三つの歌●ラテン・ポップス [day by day]

オリンピックが近づいております。
今年からの新種目、女子ボクシングは注目してます。
何度かテレビで試合を見ましたが、馬鹿にしていたわけじゃないけど、そのレベルの高さにびっくり。アマもプロも。
ただ「しずちゃんフィーバー」は疑問。
前回のアジア大会で韓国の高校生(彼女は優勝はおろかメダルさえ獲っていない)に一蹴されてもまだマスコミの熱さめやまずだもの。
五輪出場の条件が世界選手権ベスト8だそうだけど、なんでも世界各国から40人とか50人とかがエントリーしているらしく、まず無理だろうなぁ。勝負の世界だから何が起こるかわからない、とはいえ。まだフライ級の箕輪選手(彼女は強い)のほうが可能性がある。
あたりまえだけど試合というのは相手があるもので、何人ぐらいが出場するのかとか、どういう強豪がいるのか、という重要な情報はいっさい無視して、ひたすらしずちゃん情報だけを流し続けるテレビ、新聞。少なくともまともなスポーツの情報じゃないね。まさに芸能情報のノリだもの。
ふだん地味なアマチュアボクシング連盟は、これぞ宣伝のチャンスとばかり、そうした「芸能報道」(大手新聞社まで)にのっかっちゃった。賢いね。
ようやく終焉した「猫ひろしフィーバー」もそうだけど、マスコミはなんで実力の伴わない選手を話題づくりのためだけに「いざ、オリンピックへ」などと大げさに煽り騒ぐのかなぁ。これらの騒動を苦々しく思っているアスリートは少なくないと思うんだけど。
と、まぁ軽~くジャブでウォームアップしておいて、いざ本番の音楽へ。
前々回、三つの歌として「ラテン・ジャズ」をやりましたが、これがすべて演奏のみ、ヴォーカルなし。
「どこが歌なんや」とセルフツッコミをしつつ、失地回復をと再びラテンを。
まぁひとくちにラテンといいましても、サンバやサルサなどの激しいリズムのものから、情熱的なタンゴやルンバ、郷愁的なボサノヴァやボレーロ、あるいはフォークロアなど幅広いのですが、あくまでアレンジと雰囲気を重視しつつ、今回はポップスで三つ選んでみました。
①コパカバーナCopacabana(バリー・マニロウ)
1978年のヒット曲。日本でもそこそこ流れていました。
コパカバーナはブラジルはリオにあるリゾートビーチらしい(当然いったことがない)が、この歌にうたわれている「コパカバーナ」はニューヨークのナイトクラブのこと。
そういえば日本にも昔、赤坂にナイトクラブ、コパカバーナがあった。
日本人で、のちにインドネシアの大統領夫人になったデヴィ夫人が勤めていたことでも知られている。
ストーリーは恋に落ちた踊子のローラとバーテンダーのトニーの悲しき恋の物語。
銃声がしたり、クラブが血の海になったりと、ノリのいい歌にしてはけっこう凄惨。
②スウェイSway(マイケル・ブーブレ)
キューバ生れのチャ・チャ・チャをベースにメキシコで生まれた「キエン・セラ」が本歌。
1950年代に、ポップスにアレンジされて、ディーン・マーチンやローズマリー・クルーニーらによって知られるようになった。
日本では昭和30年代のラテンブームで、トリオ・ロス・パンチョスなどがうたっていたおなじみの曲。したがって「スウェイ」というよりは「キエン・セラ」のほうが通りがいい。
日本盤もアイ・ジョージ、坂本スミ子はもちろん、水原弘やザ・ピーナッツ、新しいところでは(でもないか)小野リサで聴ける。小林旭の「キエンセラ・ツイスト」なんてのもある。
近年では映画、アメリカ版「シャル・ウィ・ダンス」でプッシーキャッツ・ドールズPussycat dolls がうたっていたようだし(観てません)、カナダのマイケル・ブーブレもファーストアルバムに入れていました。
③パナマ Panama(スティーヴン・スティルス)
これは前のふたつにくらべるとかなりマイナーな歌。
スティーブン・スティルスはロックファンにはいうまでもないだろうが、バッファロー・スプリングフィールドから、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュと組んだCS&N、さらにはニール・ヤングを加えたCSN&Yで活躍したロッカー。
この歌「パナマ」は、アメリカの少年が異境の地パナマで初体験をするというストーリー。いつもながらフランク・ザッパというか、大雑把な説明。
スティルス自身、父親の仕事の関係で子どもの頃パナマに住んでいたというから、実話なのかもしれない。
パナマはご存じのとおり、北米と南米をつなぐ、パナマ運河のある国で、音楽事情はなじみがありませんが、ペレス・プラードやトリオ・ロス・パンチョスなどで日本でも知られているボレーロ、「ある恋の物語」Historia de un amorはパナマ産。
「パナマ」はギタリストでもあるスティルスの音楽性の幅広さを感じさせるノスタルジックなフェヴァリットソング。
やっぱりラテンはいいなぁ。
日本人のラテン好きは戦前のタンゴブーム(ドイツ経由が多かったけど)まで遡る。
となればやっぱり、日本のラテン系、つまりラテンJポップやラテン歌謡曲なんかも聴いてみたい気がしてきました。
三つの歌●春風はブルーグラスにのって [day by day]

まだまだ春は続いております。
ここんところ上着を脱ぎたくなるような暑さ。
あの、うだるようなジトジト盛夏を予感させるような季節です。
思い返せば、去年のいまごろは何をしても虚しいような気がして、心穏やかならぬ日々が続いておりました。
1年前よりは安楽な時間を過ごせているとはいえ、やはり不安は解消されることはありません。
放射能はいまだ出続けているでしょうし、のど元過ぎればなんとやらで、一時ひろがった脱原発の風潮もいささか退潮ぎみで、再稼働やむなしという世論は静かに確実にふえつづけています。いいのかな。
わたしには、広島、長崎、第五福竜丸、そして福島と、チェルノブイリを除けば例がないほど放射能にいためつけられてきた日本が、持ち前の順応性によってまたも放射能のリスクを受け入れようとしている姿は、まるで“集団自殺”のように見えるのですが。
そうそう、こんなことを書くつもりではありませんでした。
ついつい愚痴が……。
どんな厭なことがあっても音楽はそれをひととき忘れさせてくれます。
現実逃避だろうが、アヘンだろうがかまわない。
やがて時がくればいやでも現実に向き合わなくてはならないのですから、暫しリッスン・トゥ・ザ・ミュージックで。
もういちど言います。まだ春が続いております。
春風にのって聴こえてくるのはブルーグラス。
なんでブルーグラスが春なのか。
まぁ、能書きをいえば、あの軽快な音楽はこれから盛りに向かうシーズン、春にふさわしい。そもそも「ブルーグラス」、青草という言葉が春ではないですか。
それに以前「春風はブルーグラスにのって」という本を読んだこともありまして。やっぱりブルーグラスは夏でも秋でも冬でもなく、春なのです。
というわけで、ブルーグラスのフェヴァリットソングの2012年限定版で3曲ばかりお耳汚しをしてみたいと思います。
まずオープニングはいかにもという曲。
ブルーグラスのなかに「ブレイクダウン」というのがあります。
早弾きってことです。バンジョーだろうがフィドルだろうが、マンドリンだろうがとにかく演奏がめまぐるしいのです。
その代表的な曲が「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」Foggy Mountain Breakdown。
これはブルーグラスに興味がなくても知っている人が多い。
1960年代のアメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」につかわれていました。
ただこれは以前とりあげましたので今日はパス。
もうひとつブルーグラスのコンサートで頻繁に演奏されるブレイクダウンナンバーがあります。それが「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」。Orange Blossom Special
♪みかんの花が咲いていた
というのはノスタルジックな日本の童謡ですが、こちらの「オレンジの花」号は列車のこと。
「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」はバンジョーが中心ですが、こちらはフィドルが主役。
ということはブレイクダウンではなくて、ボウダウンになるのかな。
ほとんどインストで聴かせる曲ですが、歌詞もあり、その「オレンジの花」号には“オイラのいい人”が乗っている。だからもっとスピードをあげてやって来い、というわけ。
トラディショナルソングで多くのプレイヤーが演ってますが、やはりビル・モンローと彼のブルーグラス・ボーイズBill Monroe and His Bluegrass Boysの印象が強い。
きょうはヴェッサー・クレメンツVassar Clements をはじめトップクラスのフィドラーが終結したYOU-TUBEで。
続いて2曲目はこれも古い歌で、
「ディム・ライツ・シック・スモーク」Dim Lights, Thick Smoke and Loud Loud Music
フラット&スクラッグスFlatt & Scruggs が知られていますが、はじめて聴いたのは、バック・ライアンとスミッティ・アーヴィンBuck Ryan & Smitty Irvin盤。
バックはフィドラーで、スミッティはバンジョー奏者。
歌の内容は、紫煙たちこめ、カントリーミュージックが響き渡るホンキートンクに入り浸る男の話。
仕事が終わると、きまって酒場に足が向かってしまう。そして毎日ドンチャン騒ぎ、これじゃ嫁さんも来ないし、家庭なんて持てるはずはない。でもやめられねぇんだな、こんな生活が。この気持ち、アンタに分かるかな? わかんねぇだろうなぁ。
なんて話。
フラット&スクラッグス盤はペーソスあふれたバラード。しかしバック&スミッティのほうはもう少しテンポが軽快で、YOU-TUBEにはなかったけれど、こんな感じ。
そういえば、カントリーロックのグラム・パーソンズGram Parsonsでも聴いたことがありました。
とにかくブルーグラスのなかでも哀愁たっぷりの好きな曲。
最後は、これまたブルーグラスでは有名な曲。
「転がり込むんだあの娘の腕に」Rollin' My Sweet Babys Arms
ブルーグラスのナンバーというよりカントリーの定番といったほうがふさわしい曲で、それこそレオン・ラッセルやバック・オウエンスなども演っている。
「恋人の腕に抱かれて」なんて邦題もあるようで。
はじめて聴いたのはニュー・ロスト・シティ・ランブラーズThe New Lost City Ramblers 。
スタンレー・ブラザーズThe Stanley Brothers のラルフRalph Stanley の作(トラディショナルという説も)。
こちらも汽車が出てくる歌で、フィドルが見せ場をつくります。
恋人がやってきたら、きっとうれしくって抱きついちゃうよ、と汽車を待ちわびている男の歌。
しかし、彼女の両親からひどく嫌われているというありがちな設定で、結局自分はヘマを打って牢屋入り、その格子越しに他の男と歩いている彼女を見るという最悪の結末。
もはや何度もでてきましたが、最後にもう一度アール・スクラッグスEarl Scruggsを偲んで、ドク・ワトソンDoc Watsonとリッキー・スキャッグスRicky Skaggsを加えたスーパートリオで。
その名は●ニーナ [the name]

♪小雨降れば ひとり待つニーナ
なにも聞かず 読みかけの本を
捨てて抱き合った おまえの肌
ニーナ 素顔がきれいだ
夜の風をこわがった ニーナ
ひとつ灯残し あの部屋で
おまえの気持ちは 甘くくずれ
ニーナ 泣いたよ
………………
(「追憶」詞:安井かずみ、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和49年)
上に歌詞の一部をのせた「追憶」は、以前やりました「その名は●安井かずみ」でもふれましたが、安井、加瀬、沢田の作詞家、作曲家、歌手がそれぞれもっとも充実していた頃の歌。(音だけのYOU-TUBEを使いたかったのですが、CMが長すぎるのでバツ。追憶にニノ・ロータの「若者のすべて」をからませるのはおもしろい。Cobaのアイデアでしょうか。でもすぐに消されるなこの画像)
気をとりなおして。しかし、安井かずみさんはどこから「ニーナ」をもってきたのでしょうか。
ニーナNINAという名前は元はロシアでつかわれていたアンANNEの愛称で、その後、米英をはじめ、フランス、ドイツでもつかわれるようになったとか。
そこからヒントを得たかどうかは不明ですが、「ニーナ」といって思いつくのは唯一ニーナ・シモンNINA SIMONE。ジャズシンガーでありピアニストでもあった。
ニーナ・シモンは1933年の2月21日、アメリカはノースカロライナで生まれた。
そして2003年の4月21日、つまり“今日”、フランスで亡くなっている。
ニーナ・シモンというのはステージネームで、本名にはニーナもシモンも入っていない。
なんでもシモンはフランスの大女優シモーヌ・シニョレからとったそうだ。
かんじんのニーナのほう子どもの頃の愛称(小さいという意味があるらしい)。
詳しく知りたい方はウィキペディアでどうぞ。日本で自伝も発売されたが、もはや絶版のようで古書はかなり高額。
そんなわけで今日はニーナ・シモンの歌のいくつかで偲びたいと思います。
①「行かないで」Ne me quitte pas
ジャック・ブレル Jacques Brelが1959年にヒットさせたシャンソン。
ニーナは亡くなる数年前からフランスで活動をしていた。
フランスだって人種差別はあるけれど、黒人にとってアメリカよりははるからに暮らしやすい国なのかもしれない。ジョセフィン・ベイカーもそうだし、たしかアーサ・キットも一時フランスで歌っていましたっけ。
この歌は[If You Go Away]のタイトルでシャーリー・バッシー、グレン・キャンベル、ブレンダ・リー、アンディ・ウィリアムスなどなどがうたっていた。
②「悲しき願い」Don't Let Me Be Misunderstood
日本の洋楽ファンがこの曲を知ったのはおそらく1965年のアニマルズのヒットによって。わたしもそう。日本ではタカオ・カンベ(網走番外地の作詞者のひとり)の名訳で尾藤イサオがカヴァー。そして70年代後半にはサンタ・エスメラルダのダンスチューンでリヴァイバルされました。
しかし、オリジナルはニーナ。1964年のこと。
ニーナがうたうとたんなる失恋ソングには聞こえない。黒人であること、さらには人間であることの悲しみが滲み出てくる。
③「朝日のあたる家」The House of The Rising Sun
これまた日本ではアニマルズで有名になった曲。
元々はアメリカのトラディショナルソングで、当初はウディ・ガスリーはじめ多くのフォーキーたちにうたわれた。
日本では「朝日楼」のタイトルの浅川マキのカヴァーが有名。そのカヴァーである、ちあきなおみもいい。
YOU-TUBEのニーナはわたしのもっているCDとは違うヴァージョンで、こちらのほうがよりプリミティヴな叫びのような気がする。スゴイ。
④「ミシシッピー・ガッデム」Mississippi Goddam
キング牧師の影響で公民権運動、黒人解放運動にたずさわったニーナ。
多くのプロテストソングをうたったが、その代表的な歌がこれ。
テネシーでのキング牧師暗殺、そしてアラバマやミシシッピーでおこった黒人および公民権運動家たちの受難を糾弾し、最後に「くたばれ!ミシシッピー」と。
沈鬱なバラードではなく、ノリのよいピアノの弾き語りで、ときにはシャウトする、戦闘的なニーナがいい。
⑤「ジン・ハウス・ブルース」Gin House Blues
「ネェ、お兄さんジンを一杯おごってよ」
という酔っ払いの歌。説明が安易。
これもニーナのバレルハウス・ブギの弾き語り。
この曲も浅川マキがカヴァーしている。やはり日本のソウルフルシンガーとしては共振しますよね、ニーナに。
ニーナを聴き始めたときにハマった曲。
⑥「禁断の果実」Forbidden Fruits
ニーナ・シモンを聴き始めたのは、若い頃、友人からLPレコード(アルバムなんていわなかった)を借りてから。だいたいこのパターンが多い。そのLPが「禁断の果実」。
アルバムタイトルのこの歌が第一曲目(もはやレコードがないので多分)で、その声と歌唱に圧倒された。
禁断の果実とはイヴが食べてエデンの園を追われることになった「りんご」のこと。
つまりアダムとイヴの物語。
この歌を聴くと、アダム&イヴの発祥はアフリカではないか、と思ってしまう。
⑦「奇妙な果実」Strange Fruit
果実といえばもう一曲、有名な歌がありました。
ビリー・ホリデーBilly Holidayの「奇妙な果実」。
ジャズファンならごぞんじのとおり、「奇妙な果実」でうたわれている果実は木にたわわに実ったフルーツではなく、木の枝からロープで吊り下げられた人間(黒人)のこと。
その当時「奇妙な果実」はアメリカ南部では見慣れた風景だとうたわれている。
その歌を公民権運動に身を置いたニーナもうたっている。
この歌はおそらく白人にはまずカヴァーできない。そんな奇妙な歌でもある。
しかし、ニーナの歌を聴いていると、「白人も黒人もない、みんな人間なんだ。人間ってなんて素晴らしいんだ……」って聞こえてくる。だからうたっちゃおう、
♪ニーナ ニーナ にんげんってニーナ……
…………ぶちこわしですか。
三つの歌●春宵はラテン・ジャズにひたって [day by day]

ようやく暖かくなってきました。
とはいえ、朝晩いまだにストーブを点火しているのはわたしだけでしょうか。
しかし昼間の暖かさといったら、たいして良いことがなくても思わず頬がほころびるほど。
そんな心のどこかに余裕といいますか、無為な時間を受け入れる間隙ができたとき、音楽を聴きたくなります。
仕事を早めに切り上げ、夕食までにはいささか間のある薄暮。やっぱり音楽を聴こう。
では何を。
季節と関係があるのか否かはわかりませんが、時々あるジャンルの音楽を無性に聴きたくなることがあります。
それはたいがい、そのジャンルをしばらく聴いていなかったから。
で、今日ふと聴きたくなったのはラテン。
サンバ、ソン、ボレロ、タンゴ、フォルクローレ、ルンバフラメンコ……。
……そうだな、ラテンもいいけどジャズもいい。
やっぱりモダンジャズ、いやスイングでもデキシーでも。
そうだ、いっそのこと「ラテン・ジャズ」なら1粒で2度おいしいかも。
ラテン・ジャズはラテンの名曲をジャズのアレンジで演奏したり、ジャズの名曲をラテン風味で演奏したり、はたまたラテンの味付けでつくられたジャズソング(その反対も)だったりといろいろ。
いまでもいうのかどうか知りませんが、アフロ・キューバンなんていったり。
数あるラテン・ジャズではありますが、本日の気分で選んだ3曲を。もちろんいずれもフェヴァリットソングではあります。
まず1曲目は、「クバノ・チャント」Cubano chant
オスカー・ピーターソンOscar Peterson をはじめいろいろなピアニストが演ってますが、作者でもあるレイ・ブライアントRay Bryant盤を。
1972年のモントルーで、オスカー・ピーターソンの代役としてこの「クバノ・チャント」をソロで聴かせ、いわゆるメジャーデビューしたのがレイ・ブライアント。
「クバノ・チャント」はアルバム「コン・アルマ」Con Alma の中の1曲。
アルバム・タイトルにもなっている「コン・アルマ」が「クバノ・チャント」か迷いましたが、やはり自作ということで後者を選択しました。ちなみにコン・アルマはアフロ・キューバンを代表するひとりディジー・ガレスピーDizzy Gillespie の作。
2曲目は「ブルー・ボッサ」Blue Bossa。
これも1950年代のアフロ・キューバンを支えたトランペッター、ケニー・ドーハムKenny Dorham の作。
演奏としてはテナーサックスのジョー・ヘンダーソンJoe Hendersonで知られていますが、やっぱり春は? ピアノで聴きたい。
レイ・ブライアントも演っていてこれもなかなかですが、今回は数年前に亡くなったエディ・ヒギンスEddie Higginsで。
日本でも人気のエディですが、注目されるようになったのは90年代も後半。クセのないところが一般受けした、とも。
日本にもたびたび来ていて、日本人の奥さんがいたこともあるとか。
最期もボサノヴァで。
「リカード・ボサノヴァ」Ricado Bossa Nova。
これは日本でもかなり人気の一曲。このブログでも前に紹介しました。
日本ではまずイーディ・ゴーメEydie Gormeのヴォーカル(タイトルは「ギフト」The Gift )
で知られるように。
印象的なマイナー・チューンは、ブラジルのイタマラ・コーラックスIthamara Koorax、や日本の真梨邑ケイで聴いたことがあります。
演奏ではテナーのハンク・モブレーHank Mobleyがブルー・ノートの「ディッピン」Dippin' に収録しています。
個人的にはオルガンのワルター・ワンダレーWalter Wanderley 盤がポップでGOOD。なんでも渡辺貞夫との共演もあるとか。
そのほかバーニー・ケッセルBarney Kesselのギターもよく聴きました。
今回選んだYOU-TUBEもそのギターが聴ける一曲。
演っている「プリマベーラ・ラテン・ジャズ・バンド」Primavera Latin Jazz Band はよく知りませんが、2009年にアメリカ西海岸で結成されたとか。なかなか聴きやすくてごきげんです。
この曲は「TOCANDO JUNTOS」というアルバムの1曲で、ほかに「キャラヴァン」や「ベサメムーチョ」などが入っているようです。
ラテンを取り入れているのはジャズだけじゃありません。
日本のJポップでもそうですし、かつてのニューミュージックにもそうした楽曲がありました。さらにいえば音楽最先端ではもはや「昭和の遺物」視されている歌謡曲だってそう。
ラテン歌謡曲とはいいませんでしたが、ムード歌謡なんていってました。
このブログでも以前「ムード歌謡」をやりました。
そのキッカケとなりその頃全盛をほこっていたのがムーディ勝山氏。
あれから案の定(失礼……)、人気は凋落。
先日ブラウン管(じゃないっつーの)で久々に見ました。
おそらく新たなギャグで「夢よもう一度」という心境なのでしょう。
もともと顔が濃いのですから、いっそのことラテン系の漫才でも漫談でもやったらどうでしょうか。
すぐに踊っちゃうとか、「チャラチャッチャ チャラッチャ」を「キエンセラ」の旋律でやるとか。まぁ、とにかくラテン系で。
でも、ウケなければラテン系どころか流転系になっちゃうし、そしたらこんどこそお笑いをやめてガテン系にでも再就職しなくてはならなくなるかも。
春の歌●花鳥風月〈後篇〉 [noisy life]

今回は花鳥風月の後半? 「風」と「月」。
まずはじめは「風」。
春の風といえば「そよ風」があります。
桜吹雪などは、風と花びらが織りなす芸術です。まさに花鳥風月の世界。
しかし、「春の風」も「そよ風」もすでにこのブログではやってしまっておりまして。
仕方がないので今回は「南風」で。
「南風」が吹く歌はそこそこあります。
すぐ口に出てくるのが
♪あゝ今年も 南の風に 誘われて来たよ
という歌いだしの「あなただけを」(あおい輝彦)。
ほかでは、
♪あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ 「青い珊瑚礁」(松田聖子)
とか、
♪南風受けながら 生まれたままの姿で 「街角トワイライト」(シャネルズ)
なんてのもありました。
また、
♪どこへ行くのかあの船の なびく煙も南風 「情熱のルンバ」(高峰三枝子)
とか、
♪はなれ小島に 南の風が 吹けば春来る 花の香便り 「喜びも悲しみも幾歳月」(若山彰)
なんて昭和20年代、30年代の歌謡曲クラシックもありました。
しかし、これらの「南風」は、なんとなく暖かすぎる。どちらかというと初夏もしくは夏盛りといった印象。
で、もっとも春にふさわしい「南風」といえば、
♪白樺 青空 南風 「北国の春」(千昌夫)。
昭和52年の望郷歌で、「星影のワルツ」とともにベストセラーソング。
どちらも曲は千昌夫の恩師・遠藤実。
亡くなりましたが、ほんとに旋律で昭和・日本人の金銭を、いや琴線をくすぐるのがうまかった。
「北国の春」の作詞は遠藤実の弟子のいではく。
いではくが遠藤実と組んだもうひとつのビッグ・ヒットといえば杉良太郎の「すきま風」。春じゃないけど。どちらもいきなりブレイクというよりは、時間をかけて世間に浸透した歌。
そういえば「いで―遠藤」コンビでは「北国の春」の4年後に小柳ルミ子がうたった「春風」という曲もありました。
そして花鳥風月のさいご、「月」。
「月」は「太陽」とともに流行歌の定番キーワードでして、それだけうたわれることも多い。
ところが、太陽が文字どおり「陽」で月が「陰」ということから、暗いというか物哀しい歌がおおく、およそ春のイメージからはかけ離れている。
そうしたことからただ「月」といえば俳句では秋の季語。
したがって春は「朧月」かストレートに「春の月」。
しかし「朧月」は何年か前の「春の歌」でこれまた“消化済み”(もうネタ切れだ)。
となると「春の月」。これが意外とない。
そのフレーズを求めて流行歌を掘り下げていくこと幾星霜なんて。やっとみつけました。
それも80有余年の流行歌の歴史の底の底で。
日本初のレコード歌手といえば佐藤千夜子。
その千夜子が昭和4年に大ヒットさせたのが
♪昔恋しい銀座の柳 粋な年増をだれが知ろ
のうたいだしで知られる(ほとんど知られてないか)「東京行進曲」。
「春の月」が出てくる歌はそのB面にあった。
それが「紅屋の娘」。
♪紅屋で娘の云うことにゃ さの云うことにゃ
春のお月さま薄曇り とさいさい薄曇り
しかしこのレコードをリアルタイムで聴いた人など、ほとんどいないだろう。
「これが月がでてくる春の歌だ!」というにはいささか気が引ける。
やっぱり少しはどこかで聴いたことのある歌のほうがいい。
それならば、
♪月がとっても青いから 遠回りして帰ろ 「月がとって青いから」(菅原都々子)
のほうが。
すずかけの並木路を好きな彼と腕を組んで歩いた思い出。
1分1秒でも彼といたいから、わざわざ遠回りしてゆっくり家路をたどる。
冬じゃ寒くてのんびり歩いてなんかいられない。
まぁ、夏かもしれないけど、青い月というのがなんとなく春のような。旋律も春らしい、いかにも。
でなかったらこんなのも。
♪りんご畑のお月さん今晩は 噂を聞いたら教えておくれよな 「お月さん今晩は」藤島桓夫
都会へ行ってしまったあの娘に思いをはせる男の歌。そりゃ追いかけて自分も都会へ行きたいけど、リンゴ園のあと取りの身としては許されない。
だから誰もいない夜のリンゴ畑で彼女のことを偲んでみる。
未練ですね。可哀そうですねえ。
この歌は世に出たのが昭和32年、その2年後にはやはり東京へ出ていった恋人が忘れられない「僕は泣いちっち」(守屋浩)がヒットしました。
その前なら、都へ行くのは男、女は陰で泣く。と相場は決まっていました。
それがこの頃から逆転現象が起き始めてきたのでしょうか。
そんなことはどうでも、とにかく夜のリンゴ畑に佇めるのはあたたかくなってから。
“あの娘”は中学を卒業してから東京の工場へ働きにいった(勝手な妄想)。ならばやっぱり時は春じゃないでしょうか。
とまぁ、いささかこじつけめいてしましましたが。
上のふたつの歌も好きな歌ですが、さらなる愛聴歌で春の月を思わせるのが初恋&失恋ソングの「乙女のワルツ」(伊藤咲子)。
♪月が上がる小道を 泣いて帰った
そのあとに♪白く咲いてる 野の花を と続くようにやっぱり春よ春。
でも、うたっているのが「ひまわり娘」なので夏っていう線も。
しかし、ワルツが似合うのは太陽より月、夏よりも春、じゃないでしょうか……。
春の歌●花鳥風月〈前篇〉 [noisy life]

相変わらずの出遅れですが、今年も四季をめでながら春の歌を紹介していきたいと思います。それにしても昨日汗ばむくらい暖かだったのに、今日はなんて肌寒いことか。
今回は「花鳥風月」。パチンコ台ではありません。
われわれの風雅な心を刺激してくれるニッポンの自然や生きものたち。
その四文字熟語を四分割してしまおうという乱暴な話。さらにそれを2つずつに分けて前後篇にするという風情のなさ。まさに、このブログにふさわしい。
まずは「花」。
春の花といえばもちろん「桜」、ですがぁ。
もはや、盛りは杉並木。遅きに失した感があります。
ほかの春の花といえば……。
最近公園でみかけたのは、木蓮に花海棠、乙女椿に早めの躑躅などなど。
歌にありそうなのは「椿」だけど、そうなるとなにか演歌限定みたいに。
で、少し早いかもしれないけれど、先取りという意味で「りんごの花」なんぞいかがでしょう。
♪赤いリンゴに くちびるよせて……
♪りんごの木の下で 明日また逢いましょ
なんていう「りんご」ではなく、「りんごの花」。
花びらは五弁で、色は白やうす桃。5月以降に咲くようです。
♪リンゴの花びらが 風に散ったよな
の「リンゴ追分」(美空ひばり)でしょうか、代表的な歌は。
ほかには昭和30年代後半から40年代にかけて「林檎の花咲く町」(高石かつ枝)とか「りんごの花が咲いていた」(佐々木新一)なんて歌もありました。
しかし今回とりあげたいのは「りんごの花咲く頃」(伊東きよ子)。
一時はかのニュー・クリスティ・ミンストレルズにも在籍したという伊東きよ子。代表曲は「花とおじさん」。ハマクラさんの名曲ですね。
引退してどうしているんでしょうか。ナツメロ番組でも見かけませんし。ナツメロ番組に出ないということは逆にいえば、今が満ち足りているってことかも。
いや、出てる人が満ち足りてないっていうわけではないのですけど。
ソングライティングはすぎやまこういちと橋本淳のGSゴールデンコンビ。
「モナリザの微笑み」などタイガースの一連の曲や、ヴィレッジシーンガーズの「亜麻色の髪の乙女」などヒット曲あまた。
先日亡くなった安岡力也さんがいたシャープホークスの「遠い渚」もこのコンビ。
伊東きよ子は他では、そのすぎやまこういちが寺山修司と組んだ「涙のびんづめ」とか荒木一郎が作った「あなたと暮らしたい」など、いい歌がありました。
続いては「鳥」。
春の鳥といえば「春告鳥」、すなわちウグイスのこと。
さだまさしにはズバリ「春告鳥」がありますし、山口百恵には「しなやかに歌って」や「春爛漫」の入っているアルバム「春告鳥」が。
でも、今回とりあげるのは「惜春鳥」(若山彰)。
「またか」という声が聞こえてきそうなぐらい何度もとりあげていますが、ひるまず今回も。
この拙ブロも、はじめてからなんだかんだと丸6年が過ぎました。
長くやっているということは、それだけ過去ログが堆積するということでもありまして、つもりつもって700有余。
おかげさんで、今週早々にアクセス数も大台にのる勢いです。ありがたいことだと思いますし、励みにしております。
その700あまりの記事のうち最もアクセス数が多いのが4年前の「春の歌」でアップした「惜春鳥」。ダントツに多くて、2位の倍以上という飛びぬけ方。
ほぼ、毎日のように閲覧されている方々がいらっしゃって、あらためてこの歌のファンが多いことに驚きます。
昭和34年に封切られた松竹映画「惜春鳥」(木下惠介監督)の主題歌。
監督自身が詞を書き、曲は弟で音楽担当の木下忠司。
映画は会津若松を舞台にした若者群像。芸者に扮した有馬稲子が粋で綺麗でした。あたりまえですが、哀しきストーリーと合うんだまた、この歌が。
歌っているのはやはり木下監督の「喜びも悲しみも幾歳月」の同名主題歌をうたった若山彰。
「惜春鳥」はいくつかのヴァージョンがあるようで、個人的にはタンバリンを使ったロシア民謡風のアレンジが気に入っています。
若山彰以外では声楽家の藍川由美が木下忠司作品のカバーアルバムの中でうたっています。当然ですがクラシカルな歌唱で、それはそれでよろしいようで。
木下惠介監督は平成10年に亡くなられましたが、弟の忠司氏はいまだ健在で、ちょうど1年ほど前、清里に住んでいらっしゃると新聞が写真つきで報じていました。1916年生れだそうです。
ところで日本を象徴する花といえば桜に菊。
別に法律で制定されているわけではないようですが、春と秋を代表する花で、妥当でしょう。
では鳥、つまり国鳥は。
まぁご存じの方もいると思いますがこれがキジなんです。
理由は昔ばなし「桃太郎」に出てくるから。なんてことはありませんが、古文献に出てくるような古い鳥ではあるのです。
しかし、花の桜や菊にくらべて、いささか親しみがないというか、まず見かけない。
個人的にもキジはいまひとつピンとこない。
まぁ、好きな鳥といえば……、孤高のハヤブサとか美しいツルとか、昔よく松の木に群れていたシラサギだとか……。
でも、いちばん好きなのはやっぱりニワトリかな、それもよく焼けたヤツね。
三つの歌●小学校 [day by day]

♪ 子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんのはたらく とこを見た
母ちゃんのはたらく とこを見た
(「ヨイトマケの唄」作詞、作曲、歌:美輪明宏、昭和41年)
ようやく春らしくなってまいりました。
きょうは暖かかった。
午前中、出かけて駅へ行くと長蛇の列。
そうだ、きょうから新学期なのだ。
みんな定期を買うために並んでいるのだ。
なかには母親同伴の女の子、いや男の子もいた。
この行列は、用事をすませて戻って来た午後になっても続いていました。
それと昼下がり、小学校の前を通りました。
校門の前に多くの父兄と、胸に名札をつけた新入生が集まっておりました。
そうだ、入学式なのだ。入学式がとどこおりなく終ったところなのだ。
校庭に目をやるとみごとに開花した桜が。
この頃まで桜が散らずにあるのはほんとにめずらしい。
新入生と父兄をみて、少しおどろいたことが2つ。
ひとつは1年坊主たちが、みんな私服で男の子は帽子をかぶっていないということ。あたりまえだよね。
でもわれわれの時代は、学帽、白襟の制服、セミブーツというのが相場だった。堅苦しかったなぁ、靴なんて1日はいてそれっきりだった。
もうひとつは付き添いのご両親がとても若いということ。
これもあたりまえ。要はわたしが歳をとったということ。
わたしにもあった小学校の入学式。
そんなことを思い出させてくれた光景でした。
そこで「小学校」が出てくる歌を三つ。
まずは美輪明宏の「ヨイトマケの唄」。当時はまだ丸山明宏といっておりました。
たしか当時始まったばかりの、テレビのワイドショーで初めてうたったのではなかったでしょうか。とにかくインパクトのある歌でした。
いまの人に「ヨイトマケ」なんていったってピンとこないでしょう、おそらく。
わたしの子供の頃はたしかにありました。ただ、この歌がうたわれた頃にはほとんど見なくなっていましたが。
この歌の中でうたわれている差別やイジメは、いまでも形は変われどもありますね。子供だからじゃなくて、人間の本質ですかね、でも。
2つ目はデューク・エイセスの「おさななじみ」。
♪小学校の運動会 君は一等 僕はびり……
六・八コンビの名曲ですね。
数年前から母親の介護のために小中を過ごした「地元」に戻ってきているのですが、まぁ幼なじみに会わないこと。
みんなどこかへ行ってしまったのでしょうか。まぁ、わたしもどこかへ行っていたのですけれど。
それとも、あまりにもお互いに変わり果ててすれ違っても分からなかったりして。
所在のわかるおさななじみもいるのですが、?十年のブランクがあって、わざわざ連絡をとるというのも、ちょっと……。
最後の「小学校」は迷いました。
熊倉一雄の「ゲゲゲの鬼太郎」か坂上二郎の「学校の先生」か……。
どちらも好きな歌ですが、やっぱり洋楽をひとつ。
トム・パクストンTom Paxton がつくって、日本ではピート・シーガーPete Segger で知られるようになった「学校で何を習ったの」What did you learn in school today 。
政治家、指導者ばかりでなく、警察官、教師といった「権力」をも揶揄し、「ドイツと戦って勝利したように、僕らもいつかは……」という反語は強烈な「反戦歌」であり「反体制ソング」。
日本では高石ともや(岡林信康も?)が、
♪学校で何を習ったの かわいいおチビちゃん
とカヴァーしていました。
小学校時代……。
もし戻れるとしたら、こんどこそ先生や親に対して素直になろう、友だちとケンカするのもやめよう、好きだったあの子にしっかり告白しよう。
…………ヤダ、ヤダ。やめたやめた。
双六の振り出しに戻るみたいでイヤダ。
また50年間も人間やるなんて絶対にイヤダ。
誰が小学生になんか戻るものか。
その名は●サリー [the name]

Going to tell Aunt Mary about Uncle John
He says he has the blues but he has a lot of fun
Oh baby, yeah baby
Whoa baby
Having me some fun tonight
Well, long tall Sally has a lot on the ball
And nobody cares if she's long and tall
Oh baby, yeah baby
Whoa baby
Having me some fun tonight
………………
We're going to have some fun tonight
Going to have some fun tonight
We're going to have some fun tonight
Everything will be all right
([LONG TALL SALLY] lylics by E. JOHNSON, music by R. PENNIMAN, vocal by Little Richard, 1956)
ずいぶん間があいてしまいましたが、前回の「サラ」の続きです。
サラSARAH は前回のボブ・ディラン、いやバブ・ダイランの歌でもわかるとおり、限りなく近い日本語表記で示せば「セラ」もしくは「セイラ」。
そのサラ、あるいはセイラの愛称は「サリー」。
サリーといえば、そう「魔法使いサリー」といいたいところですが、残念ながら見たことがない。
で、サリーといえば、思い浮かべるのはやっぱり「のっぽのサリー」Long Tall Sally。
初めて聴いたのはビートルズThe Beatles。
もちろんオリジナルはリトル・リチャードLittle Richard。本名のリチャード・ペニマン名で作曲も。
ただ、内容はよくわからない。
のっぽのサリーちゃんのほかに、ジョンとメリーが出てくる。
ジョンとメリーといってもオッサンにオバサン。まぁ、日本でいえば太郎と花子、いやそれはジャック&ベティかな。だったら、武男と浪子じゃ古いし、今日子と次郎とか愛と誠とか……、どっちにしても古いか。
サリーはサチコだろうな、イージーだけど。
なんか逆境のなかを健気に生きていくっておんな。
「赤色エレジー」もだけど、サリー・フィールドのイメージがあるからかな。
「ノーマ・レイ」でのあの女闘士、「プレイス・イン・ザ・ハート」で人生の嵐の中を子供を守りながら必死で生きぬいていく寡婦。
「フォレスト・ガンプ」の母親なんて、よくぞあの“天才”を産み、育てたなって思えるハマリ役でした。
で、話を戻して「のっぽのサリー」。そのサリーとジョンとメリーがどんな関係なのかよく分からないけど、何度もリピートする「今夜は楽しもうぜ」というフレーズだけで十分ノレちゃうというロケンロール。
ロケンロールの古典としてはベスト5に入る名曲です、わたしとしては。
それにしても偉大ですね、このリトル・リチャードとチャック・ベリーは。
この二人がいなかったら、おそらくビートルズもストーンズも……、かもね。
「サリーの歌」はポップスはもちろん、カントリーにもいくつかあるようで。
そんな中から2曲。
1曲目はハンク・コクランHank Cochranやバック・オウエンスBuck Owens、あるいはトリニ・ロペスTrini Lopez がうたっていた「サリーはいい娘」Sally was a good old girl 。
サリーは博愛主義だから、どんな男にも優しく接してくれる。だから男はだれでもサリーを愛している。だけど、女の娘はみなサリーを軽蔑してる。
そんな日本にもいそうな女の娘、それがサリー。
かの「悲しきカンガルー」や「悲しき60歳」のようなノヴェルティ・ソング。
ただ、こちらの結末は「悲しき」ではなくて、大金持ちと結ばれてメデタシメデタシなのですが。
そうそう「悲しき」の2曲は坂本九もうたっていた。彼のオリジナルでいうと「明日があるさ」や「九ちゃんのズンタタッタ」もノヴェルティ・ソングだった。
こういう歌、最近あまり聞きません。なんでかな、オモロイのに。
カントリーのもう1曲はトラディショナルソング。
おまけにインストといういたって地味な曲「サリー・グッディン」Sally Goodin 。
カントリーミュージックのルーツであるアパラチアン、あるいはマウンテン・ミュージックの頃からえんえんと演奏されてきた名曲。
フィドラーやバンジャー(いわないか)なら一度は演りたくなる1曲。
先日亡くなったアール・スクラッグスEarl Scruggs を偲んでもう一度。
と、ここで終るつもりだったのですが、実は大事なサリー、ではなくてサラを忘れていたので、最後に蛇足風にとりあげておこうと思います。
そのサラとは、サラ・カーターSara Carter 。
カントリーファン以外は、それ誰? でしょうね、当然です。
彼女はマウンテン・ミュージックのバイブルともいえ、その後のカントリーやブルーグラス、あるいはフォークソングに多大な影響を与えたカーター・ファミリーThe Carter familyのメンバー。
カーター・ファミリーはA・P・カーター、それにAPの奥さんのサラ、そしてAPの弟の奥さんのメイベルの3人構成。
サラは主にオートハープとヴォーカルを担当。
カーター・ファミリーの特徴のひとつでもあるオートハープは、日本では五つの赤い風船の西岡たかしがつかっていました。
このブログでもたびたび出てきたカーター・ファミリーでして、愛すべき曲は数々ありますが、いままで取り上げなかった(多分)曲を最後に二つほど。
まずは、海に出た船乗りを待ち続ける恋人の歌。
「藍色の海に出た船乗り」Sailor on the deep blue sea
結局、彼の遭難を知り、海へ身を投げてしまうという悲しいストーリー。旋律はどこか「リトル・アニー」に似ている。
もう1曲はこのブログのタイトルにもしているフェヴァリットソング。
「ピクチャー・オン・ザ・ウォール」Picture on the wall
壁にかけられているのは今は亡き母親の写真。
わたしも、最近母親を亡くしまして、その写真を飾っております。飾ってあるのはなぜかキッチンで、そこで食事をするたびに親不孝の数々を詫びております。
なんていささか大げさですが、母親の写真は、仏間よりも主戦場だったキッチンがふさわしかろうと思っただけで。
その写真をながめると「ゴキブリが出るからやだよ」と言ってるようでも。
その名は●サラ [the name]

Lullaby of birdland
That's what I always hear, when you sigh
Never in my wordland could there ways to reveal
in a phrase, how I feel
Have you ever heard two turtledoves
Bill and coo when they love
that's the kind of magic music
We make with our lips when we kiss
………………
([LULLABY OF BIRDLAND]lylics by George David Weiss , music by George Shearing,vocal by Sarah Vaughan,1954)
ことしはご存じのようにオリンピックイヤー。
日本でもそろそろ騒がしくなりはじめています。
金メダル至上主義はナショナリズムにつながるから? という考えもありますが、やはり日本人が金メダルを首から下げ、満面の笑みで喜びの言葉を発するシーンはぜひ見てみたい。
しかし今回のロンドンではたしてどれだけの歓喜の場面が期待できるのか。
女子の柔道にレスリング、体操の内村航平そしてサッカーのなでしこジャパンくらいしか思い浮かばない。あとは期待をこめてボクシングミドル級の村田諒太とか。
それよりも大いに期待できるのがウインタースポーツの面々。
残念ながら次の冬季オリンピックは2年後。
今年はシーズンが終わってしまいましたが、もし今年五輪があればいくつもの感激的シーンがみられたのではないでしょうか。
人気のフィギュアスケートには女子の浅田真央、男子は高橋大輔がいるし、スピードスケートなら短距離で男子の加藤条治に長島圭一郎、女子なら高木美帆も期待できる。
モーグルの上村愛子も復調してますし。
ノルディック・複合でも久々に強いアスリートが出てきた。
今季ワールドカップで4勝した渡部暁斗。
またジャンプでもまた強い日本がみられそう。
伊東大貴がやはりワールドカップで今季4勝をマークしました。
さらに、その伊東より驚かされるのが女子の高梨沙羅。
中学3年生、15歳というのだからスゴイ。
ワールドカップは1勝でしたが、まさにシルバーメダルコレクター。年齢からいってもナンバーワンになるのは時間の問題じゃないでしょうか。無事にすごせれば、2年後のオリンピックでの金メダルの可能性はかなり高いのでは。
体格は小柄で、ジャンプでは長身のほうが有利といわれていますが、それでいてあの成績。飛距離は問題なく、課題はテレマークとか飛形という技術面だといわれていますが、年齢、キャリアを考えれば、レベルアップしていくのは間違いない。
こういう天才アスリートが何年、いや何十年に一度は出てきますね。
先日のニュースで学校での彼女の様子が映されていましたが、学友の話によると学業の成績も優秀だとか。
で、その高梨沙羅を抑えてワールドカップでひとり勝ちしていたのがアメリカのサラ・ヘンドリクソン。よく話題になっている“サラ・サラ対決”。
ということで、今回は「サラ」さんを。
「サラ」といえばわれわれの年代ではやはりサラ・ボーンSarah Vaughan 。
そのサラで、まっ先に思い浮かぶ歌が、クリフォード・ブラウンClifford Brownとの共演で知られる「バードランドの子守唄」Lullaby of Birdland 。
「あなたがため息をつくとき、いつも聞こえてくるバードランドの子守唄……」と始まるラヴソングは1952年、ジョージ・シェアリングの作。かの「愛か別れか」Love me or leave me を下敷きにつくったとか。
バードランドは当時、マンハッタンにあったジャズクラブで、いちど閉店したが現在は再びオープンしているそうだ。その店名のBirdとはもちろんチャーリー・パーカーCharlie Parker にちなんだもの。
名曲の常で、エラ・フィッツジェラルド、クリス・コナー、メル・トーメ、ドリス・デイをはじめいろいろなシンガーによってうたわれているが、やはりサラ・ボーンお得意のスキャットで入る1曲がいい。
せっかくなのでサラをもう1曲。
ひところ、日本のジャズヴォーカルファンがもっとも好きな曲といわれた「ミスティ」Misty ほかいろいろ名曲があって迷いますが、これまた彼女のスキャットを十分楽しめる「オール・オブ・ミー」All of Me を。
もうひとり、サラ・ブライトマンSARAH BRIGHTMAN 。
今の人にはこちらのサラさんのほうが知られているのでしょう。
NHKの紅白に出たことで日本での知名度もいっきに上がった感があります。
わたしもアルバム[DIVE]は買ってしまいました。
クラシカルでクリスタルな高音が魅力です。ノイジーなサラ・ボーンとは対照的です。
そのCDのなかからキャプテン・ニモ[CAPTAIN NEMO]を。
もう1曲はCDにははいっていませんが、アヴェ・マリア[AVE MARIA] を。
少し余裕があるので、「サラ」の歌をもう2曲。
まずはボブ・ディランBob Dylanの「サラ」Sara
1976年に発表されたアルバム「欲望」Desire のなかの1曲。
当時のディランの奥さん、サラのことをうたったもので、
サラよ、汚れなき天使よ、生涯の恋人よ
サラよ、美しき宝石よ、ミステリアスなパートナーよ
と絶賛しています。
なんでも、当時奥さんとの間に溝ができ、それを修復しようとしていた時期だとか。
その努力のかいもなく、結局は別れてしまうのですが。歌にそんな力があるものか。
もう1曲はインスト。
Cobaことアコーディオニスト・小林靖宏の1991年のデビューアルバム「シチリアの月の下で」の中の1曲「Sara」。(ワンセンテンスでこれだけ“の”が入ると気持ちいい)
聴き終わったあと、なんとなくカラオケに行きたくなって、そこで
♪水割りをくださ~い
ってうたいたくなってしまう1曲。
ところではじめにふれた、ノルディックのジャンプについて。
1972年の札幌五輪70m級ジャンプ(今はノーマルヒルっていう。当時の90m級はラージヒル)で笠谷、金野、青地の金銀銅独占はスゴかった。
それ以来ジャンプ競技が好きになったという人も少なくないのでは。わたしもそう。
あの頃と今となにが違うって、飛んでいるときのかたちが全然違う。
以前はみんなスキー板をそろえていたのが、いまはみんなV字型に開いている。
これはV字型にしたほうが風の抵抗を受ける面が広くなり、その分浮揚時間が長くなって距離が延びるのだとか。
この飛形を考え出したのはボークレブというスウェーデンの選手。
ところが、ジャンプ競技というのは飛距離プラス飛形つまり飛び出しの形、空中時の姿勢、ランディングの形を加味して採点されるので、当初はスキー板がバラバラとみなされ、大きく減点されていたそうだ。
それが数年後には、あれはバランスを崩しているのではなく、より遠くへ飛ぶための理想的な飛形なのだ、ということが認められ、いまではほとんどの選手がクラシカルな形をやめV字型に転向することになった。
ジャンプのV字型というのはまさにスポーツ競技における“革命”ともいえるもので、ボークレブ選手は陸上走り高跳びで、いまや当たり前になっている“背面跳び”を考案したフォスベリー選手に匹敵する功労者といえるのでは。
とかなんとか理屈をいってますが、ジャンプ競技のスゴイところは、われわれシロウトには絶対にできない“絶叫プレイ”だからでしょう。
バンジージャンプだったら、万が一を除けば、どんなにオソロシくたってどこか1本確実な命綱に守られているという“了解事項”がありますが、何かの罰ゲームでノーマルヒルを跳べっていわれても断固拒否しますものね。確実に死にますから。
それをたかだか15歳の少女がいともかんたんに100mも飛んでしまうのですから。
まるで鳥ですね。それも沙羅ちゃんは小さいから小鳥だ。それにあの余裕。真剣勝負というよりは遊んでいるよう。そう、沙羅ちゃんは小鳥遊なのです。
その名は●安井かずみ [the name]

♪ 明日の悲しみを 知らない
あなた おしゃべりな真珠
微笑み 悲しみ 夢を見る
あたし おしゃべりな真珠
ひとりひとりが 愛をみつけて
星を数えたとき 大人になる
ああ はじめて 生きることがわかる
あたし ひとつぶの真珠
(「おしゃべりな真珠」詞:安井かずみ、曲:いずみたく、歌:伊東ゆかり、昭和40年)
今日3月17日はZUZUこと安井かずみの命日。
亡くなったのは平成6年(1994)。
もう20年近く経ってしまいました。
彼女は永遠の55歳。
わたしは、それをはるか越えてしまいました。やだやだ。
若かりし頃、安井かずみの姿を雑誌か何かで見たとき、当時ファンだったフェイ・ダナウェイに似てるなって思ったことがありました。
のちに、彼女のエッセイを読んでいたら、「フェイ・ダナウェイほどキレイじゃなくても……」などという文章に出くわしたことがありました。
もしかしたら、あのハリウッド女優を意識していたのかもしれません。
それはともかく、彼女の詞はほとんどがラヴソング。
そしてそのポリシーは、「夢見る少女」(ときには少年)のつぶやき。それは頑なで、潔癖で、孤独で、というリアルな内省的少女。このへんが、それまで「乙女」というキーワードで、少女の心情を描いてきた西條八十を筆頭とする男の「女装作詞家」と違うところでしょうか。もちろん流行歌はリアリズムを追及しているのではありませんけど。
彼女はまたエッセイストでもあり、その内容は流行詞とは裏腹に、実体験に基づいた現実的な女性の処世術が多かった。作詞は流行歌用に構築された別世界の「ZUZUワールド」だったのでしょう。それを徹底させていた。
阿久悠や松本隆のようなキラキラあるいはギラギラした野心的な詞(ことば)ではなく、普段の言葉を組合わせて、叙情的かつ独創的な「ZUZUワールド」をつくりあげていました。
生涯書いた詞は4000ともいわれ、ヒット曲も少なくない。
そんななかからいつもの独偏で10曲を選び、昭和の流行歌をつくってきた女性作詞家を偲びたいと思います。
①その名はフジヤマ アントニオ古賀 昭和36
デビュー作の「GIブルース」(坂本九)が昭和35年なので、ほんとに初期の作品。
当初はほとんどが訳詞で「みナみカズみ」のペンネームを使用。
曲は、当時人気で何度も来日コンサートをしていたトリオ・ロス・パンチョスのメンバー、チューチョ・ナバロによる。
②小さい悪魔 斎藤チヤ子 昭和36
カバー曲をもう1曲。斎藤チヤ子では断然「失恋の海」(オリジナルはドン・ギブソン)だけど、残念ながらYOU-TUBEにないので。(失恋の海追加です)
でも、この「小さい悪魔」のほうがヒットしたので耳なじみがあるかも。オリジナルはニール・セダカ。
③おしゃべりな真珠 伊東ゆかり 昭和40
安井かずみがレコード大賞の作詞賞をとった記念すべき楽曲。当時26歳。
本人レコード大賞のなんたるかを知らぬ間の受賞。この頃はまだアルバイト感覚で。
作曲いずみたくとのコンビが貴重。初々しい「夢見る少女」がいずみたくメロディーとピッタリの名作。
伊東ゆかりではほかに、「恋のしずく」、「朝の口づけ」、「青空のゆくえ」などがあるが、この曲がいちばん。
④明日になれば ザ・ピーナッツ 昭和41
宮川泰の傑作。宮川とははじめてのオリジナル「女の子だもん」(中尾ミエ・NHKみんなのうた)からのコンビで、最も親しまれているのは「若いってすばらしい」(槇みちる)。ほかに「何も云わないで」(園まり)、「ひとつぶの真珠」(弘田三枝子)も宮川との共作。
ザ・ピーナッツのカヴァーでは「レモンのキッス」がいい。
⑤青空のある限り 加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ 昭和42
グループサウンズの1曲。ほかでもタイガースの「シー・シー・シー」はあるが、GSは意外と少ない。
1度目の結婚をした頃で、その間、作詞活動を休業していたため。
⑥雪が降る アダモ 昭和44
離婚してフランスに滞在中、ZUZUをなぐさめようと友人のアダモが作った歌に彼女が詞をつけた。
カヴァー曲の中ではもっともヒットし、もっとも親しまれている曲。
このあたりから、彼女自身がいう「多作」になっていく。自身も書いているように、プロ意識に目覚めはじめた頃。
⑦折鶴 千葉紘子 昭和47
ひさびさのオリジナルヒットが45年の「経験」(辺見マリ)。そして翌年、「ディスカヴァー・ジャパン」ブームに乗った「わたしの城下町」(小柳ルミ子)を代表とする和風作品を連続ヒット。
そのなかでいちばん彼女らしい少女の心情をうたったのが「折鶴」。小柳ルミ子もうたっているが、やはり千葉絋子。
⑧あなたへの愛 沢田研二 昭和48
タイガースから引き続き、昭和44年に沢田研二の初アルバム「JULIE」の全曲を作詞。
48年には日本歌謡大賞受賞の「危険なふたり」そして49年の「追憶」とヒット曲を連発。
曲はともに加瀬邦彦で、「危険なふたり」のあとに書いたこの「あなたへの愛」も加瀬作品。
この年はほかに、「草原の輝き」(アグネス・チャン)、「ちぎれた愛」(西城秀樹)、「甘い十字架」(布施明)などのヒット曲で充実していた。
⑨ある日の午後 森山良子 昭和49
めずらしい森山良子への提供作品。
安井かずみお得意の若い女性の「揺れる想い」が描かれている。
印象的な曲はブレッド&バターの岩沢幸矢。
安井かずみはレコーディングの前に、歌手とミーティングをするのが常だったそうだが、森山良子とどんな話し合いをしたのか、興味津津。
⑩よろしく哀愁 郷ひろみ 昭和49
「ある日の午後」と同じ年の発売で、33歳、最も充実していた時代かも。
「よろしく哀愁」は「夢見る少女」の裏返しの「夢見る少年」ソング。
作曲は筒美京平で、安井―筒美のゴールデンコンビは意外と少ない。
ヒット曲ではほかに「赤い風船」(浅田美代子)ぐらい。
もちろん昭和50年代に入っても彼女の作詞ワークは続いていきます。
52年には2度目の結婚で加藤和彦というベストパートナーを得ます。
そして、はじめにも書いたとおり幸福な17年間を経て、55歳という若さで病に斃れます。
また、ごぞんじのとおり、加藤和彦も3年前に自殺で生涯を閉じています。
もし、安井かずみが生きていたら、加藤和彦も死なずにすんだのでは……などと、ふと考えてしまいます。






