちなみに同期には、「湖愁」松島アキラ「悲しき街角」飯田久彦、やはり「テネシー」でうたっていて「でさのよツイスト」でデビューしたスリー・ファンキーズなどが。

「日暮れの小径」も小ヒットしましたが、彼のブレイクのきっかけとなったのは翌37年、NHKの「今日のうた」としてとりあげられた「若いふたり」
映画化もされたこのドドンパで、一躍トップシンガーに。

そしてその翌年の38年には、ブームとなった青春歌謡にのって、「若い明日」「ひとりぼっちのガキ大将」がヒット。

「北風」はその翌年、東京オリンピックの開催年のヒット曲。
鼻にかかったようなノンビブラートの独特の歌唱がカントリーには合っていたようで。

そして翌40年には立川談志が好きだった「ふるさとのはなしをしよう」がヒット。作曲は浪花のモーツァルト。それとエレキブームに便乗したリズム歌謡「若い太陽」も。が、あきらかにピークは過ぎ、人気バロメータは下降線。

これだけヒット曲があれば、新しい曲などなくても地方回りで歌手活動は続けていける。

しかし病魔には勝てない。
平成3年に脳出血で倒れ、その後リハビリから歌手活動を再開させたが、13年に病気だ再発し亡くなっている。

亡くなる前には半身マヒながらテレビなどの歌謡番組に出ていましたが、見ていてどこか痛々しかった。

北原謙二のことを考えると、中学の同級生の顔が思い浮かびます。
♪君には君の~
ってよく口ずさんでいました。

2歳下の妹のことを話題にすると、いつも真赤になって怒るのです。

こんなこともありました。彼の家へ遊びに行くと、ちょうど買物にやらされて返って来たときで、母親から買ってきた便所の落し紙が違うと怒られていました。
安い灰色の紙を言いつけられたのに、高価な漂白された白い紙を買ってきたからです。

彼の言い訳。
「だって、店に○○さんがいたんだもん。恥ずかしくって……」
○○さんとは、彼がお気に入りの同級生の女の子。

彼もわたしも北原謙二のようにプロ野球の選手を夢見ていた頃の話です。

つまらない話をしてしまいました。

お口直しに、「北風」にちなんで、めずらしいマイナーチューンのカントリーソングをいくつか。

「コーライジャ」Kaw-Liga
木彫りのインディアン人形の悲恋をうたったハンクの一曲。北原謙二の「北風」のB面。

「ジョニーが凱旋するとき」When Johnny Comes Marching Home
カントリーと呼ぶにはいささか幅がありすぎますが、有名な南北戦争は南軍の歌。これに似ているのが「空飛ぶ幽霊騎士」Ghostriders in the sky 。こちらはカントリーで「北風」よりはポピュラー。

「ナイト・ウォーク」Night Walk
カントリー・ジェントルメンのインスト。オリジナルがないので日本のバンド版。久々に聴きました。

「続・荒野の用心棒」Django Theme Song
これはカントリーではないですね。フランコ・ネロが主演したマカロニウエスタンの主題歌。まぁ西部劇だからカンベンしてください。

風邪ひきました。「キターッ、カゼ」ってか? つまらん。


気持ちがたるんでいたからです。
たるむにはたるむだけの理由がありまして。それもいつかブログに書いてみたいとおもっています。
とにかく津波、原子炉融解などの社会的にも、個人的にも大変な一年が終わろうとしています。

みなさん、風邪にはくれぐれもご注意を。


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冬の歌①北国 [a landscape]

詩集北国 井上.jpg

♪雲が流れる 北国の街へ
 あなたが生まれた 心の国へ
 ………………
 みつめあう二人 抱きあう二人は
 離れられずに 強く 強く 強く 強く
 かわす口づけ
 ………………
 雲が流れる 湖のほとり
 あなたは 花に
 埋もれて 眠る
 北国のはて
(「北国の二人」詞:橋本淳、曲:井上忠夫、歌:ジャッキー吉川とブルーコメッツ、昭和42年)

寒波が来ております。
どうやら、今年もいつもと変わらない冬がやってきたようです。

で、かなり遅ればせながら「冬の歌」をば。

冬の歌。
テーマはイージーにも「北国」。とくに意味はなし。

「北国が冬かよ」というツッコミも聞こえてきそうです。
そうですたしかに。
「北国の春」(千昌夫)なんて歌もありますし、「赤いハンカチ」(石原裕次郎)の2番では、
♪北国の 春も逝く日
なんて出てきまして、これは完全に惜春鳥さえずる初夏。

奥村チヨ「北国の青い空」だって、ふんいきは隣の人が気になる秋。

それでも鈴木道明の「北国は寒いだろう」(マヒナスターズ)とか、粉雪舞いちる「小樽のひとよ」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)では、
♪北国の街は 冷たく遠い
と出てきたり。

というわけで「北国の冬」ということでここはひとつ。


といっても、「北国」ってどこのことなんだか、わかっているようでわからないようで。漠然と、「北」がつくから北陸とか東北とか北海道あたりだろう、なんて。
じゃ、北九州や京都の北山も「北国」かよ、ねんてまたツッコまれたり。
まぁご当地ソングとは真逆な不特定曖昧なロケーションというのも流行歌の常套手段ではあるのですが。
とにかくお国は寒い北の国、ということで。

そもそも「北国」という言葉、そんなにつかう言葉ではないのでは。
「いやあ、留守してわるかったな、ちょっと1週間ばかり北国へ旅行してたもんで」
なんてまずいわないし、テレビのニュースでも、
「明日の北国は全般的に厚い雲におおわれ、午後からは……」
なんていうわけない。

ではどこでよくつかわれているのか。

おそらく圧倒的に多いのが流行歌。それも歌謡曲、演歌が主流で、J-POPではほとんど聴かない(というのは推測で、正確にいうと、さほど聴いてないからわからない。昭和を意識した楽曲ならあるかも)。
あとは小説や映画といった、つまりエンタメ系の世界。

ということは「北国」(きたぐに)は、比較的新しい言葉なのかもしれない。
江戸時代には「北国街道」があったが、これは「きたぐに」ではなく「ほっこく」。

やはり江戸後期の黄表紙で曲亭馬琴の「北国巡礼唄方便」も「ほっこく」。
最近読んだ大正期に書かれた小説の中に、
〈北国生れの彼が……〉
というところがありまして、軽く「きたぐにうまれ」なんて読み飛ばしましたが、ルビはなく、もしかしたら「ほっこくうまれ」なのかもしれない。

いまでも、辞書を引くと「きたぐに」では出てこないけれど、「ほっこく」なら「北国」で出てくる(いささか古い辞書ですが)。つまり「きたぐに」はスラング?

ではいつの頃からそのスラング「きたぐに」がつかわれるようになったのか。

これは明治大正の小説をすべてチェックするわけにはいかないので、流行歌に限らせていただきましょう(強引)。

流行歌の嚆矢といえば松井須摩子「カチューシャの唄」(大正3年)ですが、その3年後に流行ったのがやはり須摩子の「さすらひの唄」
♪行こか戻ろか 北極光(オーロ)の下を
という有名なうたい出しでご存じの方がいるかも。

それに続く歌詞が 「露西亜(ロシア)は北国はてしらず」で、これは「きたぐに」とうたっています。
作詞は北原白秋で、「ほっこく」ではなく「きたぐに」という言葉で、モダンさを織り込んだのかもしれません。

しかし、残念ながら白秋の「新語」は定着しなかったようで。

昭和初年からはじまる、ラジオとレコードによる「流行歌の時代」でもさほど出てきません。

唯一みつけられたのが昭和10年は大本教が政府の弾圧を受けた12月に発売された「さすらいの恋唄」(東海林太郎)
♪雪の北国 果てもなく 
といううたい出しで、さいごも
♪さすらい悲し いづこ行く どうせ北国 空の涯て

ただ、この歌も実際に聴いたことがないので、「北国」がはたして「きたぐに」だったのか「ほっこく」だったのかはわかりません(知っている方教えてください)。たぶん、「きたぐに」だろうと思うけど、「ほっこく」でもおかしくはない。

それ以外で「北国」という歌詞はみつけられなかった。ちなみに「北日本」なんていまじゃ聴けないスゴイ歌詞もあったけど。

ということは歌の世界でも「北国」つまり「きたぐに」が頻繁につかわれるようになったのは戦後ということになる。
わたしが知っている曲(ほとんどヒット曲)で「きたぐに」が出てくるのは昭和36年にこまどり姉妹がうたった「ソーラン渡り鳥」。作詞は石本美由起。ちなみに井上靖の詩集「北国」が出版されたのがその少し前の昭和33年。これは「きたぐに」と読むようだ。

歌謡曲でつぎに古いのが前述の「赤いハンカチ」で37年。
そして東京五輪の39年には三島敏夫「面影」にも出てくる。

しかし30年代はそんなもので、“北国ブーム”が起きるのは40年代から。

タイトルでみると
昭和40 北国の街(舟木一夫)
昭和42  北国の二人(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
昭和42  北国のチャペル(ランチャーズ)
昭和42 北国の青い空(奥村チヨ)
昭和43  北国は恋がいっぱい(畠山みどり)
昭和44  北国の町(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
昭和47  北国行きで(朱里エイコ)
昭和47  だからわたしは北国へ(チェリッシュ)

で、読み方はすべて「きたぐに」。

歌詞の中に出てくるのは
昭和40 函館の女(北島三郎)
昭和41 青い瞳(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
昭和41 尾道の女(北島三郎)
昭和42 小樽のひとよ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
昭和43 スワンの涙(オックス)
昭和46 望郷(森進一)

などがありますし、さらに50年代になるとかの「北国の春」をはじめ、うたい出しに出てくる「熱き心」(小林旭)なんてビッグヒットもありました。

しかし、流行歌の主流が歌謡曲・演歌からポップスへうつるとともに、「北国」も瀕死の状態に。ほとんど聴いていませんが最近の演歌ではなんとか生きのびているのではないでしょうか。

そしていまだに、失意の男女が「北国」をめざしているのではないでしょうか。
そんな彼らはなにに乗ってわざわざ「凍える国」へ向かうのか。
飛行機だろうって? いやいや歌謡曲、演歌では飛行機はめったに乗らない。だいたいは列車ってことに。

その列車ですが、JRに大阪―新潟を結ぶ急行「きたぐに」というのがある。大阪を夜の11時過ぎに出て新潟に着くのが翌朝8時過ぎという、寝台付きの列車だそうで、そののんびり感がなつかしい。
その急行「きたぐに」が来年3月で廃止になるとか。
なるほどー、こうやってひとつの言葉が死んでいくのでしょうね。


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三つの歌●立川談志 [day by day]

談志と横井弘.jpg

だんしがしんだ。

有名な回文だけど、ほんとうになっちゃいました。

やっぱり淋しい。
小円遊、円楽、歌丸、小痴楽なんかを仕切っていた「笑点」の初期から見ていましたから。

でも、本業の落語は、個人的には圓生、小さん、志ん朝で止まってしまっているので、立川流については語るべき言葉もありません。

それよりもわたしが家元(談志)にシンパシーを感じるのは、彼が無類の歌好きだったこと。

彼は歌に関して三冊の著書がある(実際はもっとあるかもしれません)。

まず一冊目が「童謡咄」。
これはもちろん、彼が幼少のころから口ずさんでいたわらべ唄や唱歌(それらを童謡といっている)。

二冊目が「談志絶唱 昭和の歌謡曲」。
これもタイトルからわかるとおり、青年時代に聴きまくったという歌謡曲。もちろんいまでいえば懐メロ。

そして三冊目が「談志受け咄」。
これはたしか3人の深い交流のあった奇人をとりあげた内容で、その1人が今は亡き日本のカントリーの大御所・ジミー時田に関するものだった。

以上のジャンルからそれぞれ1曲とりあげ、立川談志への鎮魂歌としようと思います。

3冊ともどこかに積んであるのですが、探す時間もないので記憶と思い入れに頼ってピックアップしてみたいとおもいます。

まず、童謡。
これはかなり記憶が飛んでいます。
たしか談志の好きな歌に「冬景色」があったのはかすかに覚えています。
それよりも、彼が子供の頃、「とんぼ釣り」をしていた話が、わたしの体験と重なって印象に残っています。

とんぼ捕りではなく、とんぼ釣りなのです。
もちろん細竿にモチ(鳥もち)をつけた「とんぼ捕り」もしましたが、「とんぼ釣り」が懐かしい。

年配の方はご存じでしょうが、「とんぼ釣り」とははじめにメスを捕まえ、それを糸で縛って竿の先につけ、空中で振り回しながら交尾のために寄ってくるオスを捕まえるという方法なのです。

そのとき、独特の節で“誘いうた”をうたうのです。
♪とんぼ来い チャンがいるぞ
というような。

のちのちわかった節は、「元禄花見踊」のはじめのメロディーでした。
「チャン」とはギンヤンマのメスのこと。これものちにわかったことでした。
子どもの頃は意味など知らずに口ずさんでいたわけで、それはとんぼを捕まえる呪文のようなもので、ギンヤンマでなくともうたっておりました。

はたして日本全国どこでもうたわれていたのかどうかはしりませんが、わたしが育ったところは、談志師匠の地元と比較的ちかい場所ではありました。

何十年も忘れていた「歌」を思い出させてくれたのが、まさに「童謡咄」でした。

そんなわけで1曲目は「赤とんぼ」を。

つぎに歌謡曲。これはやたらと詳しい。
それも家元が青春時代を過ごした昭和は20年代、30年代の歌。

すきな歌手なら、ヒットしなかった曲やB面だって知っている。知っているだけじゃなくて歌っちゃう。どんだけ流行歌に漬かってたんだろうと思うほど。
とりわけ、作詞家には詳しい。それだけ歌詞を読みこんだか、うたいまくっていたのでしょう、きっと。

ディック・ミネ、田端義夫など好きな歌手はあまたいたでしょうが、とりわけの贔屓がプライベートでも仲良しだったという三橋美智也
だから、談志→歌謡曲 となると 三橋美智也→「哀愁列車」
と連想してしまう。

したがって2曲目の歌謡曲は「哀愁列車」で。

そして最後はジミー時田。
どういういきさつかはしりませんが、とにかく大親友。
ジミーが亡くなったときには、たしか葬儀委員長を務めたはず。

ほんとうにカントリーミュージックが好きだったのか、ジミー時田が好きでカントリーを聴いていたのかはわかりませんが、立川談志がロイ・エイカフについて語っていたということも聞いたことはないので、ここはやはりジミー時田の歌を聴きながら家元を偲びたいと思います。

多くあるジミーの曲から談志師匠にある意味ふさわしい「ワイルド・サイド・オブ・ライフ」を。

初期の笑点のメンバーで残っているのは歌丸だけ?
さみしいことです。


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●ギリシャ [day by day]

誘惑.jpg

まだ由紀さおりの続き。

前回もいいましたが、“欧米でブレイク”だって。
アメリカはわかるけど、ヨーロッパも?

ニュースでは具体的な国として、今話題のギリシャの名前が。
なんでまたギリシャなのか。

思えば由紀さおりさん、「夜明けのスキャット」をヒットさせた1969年にギリシャを訪れています。
なんでもギリシャの音楽祭に出場するためで、そのとき「天使のスキャット」をうたい、最優秀歌唱賞を獲ったそうです。

当時、話題になった記憶がない。
なんでギリシャの音楽祭に出たのかも不明。
もしかして「夜明けのスキャット」ヒットのご褒美の海外旅行だったりして。たまたまそのスケジュールの中にギリシャ音楽祭があったから、「じゃ、ついでに出ちゃうか。入賞すればハクもつくし」なんて。

そんなことはないですよね。
しかし、これがイタリアのサンレモ音楽祭だったら、もうすこし話題になったのでしょうが。

しかし由紀さん、そんな外国の映画祭入賞なんて後押しがなくてももはや日本のトップシンガーになりつつあったのですから気にしませんよ、きっと。

“マクラ”はこれくらいにして。
とにかく40年以上も昔の話ですけど、そのとき由紀さおりの歌に魅せられたギリシャ人が少なからずいて、今回のヒットもそうしたひとたちの後押しがあったのではないでしょうか。あくまで推測ですが。

しかしギリシャ音楽。

フランスならシャンソン、イタリアならカンツォーネ、ポルトガルならファドという伝統的なポップスがありますが、ギリシャでは?
もちろん伝統音楽はあるのでしょうが、日本ではほとんど聞こえてきません。

それでもギリシャを代表するシンガーとしては、ナナ・ムスクーリNana Mouskouriがいるし、ジュルジュ・ムスタキGeorges Moustakiはギリシャ系のフランス人。

また、映画でも日本で知られた著名人が。

俳優ならば、のちに政界へ進出したメリナ・メルクーリ。(実は彼女しかしらない)
代表作「日曜はダメよ」や「死んでもいい」、「太陽が目にしみる」などなど。

監督では、「旅芸人の記録」や「永遠の一日」のテオ・アンゲロプロスでしょうか。

しかしわたしにとってギリシアの監督といえばコスタ・ガブラス
ほとんどフランスで活動していましたが、出身はギリシャ。

そして何よりも彼の代表作「Z」はギリシャの内紛を描いた作品。
ギリシャが軍事クーデターによって独裁政権を誕生させる“前夜”を描いた映画で、暗殺される政治家にイブ・モンタン。その真相解明に奔走するジャーナリストにジャック・ペラン、リベラルな判事にジャン・ルイ・トランティニヤンが扮していました。

公開は1969年といいますから、まさに「夜明けのスキャット」がヒットした年。

コスタ・ガブラスはその後「告白」、「戒厳令」と政治的三部作をつくるのですが、第一作ほどのインパクトはなかった。
その後、アメリカでもメガホンをとり、トム・ベレンジャーが白人至上主義のテロリストを演じた「背信の日々」などをつくりましたが、それもわたしの中では失速(「Z」のインパクトが強すぎたから)。

されど「Z」、アカデミーの外国映画賞を受賞するほど素晴らしい映画でした。
さらに、その音楽がまたよかった。メインテーマ以外でも、ラストシーン他で流れてい「愛のテーマ」[Yelasto Pedi](何と訳すのでしょうか)とか、ほかにも印象的なBGMがいくつもありました。

その音楽を担当したのがミキス・テオドラキスMikis Theodorakis。
元々はクラシック畑の人でしたが、ポップスや映画音楽でもギリシアでは知られた存在。

映画音楽では、前述のメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスが共演した「死んでもいい」アンソニー・クインが気のいい男を好演した「その男ゾルバ」、さらにはアル・パチーノの初期の作品で警察の腐敗を暴こうとした警察官の物語「セルピコ」などが知られています。

なお、愛のテーマ[Yelasto Pedi]は、インストだけでなく、ギリシャの国民的歌手といわれるマリア・ファラントゥーリMaria Farantouri によってうたわれています。(YOU-TUBEは1974年といいますから、独裁政権が倒れ、民主化がなった直後のものだと思われます)

さらにこの歌、007の「ゴールド・フィンガー」をうたったシャーリー・バッシーShirey Basseyが「ライフ・ゴーズ・オン」Life goes onという題名でカヴァーしています。

当時持っていたシャーリー・バッシーのLPに入っていたフェヴァリットソングだったのですが、紛失。
CD化されているかと思って探してみましたが、みつからず。当時ダビングしたテープだけが残っていますがデッキが故障で聴けない状態。
そういう意味でもYOU-TUBEはありがたい。

さいごにもうひとつギリシャの映画音楽を。

「Z」の2年前につくられた「誘惑」という映画があります。
B級あるいはC級のラヴコメディという解説を読んだことがあるのですが……、ということはそうです、観ていないのですこの映画。

それでもなぜかサントラ盤を買ってしまいました。(おそらくラジオで聴いたのでしょう)
そもそも、B級映画のテーマがシングルレコードとして発売されるとは。で、わたしのように映画は観ないけど、音楽は聴きたいという人間が買ってしまうとは。
そうです、そんな時代があったのです。
ちなみに、前述したメリナ・メルクーリの「太陽が目にしみる」も“映画未見のサントラ買い”ってやつ。

で、この「誘惑」、ソウラ・ビルビリSoula Birbili という歌手がうたっているのですが、「Z」でもつかわれていた「ブズーキ」という弦楽器が印象的な音楽です。

ところでこのテーマ曲の作曲はてっきりテオドラキスだと思っていました。実際そんなようなことを本で読んだ記憶もあったので。

ところがインターネットで調べてみると、「誘惑」の音楽を担当したのは別人になっています。しかし、YOU-TUBEではテオドラキスのクレジットが入っているものもあります。
まぁ、調べつくしたわけでもないので、ここでは不明としておきます。

どなたか詳しい方がいらっしゃったら[Yelasto Pedi]の意味ともども教えていただければ幸いです。


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その名は●さおり [the name]

夜明けのスキャット.jpg

♪ やっぱり あの人は
  わたしを送りに来なかった
  賑わう夕暮れ 人混みのなか
  わたしは ただバスを待つ
  悲しみだけを 道案内に
  想い出色の 洋服を着て
  辛くないと言えば嘘だわ
  あの人のことが 気がかりだけど
  わたしは いまバスに乗る
(「挽歌」詞・千家和也、曲・浜圭介、歌・由紀さおり、昭和49年)

由紀さおりが欧米でブレイクしているらしい。
なんでもアメリカの楽団、ピンク・マルティーニが彼女の「夜明けのスキャット」を取り上げ、その後本人とのコラボに発展、さらにYOU-TUBEにのったり、iTunesで配信されたりと大騒動になったのだとか。

なんでかなと思うのは無理ないことで、いちばん驚いているのは本人だとか。
まぁ、インターネット時代ならではの現象といえるのでしょうが、ファンとしてはウレシイかぎり。

日本の流行歌の世界で、「さおり」といえば2人。
その由紀さおりと南沙織でしょう。

シンシアについてはつい最近(でもないか)やりましたので今回は“時の人”を。

では「夜明けのスキャット」までのプロフを簡単に。
本名は安田章子で、生れは群馬県桐生市。といってもこれは戦争での疎開先。
すぐに疎開前の神奈川に戻る。したがって育ちは横浜は鶴見。そうそう、生れは戦後です。これは言っておかないと。

姉の安田祥子(さちこ)が童謡歌手をしていた影響で、彼女も「ひばり児童合唱団」に入り、「花かげ」や「絵日傘」など何曲かの童謡をレコーディングしています。

ちなみに、元童謡歌手というか、子供の頃合唱団に入っていて、ティーンあるいは成人してから流行歌手になったという人は意外といます。

よく知られているのは園まり倍賞千恵子、それに女優兼の吉永小百合本間千代子(引退)。ほかにも、最近亡くなった日吉ミミ、あるいは渡辺トモコ、高石かつ枝がいますし、戦前にまでさかのぼれば織井茂子菅原都々子も童謡歌手でした。

軌道修正。由紀さおりのこと。
そして十八のときに所属していたキングレコードから流行歌手としてデビュー。このときは安田章子の本名で。
デビュー曲は当時流行っていたスカのリズムを取り入れた「ヒッチハイク娘」でしがた、これがさっぱり。

とにかく倍賞千恵子に次ぐヤングスターを、と意気込んでいたレコード会社の目論見は大外れ。

それでもめげないのが章子ちゃん。
当時、彼女の目標はペギー葉山のようなジャズシンガーあるいはポップシンガーだったとかで、そのため勉強を兼ねてクラブの仕事もずいぶんこなしていたとか。

やっぱりあふれんばかりの才能は誰かが発掘しちゃうんですね。

彼女の透明感のあるプレーンな声に注目するディレクターがいて、CMシンガーとして活路をみいだしていきます。歌ったCM曲は数百曲になるとか。

そのうちのかなりの曲を作っていたのがいずみたく
ピンキーこと今陽子佐良直美の才能を見抜いた作曲家が、安田章子の才能を見落とすはずがない。

とりわけいずみたくは、CMでしばしば使っていた彼女のスキャットの美しさに注目。
そのスキャットを使って再デビューを企画。十八の挫折から3年目のこと。

すてにキングレコードをやめていたので、東芝EMIで新たなスタート。そのときステージネームを由紀さおりに。
なんでもはじめは「結城紗織」だったとか。命名者は当時彼女のマネージャーだった母親で、呉服関係の仕事をしていたことから名付けたとか。
しかし、さすがに字面が重たすぎるので「由紀さおり」に変えたそう。

「夜明けのスキャット」はラジオの深夜番組のテーマ曲から広がり、ブレイクしたといわれていますが、これもいずみたくをはじめとする制作サイドの作戦だったようです。

とにかく「夜明けのスキャット」は200万枚を超えるビッグヒットとなり、新生・由紀さおりはスターシンガーの第一歩を踏み出したのです。

その後の活躍についてはウィキペディアなどをご覧になってください。

では本題であります、由紀さおりの“独偏的”ベスト3プラス1を。

「手紙」
「夜明けのスキャット」に次ぐオリコン1位の曲。曲は「人形の家」(弘田三枝子)や「積木の部屋」(布施明)、あるいは「円舞曲(ワルツ)」(ちあきなおみ)の川口真。詞はなかにし礼

「挽歌」
懐かしいタイトルの“別れうた”。でも歌謡曲の常で原田康子のベストセラー小説とは無関係。
メロディーメイカー浜圭介の哀調はさすが、奥行きのある詞は千家和也

「十二の誕生日に」
どうしてもいずみたく作品をひとつ。そして姉さんとのデュオを1曲。
いずみたくらしい曲で、ピンキーもうたっています。もしかしたら吹き込みはピンキーのほうが早かったのかも。

プラスワンはやっぱりカヴァーを。
昭和の名曲です。(消されそうなのでお早めにどうぞ)

*今、中日―ソフトバンクの日本シリーズ第4戦をテレビ観戦しておりました。
そして6回裏、1点ビハインドのドラゴンズの攻撃。ノーアウト満塁でリリーフした森福のピッチングにシビレました。三振、浅いレフトフライ、ショートゴロと見事無得点で抑えました。
もし、ソフトバンクが逃げ切ったら、この回がハイライトでしょう、多分。


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